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不自由な大自然の中で、新たな感覚に出合うための場所|ume, yamazoe

このマガジンでは、ホテルや街づくりに関係する方々から龍崎が学ばせていただく対談企画を続けてきました。しかし、新型コロナウイルスの拡大によってホテル市場全体が停滞するとともに、物理的な移動などの自粛から、対面での取材が叶わない時期が続きました。その後、少しずつ移動が可能になる中で、どのホテルもウィズコロナの時代において、新しい体験価値の探求などに全力をかけています。そこで、この対談記事においても新しい表現をしてみたいと考えました。具体的には、実際に宿泊を体験し、その中で感じたことをお話しさせていただく。そして、それをインタビュー記事としてではなく、体験のレポートも含めたコラム記事としてご紹介していきたいと思います。

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ホテルを訪れた後、あの人に教えたい、とすぐに誰かの顔が浮かぶのは幸せなことだと思う。世界にはありとあらゆる唯一無二のホテルがあるが、体験した上で「このホテルをあの人に教えたい」と思えるホテルはそう多くないのかもしれない。この夏に訪れた「ume, yamazoe」は確実にその一つだった。実際に、ホテルを出た後に何人かに連絡をしてしまったくらいだ。

「ume, yamazoe」は奈良県奥大和地方の山添村という小さな村の中にある。奈良・京都・三重の多様な生活圏が合体してできた地域で、村の約80%が山林。農林業を主産業としながら発展してきた人口約3500人の農山村だ。

この街で、お寿司の製造メーカーである梅守本店の梅守志歩さんが築100年を超える元村長さんの立派なお家をリノベーションし、ホテルとして今年3月にオープンした。客室は3つ。なかには最大10名まで利用できる大きな客室もある。オープンに合わせてお庭にサウナを作るためのクラウドファンディングを実施したことでも知られ、長野県の野尻湖に本格フィンランド式薪サウナ「The Sauna」を作ったサウナ界の殿堂・野田クラクションべべーさん監修のもとで、薪を使う本格的なサウナが生まれた。


田舎のど真ん中にある“不自由な”ホテル

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「ume, yamazoe」の公式サイトでは、みずからを「不自由なホテル」と表現している。当然近くにコンビニやお店はないし、携帯電話の電波もほとんどない。ホテルに着くまでにはかなり急な坂道が続くし、共用部分は外に開かれているからたくさんの昆虫がやってくる。

その代わり、自然の恩恵をこれでもかというくらいに味わうことができる。就寝時にお部屋を真っ暗にすると、正面の大きな窓と小さな天窓から、月明かりが入ってくるし、朝は日光と鳥・蝉の鳴き声で目が覚める。サウナは屋外にあるが、雨が降ればそれが自然と水風呂がわりにもなるから(水風呂ももちろんある)、天気に関わらずサウナを楽しむことができる。

ただし、「ume, yamazoe」は単に何もないことを打ち出したいのではないと思う。こちらも公式サイトにある言葉だが、「もの”が“ある”からしあわせではなくて、“ないもの”が“ある”ことに気づくしあわせを」。「なにもないことに気がつくこと」こそが、この場所の意味なのだ。

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梅守さんは、このホテルを作ったきっかけについて、教えてくれた。

「私は4人姉妹なのですが、約12年前、ある日突然姉が重度精神障がい者に、その2年後には妹が白血病を発症しました。特に衝撃的だったのが、入院している姉に会いに行った時のこと。かなりの重度障がいのため、お部屋の自由な出入りが制限されることは理解できるのですが、部屋の中の清掃やある程度の範囲のお散歩など、とても尊厳ある自由な人間の生活とはかけ離れた入所の現状に衝撃を受けました。それでも施設にお願いしなければやっていけない家庭の状況や、人の心や感覚が置いていかれ、仕組み化されてしまった病院内のルールや対応に、悔しくて涙したことは1度や2度ではありません。姉のお部屋のトイレがいくら汚くなっても、清掃日ではないから今日は掃除はできません、と。そんなことを言われて感じたのは、制度やルールではなく、人の心や感覚をもっと優しく、許容出来たり余白をもった状態をつくることが大切なのではないかと感じたのです。いろんな人やモノが世の中に共存しています。五体満足の人も、病気や障がいをもった人も、LGBTや様々な価値観の人。それらが共存し、調和して世界ができていると、日々の中で心のどこかに意識ができること。そんな感覚を知ることができる場所を作りたいと思ったんです」

「感覚を作る場所」。それが「ume, yamazoe」が生まれた理由だという。梅守さんは、この場所に来ることで、今まで見てこなかった世界を知ることができるようにしたいという。そのためには、長い時間を過ごすことができるホテルという形はぴったりだった。


感覚を作るための自然の役割

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もともと奈良に拠点を置く梅守さんだったが、5年前に大好きな星野道夫さんの本を読み、自然のリズムが身体に感じられる場所を求めて、お寿司には欠かせない山葵の名産地でもあるこの村に引っ越してきた。そんな中で、ホテルを作ることを決心し、この場所を見つけた。

梅守さんにとって「感覚を作る」ためには、自然という存在が欠かせないという。たとえば、サウナの火を調整するためには、薪をくべたり、風を送り込んだりする必要がある。これを単なる作業と捉えるか、火と風を自由に操る遊びと捉えるかによって、感じることは変わってくる。子供のような純粋な視点を持つことで、すべての行為が感覚を研ぎ澄ますための体験に変わるのだ。梅守さんは川に潜って鮎を捕まえる「鮎つき」が大好きだそうで、自然に入ると、あらゆるモノの見方が変わるのだと教えてくれた。「ここにいると、大抵のことは許せるな、と思うんです」。

たしかに、この場所に滞在すると、一人でいろんなものを発見するスイッチがオンになったような気になる。それは、自然という予測不可能な世界に身を置いているからなのだろう。「自然はガチャガチャしているから好き。便利な世の中では感じることができない不自由さがあって、おのずと気がつくことがたくさんあるから」。梅守さんはそう話す。時には、ゲストとともに地元の農家さんのお家を訪ねたりして、その生活の知恵を教わるのだそうだ。

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話を聞いていて、フランスの人類学者・クロード・レヴィ=ストロースの名著「野生の思考」を思い出した。文明社会とは異なる未開の地においても構造的な思考が存在するということを説いた本だが、世界中どんな場所でも、文明が発達する以前から、人々はある程度自然の中で生きていくためのある程度の素養を共通して持っていたという。

梅守さんはこの「野生の思考」ならぬ田舎の知恵にこそ価値があると考えている。水に潜るとか、朝日を見るとか、野菜を収穫するとか、誰でもやれる(けれどなかなかやらないことだったり、やってみると全然できないことだったりする)ようなことにこそ価値がある。

こうした体験がプランになるのであれば、地方での経済が回るかもしれない。自然の中でのプリミティブな体験を維持するためにも、「ume, yamazoe」という場所が継続できることは梅守さんの目指すところなのだ。

最初にお話を聞いて、自然を愛でるのであればキャンプなどの選択肢もあるのではないか、と思ったが、きちんと経済を回すことが念頭にあるからこそ、「ume, yamazoe」というホテルを作って、決して安くはない宿泊代金を設定している。これはとても素敵なことだと思った。


ソーシャルホテルを体現する梅守さんの存在

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ここまで梅守さんのことをたくさん書いてきたので、今更言うまでもないが、「ume, yamazoe」における梅守さんの存在はほんとうに不可欠なものだ。この場所の魅力を伝えるというよりは、自然の中での感覚を取り戻すために、梅守さんがいろんな仕掛けを用意し、いろいろなことをナチュラルに教えてくれる。

到着直後、お部屋にいると、梅守さんが窓の外から空を見ろと合図を送ってくれた。そこにはとても大きな虹がかかっていた。「ほら、空見てみて〜!」とお部屋に入ってきて窓を開けてくれる梅守さんは子供のように嬉しそうだった。ほかにも、この場所のために作ってくれた椅子があるのだが、梅守さんが紹介したことで、この椅子がいくつも売れているらしい。実際にこの場所で椅子を知って、梅守さんがオススメをしてくれるのなら、買わない手はない、と思ってしまうだろう。

梅守さんはほんとうになんだってできる。これぞ田舎の知恵である。朝から晩までサウナの準備をしたり、お部屋の準備をしたり、地元の野菜をもらいに行ったり、時にはフロントで事務作業をしていたり。朝晩の料理ももちろん梅守さんが作っている。自家製のシロップを使ったリキュールもある。なんでもやってみる。そんな感じだ。

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「ume, yamazoe」の最大の特徴が、エントランスを入ってすぐ目の前にあるコの時型のダイニングテーブルだ。3組のゲストはみなこの場所で食事をいただく。もちろんメインはお寿司だ。真ん中に梅守さんが立って、料理を作る。梅守さんを挟んで知らないゲスト同士が対面するので、気がつけばみんなが仲良くなっている。

「そこそこ値段のするホテルなのに、まるでゲストハウスみたいにみんな仲良くなるんです。部屋の間取りが全部異なるから、気がつけばお部屋を見せ合っていたり、夜中まで広間で飲んでいたりしますよ」。

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それはまるで「HOTEL SHE,」が目指している「ソーシャルホテル」だと思った。ホテルがメディアとなり、ゲスト同士やゲストと文化をつなぐ。その中心に梅守さんがいる。反対に言えば、梅守さんなしではこの雰囲気は出せないだろう。だからこそ、ビジネスとして拡大を目指すことは難しいかもしれない。梅守さんも「それは全然望んでいないです」という。

ちなみに、「ume,」という名前の由来は当然梅守さんなのだが、最初は自分の名前を冠にすることには抵抗があったという。工事が進む中で、客室から見える一木一石(邸宅の庭に置かれる庭木と景石のこと)が偶然梅の木だったことで、この名前にしようと決心したそうだ。名前についている「,」には、「続いていく」という意味が込められている。だから、3室の名前も「いぶき」「めぶき」「つむぎ」なのだそう。こうしたところからも、梅守さんの感性が垣間見える。


定義できない場所になりたい

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滞在翌朝、サウナを満喫し、朝食をいただいた後。帰る間際に梅守さんと話をしている中で「定義できない場所になりたい」という言葉があった。この場所はまさにその通りだと思ったし、それこそ「ume, yamazoe」という場所の特徴を最大限に表している気がした。

客室の満足感はもちろん上質なホテルそのものなのだが、エントランスにつながった広間にいると、まるで田舎の家に帰ってきたような気分になって、朝食後に畳で寝転んでしまったりする。この場所はなんなのか、それは人によって感じ方が全然異なってくるだろうと思った。

でも、それ自体がこのホテルの目指す「感覚を作る」ことに近い気がした。どう感じるかは、人それぞれに違って良くて、むしろこれまで知らなかった何かに気がつく瞬間があれば、それこそがこの場所にいる最大のメリットになる。だから、安易に「サウナのあるホテル」とか「お寿司屋さんのホテル」とか「田舎のお家みたいなホテル」などと表現してしまいたくはないし、簡単に定義をしてしまえば、それ以外の直感を妨げることにもなりかねない。「人はカテゴライズされるとわかった気になりますからね」と梅守さん。

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普通に考えると「定義できない場所」は人にすすめづらいし、インターネットやメディア上では取り上げづらい。しかし、一方で「キャッチーさ」が先行すると、本当の良さが失われてしまう危険もあるし、昨今の「ホテルがSNSでバズる」という現象にはそれが多分に見受けられる。「バズる」ことはもちろん認知が広がるという点では素晴らしいことだが、誰かの視点が「正解」としてそのホテルにレッテルを貼ってしまったり、そもそもの趣旨とはズレてしまう可能性だってある。

これは主観だが「ホテルはゲストを選ぶ」権利だってあるんじゃないかと思った。とくに客室数が3つしかない「ume, yamazoe」では、年間を通じて泊まれるゲストの数はどうしても限られる。だからこそ、梅守さんが伝えたい「感覚を作ること」「新しい視点に気がつくこと」ができる人たちにきちんとホテルを知ってもらい、来てもらう方がいい。

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「隠れた名店」じゃないけれど、ホテルによってはSNSをやっていなかったり、メールフォームでしか予約を受け付けていないところも多い。OTA(予約プラッフォトーム)では価格や立地が先行してしまって、意図しないゲストが来てしまうことも多いからだが、インターネットが当たり前の時代だからこそ、ある意味で“不自由”な予約や認知によって、本当に出会いたいゲストと出会う確率は上がるのかもしれない。

事実として、「ume, yamazoe」にこれまで来てくれたゲストは、そのほとんどが呼んでみたかった方や滞在した方の直接的な口コミなどで、メディアなどを見て訪れる方々もみな公式サイトを見たり、この場所の思想に惹かれて来る方ばかりだそう。レビューもそのほとんどが5だ。それは、「ハード面の制約ではなく、感覚的な価値を感じて泊まってくださるから」だ。

冒頭に書いた通り、滞在を通じて「あの人に教えたい」という人がすぐに浮かんだ。そしてこっそりと友人に連絡をした。そもそも、僕もこの場所を知ったのは、知人からの紹介だった。インターネットが台頭する時代に、人から人へと口コミによってその思想が広がっていくようなアナログなホテルは強い。もちろんそれが可能となるホテルは決して多くはないだろう。純度の高い情報がじわじわと広がり、つながっていく、そんなサステナブルなホテルにはきっと、観光の未来を作り上げるための大きな希望があるのだ。

(文・角田貴広、写真提供:ume, yamazoe)

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