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世界中を渡り歩いてきた「ACE HOTEL KYOTO」総支配人が語るホテル経営哲学

国内の個性的なホテル経営者の方々にお話を聞かせていただく同連載。2021年最初の対談のお相手は、なんとACE HOTEL KYOTO総支配人のニコラスさん。2020年にオープンし、ホテル業界内外から大きな話題となったACE HOTEL KYOTOですが、その支配人としてブランド作りを担ってきたニコラスさんのこれまでの経験と、ACE HOTEL KYOTOにおける組織論・ホテル論まで、貴重なお話を幅広く伺いました。

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ニコラス=ジェームス・ブラック:ACE HOTEL KYOTO総支配人/
1980年、フランス生まれ。幼少期や少年時代をヨーロッパの各国で過ごし、16歳でアメリカへ移住。フロリダにてホテルマネジメントを学び「ソフィテルホテル」へ。その後、イアン・シュレーガー氏のホテルなどでキャリアを積み、2014年に「プティ・エルミタージュ」で総支配人として真価を発揮する。2018年にACE HOTELに入社。アジア初となるACE HOTEL KYOTOの総支配人に就任。愛称はニコ。



様々な国や土地を渡ってきたからこその価値観

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龍崎:本日は、貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。お伺いしたいことは主に2つありまして、まずはニコさんのキャリアやホテル作りにおける哲学について。もう1つは、ACE HOTELのブランドマネジメントについてです。世界中の多くの旅行者から愛されるホテルが、どのようにブランド哲学を維持したまま世界に広げていけたのかを、ニコさんの視点からお伺いできれば嬉しいです。ご出身はフランスでしたよね。

ニコ:(日本語で)地球人デス。

龍崎:地球人…!(笑)

ニコ:というのも、フランスで生まれたけど、幼少期は6年間ドイツで過ごし、その後、スイスのベルンとチューリッヒにそれぞれ4年間ずついて、またフランスに戻って3年間過ごした後、アメリカに渡ってニューヨーク、マイアミ、ロサンゼルスと移り住み、今、日本は京都にいる。だから、ホームはどこかと言われたら難しいんだ。できるだけ身を置いている土地の新しい文化や人に自分を溶け込ませようとしているから、その時住んでいる土地が自分のホームだと思っている。今だったら、出身は京都ということだね。キャリアとしては、20年前に皿洗いから始まり、飲食の経験を経て、マイアミで4年間、ホスピタリティ・マネジメントを学びました。

龍崎:なぜ、ホスピタリティを学ぼうと思ったのですか。

ニコ:スイスに住んでいた時、親友のお父さんがホテルのジェネラル・マネジャー(総支配人)だったんだ。彼らはホテルのペントハウスに住んでいたから、そのホテルにもよく遊びに行っていた。それが私にとって最初のホテル経験。ホテルにはいろんなものがあり、ホテルの中だけで色々な場所に行けた気分になれて、私はホテルから得られる経験をとても楽しんでいた。そして、10代の頃に自分の将来についてを考えたんだ。当時続けていた旅行で多くのホスピタリティに触れ、私自身もなんらかの体験を作りたいと思った。ホテルは、自分の好きなこと、やりたいことをにぴったりだったんだ。だから、ホテルのホスピタリティ・マネジメントを勉強するためにマイアミへ行くことに決めた。

龍崎:マイアミへは自分の意思で行かれたんですね。マイアミでは、どのような勉強をされていたんですか。

ニコ:ホテルのことをなんでも勉強したよ。マネジメント目線での会計の授業などもあった。

龍崎:卒業後、ホテリエとしてのキャリアは、どのようにスタートしたんですか。

ニコ:はじめは「ソフィテルホテル」でインターンをしました。ハウスキーピングとエンジニアに関する3カ月のインターンだったかな。でも、その時の上司とはあまり合わなかった。インターンの終わりの方に新しい上司が来て、彼に「前の上司からあまり学べなかったから辞めたい」と伝えると、「これから自分が色々教えてやるから待ちなさい」と言ってくれて、その後も1年間ハウスキーピングの管理者として居続けたんだ。その後、新しいホテルのアシスタント・マネジャーに推薦されたんだけど、私は、ずっとマイアミのイアン・シュレーガー氏のホテルで働きたいと思っていた。彼は、ブティックホテルの創立者で、STUDIO54も設立して、今は「エディションホテル」をプロデュースしているよ。

龍崎:存じ上げてます。「東京エディション虎ノ門」ですよね。

ニコ:その通り。結局、推薦をもらって新しいホテルで2年間働いた後、彼の会社に入って、マイアミで6年、ロサンゼルスで1年、合計7年の間に彼の作った3つのホテルで働いたんだ。



ブティックホテルの創立者・イアン氏に学ぶ

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龍崎:なぜイアンさんのホテルで働きたいと思われたのですか。

ニコ:ユニークだったからさ。様々なことへの配慮やディテールがすごかった。それにずっと惹かれていたんだ。デザインだけでなく、アメニティも、フレンドリーでカジュアルで硬すぎないサービスも素晴らしいなと思っていた。

龍崎:イアン・シュレーガー氏といえばホテル界のレジェンドですが、当時からそういう存在だったんですか?

ニコ:ホテルを愛する私にとっては、そうだったね。イアンは、ブティックホテルの創立者だし、尊敬する人だった。世の中に似たようなホテルが増えていく中でも革新的なホテルを作っていたからね。

龍崎:ニコさんの視点からみて、イアンさんの革新性はどういうところにあったのですか。

ニコ:やっぱり、さっきも言ったように、いろんなことへの配慮とディテールかな。それが、僕が彼から学んだ多くのことの中でも最も大きい。音楽や匂い、見え方など、五感で感じる全ての情報が、イアンにとっては大事だったんだ。

龍崎:ニコさんは、イアン氏の元で、どのようなポジションで働かれてたのですか。

ニコ:最初アシスタント・フロントオフィス・マネジャーから始まり、ゲストサービス・マネジャー、デスク・マネジャー、フロントオフィス・マネジャーを経て、チェーンでもっとも高単価の姉妹ホテルである「Delano Hotel」のフロントオフィス・マネジャーを務めた。その後、ロサンゼルスの「Mondrian Hotel」に異動し、ジェネラル・マネジャー代理として1年間。その頃には、イアンはホテルを売却していたから、モーガンズホテルグループで働いていたんだけどね。

龍崎:徐々にホテル全体を統括する立場になっていかれたのですね。そこに関してぜひお伺いしたいことがあって。イアンさんご本人がもしホテルにいらっしゃれば、もちろん、彼ご自身の思想を組織の隅々まで行き渡らせることができると思いますが、ニコさんはイアンさんの代理人的な存在として、いわば自分が作ったわけではないホテルの思想や文化を、どのように深め育んで行かれたのでしょうか。

ニコ:なかなか難しい質問だ。会社には、もとになる文化やコアバリューがある。それを理解することが、社内交流やゲスト交流の際にも重要で、それによってブランドの理解を深めることができた。トレーニングも、現場で何が求められるかをしっかりイメージできる良い内容だったよ。若い頃は学ぶべきことがたくさんあったから、自分の経験をオペレーションに落とし込めるようになるまで時間はかかったけど、新しいカルチャーを学ぶことができたんだ。


人と人がつながる場所「プティ・エルミタージュ」の総支配人に

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龍崎:ロサンゼルスの「Mondrian Hotel」の後は、どのようなキャリアに進まれたのですか。

ニコ:その後は、ウェスト・ハリウッドにある、家族経営のブティックホテルに勤めた。

龍崎:「プティ・エルミタージュ」ですよね。インスタグラムをフォローしています!以前から存じておりました。

ニコ:今まで経験してきた中で、最も良いホテルだったと思う。企業的な構造ではなく家族経営であることで、良いことも大変なことも、色々な経験をすることができた。兄弟2人でオーナーをしていたんだけど、ひとりはとてもクリエイティブな人だった。私が出会ってきた中で一番クリエイティブな人かもしれないね。オーナーのお父さんは、1980年代のウェスト・ハリウッドのデベロッパーで、いくつもの建物を立てていた。その中のいくつかはホテルになっていて、「Mondrian Hotel」もそのひとつで、もともとはアパートビルだったんだよ。

その兄弟もお父さんの建物を買ってホテルを作ったんだけど、何の変哲もない建物をマジカルな空間に変えていった。ステファン(オーナーのうちの1人)は、今でもその建物に愛と情熱を注ぎ続けている。たとえば、彼は、ホテル内にゲスト以外に向けたクラブ形式のコミュニティを作った。なぜなら、そのエリアは法的には住宅地区で、ホテルとしての利用ができなかったから。だから、プライベート利用ができるようなコミュニティを作ったんだ。すると、最初は小さかったホテルに、どんどん人が増え、常連も多くなっていった。それだけでなく、ホテルの体験も向上していったんだ。なぜなら、ロスのことを知らないゲストも、そのホテルに行けば誰か会えて、関係が作れるからね。そこで、僕は運命の人と出会う人を見たことがあるし、一緒にビジネスを始めた人も見たことがある。人と人がつながる場所だった。

龍崎:今、いろんなホテルで「つながり」という言葉が使われていますが、実際に体現するのは非常に難しいと思うんです。ステファンさんたちは、それをどうやって成し遂げて、人々に愛してもらえるようになったのでしょうか。

ニコ:大事なのは「目的」だと思う。ステファンの目的は、そのスペースを多くのクリエイティブな人で満たすことだった。大きくしてお金を稼ぐことが目的じゃなかったんだ。だから、メンバーになるには面接があったのだけど、職業とか給与とかそういうことではなく、その人が何に情熱を持っているか、どのように貢献してくれるかを重視していた。最後には、クリエイティビティを試されるような質問もあったよ。その結果、メンバーはパン作りに情熱を注いでいる人、アクロバットをやる人、ビジネスマンなど、クリエイティブで面白い人たちばかりだった。そういう人をホテルの一員として選ぶことが、彼にとっては大事だった。

龍崎:ニコさんは「プティ・エルミタージュ」でどのようなことをされていたのですか。

ニコ:ジェネラル・マネジャーだったんだけど、働き始めた当初は、まだ組織として完全には整えられていなかったから、まずはそこの仕組みづくりから始めた。前職だったらこうしていただろうと思ったこと全てにとにかく手を出していったんだ。ウェブサイトを作ったり、プロジェクトを手伝ったり。彼らの家族の一員のようだったね。

龍崎:一緒に働いた経験から見て、オーナーご兄弟は、どのようにホテルのカラーや文化を育てていったのだと思いますか。

ニコ:愛と情熱、リサーチ、探究心だと思うな。たとえば、旅行中には、世界中で出合ったたくさんのアート作品からインスピレーションを得る。また、誰も挑戦しないような新しいことをやる。彼ら自身が体験したい魅力的な世界を作ることが目的だから、誰が何と言おうと、彼らは気にしない。毎年、カリフォルニアの町おこしのために、世界中のアーティストを呼び集めて作品を作ってもらう1週間のポップアップをやってたり、バーニング・マンで5年間キャンプを行ったりもした。そんな風に、彼らは、他の人をわくわくさせるようなことをたくさんしていた。それは、お金のためではなくて、彼ら自身がそういうプロジェクトが好きで、ワクワクしていたから。お金は後からついて来るものだった。今彼らは、マリブの隣のトッパンガで、クリエイティブなホテル体験を作ろうと挑戦してるんだよ。インスタ映えを狙うとかじゃなく、もっとオーガニックなホテルを。彼らはホテル業で成功してきたから、その経験値によって、他とは違う体験を作れているんだと思う。


「ACE HOTEL KYOTO」の組織論

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龍崎:これまでを振り返りながら、ホテルを作っていく上でのニコさんの行動原理や哲学を教えてください。

ニコ:一番大事なのは、一緒に働くチームということだね。その考えは今でも同じだよ。正しいチームでなければ理想のビジョンには近づけない。ACE HOTEL KYOTOをオープンするにあたってとても良かったことは、一からチームを築き上げられたことだった。最初3人からはじめて、200人ものスタッフを雇った。それは「プティ・エルミタージュ」でも同じだった。ステファンも、誰を採用するかをとても大事にしていたからね。だから「ホテルにふさわしい人を採用する」。それが僕の哲学だよ。ふさわしい人とは、経験の多さではない。この組織にフィットする人だ。ふさわしくない人を採用すると、その人もハッピーになれないし、ハッピーになれなければ、チームをハッピーにもできないはず。だから、このホテルの風土にふさわしい人を見出し採用することが大事だと思う。

龍崎:面接の時には何を基準に採用していますか。

ニコ:たとえば、ACEはフレンドリーなホテルだから、フレンドリーな人を採用する。「フレンドリーなサービスを提供したいから、フレンドリーな人を採用するように」。それが僕が採用担当のマネジャーにお願いしたことだ。スキルが必要であれば今から育ててあげればいい。けれど、フレンドリーさはもう育てることができない。なぜならそれは、子供の頃に育まれるものだから。うちのスタッフは、他のホテルと比べて経験の面では劣るかもしれないけど、カジュアルでフレンドリーなサービスを提供するプロフェッショナルという自覚を持っている。スタッフには、積極的にゲストと関わってほしいし、ゲストにも従業員のことを覚えていてもらいたい。だから、ACE HOTEL KYOTOは、いいスタートを切れたと思っている。

たとえば、フロントスタッフは、全てのゲストに手書きのウェルカムカードを配っているんだ。それには、絵も添えられている。イラストレーターを雇ったわけではなくて、フレンドリーな人を採用をしたら、偶然イラストレーターだったんだ。ウェルカムカードだって、別に僕がお願いしたわけじゃない。でも、そのカード1枚で、ゲストは、シャンパンやワインの無料サービスなんかよりずっと特別な気持ちになれるはずなんだ。実際にレビューで1番多かった感想は「フレンドリー」。これは正しい採用をしたという証明だ。

龍崎:今働いておられるスタッフって、本場であるアメリカのACE HOTELには行ったことがない人も多いと思います。ACEのイメージは何となくあるものの、アジア初のACE HOTELということもあって、ACEらしさを100%理解している人ばかりではないと思うんです。ACE HOTEL KYOTOのスタッフに、どのようにACEの文化や考え方を浸透させているのでしょうか。

ニコ:そこに関しては、私も京都に来る前から課題だと思って、解決策も考えていたんだ。アメリカのACEに7、8年間勤めているスタッフで、10年前に京都に住んでいた人がいたので、その人をトレーニング・マネジャーに任命して一緒に来てもらった。そして、文化やブランドを理解できるようトレーニングをしてもらうことにした。試行錯誤しながらも、それがうまくいってるように思う。

龍崎:ちなみに、本拠地であるアメリカと、日本のACE HOTELはどのような関係性なのでしょうか。日本支社にはどのような裁量権があるのでしょうか。

ニコ:時差もあるし、言語も違うから、難しいところではあるけど、アトリエ(本社)とは密接な関係性だよ。アトリエはクリエイティブエージェンシーだから、PRにしてもマーケティングにしてもオペレーションにしても、共同で仕事を進める。私はアトリエのスタッフの延長線上みたいな立場でもあり、もちろんこちらのチームの一員でもある。だから、近い関係性を保つために、アトリエとも毎日のようにコミュニケーションをとっているよ。コロナ前は、幹部メンバーをアメリカに送って、本社のメンバーと関係を構築したりもしていたけど、コロナのせいでオープン時はアメリカから人が来ることができなかったけれどね。


これからのホテル・マネジャーを目指す人たちへ向けたメッセージ

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龍崎:京都は特に、接客業が発達しているので、そこでカジュアルさを売りとするホテルをやることに課題もあるように思うのですが、そこに関してどのように考えておられますか。

ニコ:人々は、そこでどのようなサービスを得られるかをある程度頭の中でイメージして行くと思うんだ。でも、うちのような新しいホテルとなると、そこまでホテルのことを調べて行かないかもしれない。だから、あまりホテルのことを知らない状態でサービスを体験することになる。空間はラグジュリーに感じるかもしれないけど、そこには「硬さ」はない。館内のいろんなところにあるアートも客室のアメニティも、他のホテルにはないようなユニークなものだ。だから、空間もサービスも含めホテル体験全体が、とてもユニークに感じられる。ゲストは、きっと私たちが何を提供しようとしているのか理解してくれると思うんだ。

もしもゲストが、ACE HOTELをラグジュアリーホテルだと感じるのであれば、自分たちが何を間違えたのかを反省する必要がある。だから、ウェブサイトやさまざまなチャネルを通じて、自分たちのカジュアルさが伝わるようにしている。文章でもフレンドリーさを出して、ゲストがリサーチをしてくれた時にどんなホテルか伝わるようにしているよ。もちろん、フレンドリーなサービスやコミュニケーションがあまり好きではないゲストもいるから、スタッフは目の前にいるゲストがどのようなサービスを求めているか把握できるようにトレーニングをしているんだ。ゲストに合わせて、丁寧な敬語を使う時もあれば、親しげに会話をすることもある。自分の対面するゲストがどんな人か理解することはとても大切だね。

龍崎:もともと、海外からのお客様も当然ながら想定されていたかと思います。今はコロナ禍で海外旅行ができない時期ですが、どういったことに取り組まれているのでしょうか。

ニコ:ご存知の通りコロナの影響で国境が閉ざされている今は、国内のマーケットに注力している。これは、ある意味でいい機会だと考えている。なぜなら、ACEは、日本ではまだまだ認知度が高くないから。国内マーケットに注力できることは意義のあることだと思うんだ。

龍崎:国内のマーケットに目を向ける上で、どのような方法を取られているのでしょうか。たとえば、テレビなどのマスメディアに出ると認知度は上がりますが、ACE HOTELのブランド価値が正しく伝わらない可能性もあると思うんです。

ニコ:難しいね。このホテルは、ACE HOTEL初のアジア進出で、客室213部屋、3つのレストランとコーヒーショップが併設されている大規模なホテルだ。そうなると、ニッチな層だけでなく、幅広い層のゲストを獲得をしなければならない。だから、より広範囲にわたる国内マーケットの獲得を目指し、新風館に入っているブランドなどとの関係を継続的に深めていくことで、彼らにブランドを拡散してもらい、同じように私たちも彼らのブランドを拡散できるような関係を築いてきた。

龍崎:ありがとうございます。では、最後に、うちのホテル含めて、ホテルマネジャーとして働いている人に、メッセージをいただけますでしょうか。「ジェネラル・マネジャーたる者こうあるべし!」みたいな(笑)。

ニコ:とてもシンプルだよ。ホテルの体験は、そこで働く人々が作っているということ。一人ひとりが一緒に働いている相手を気遣い、尊敬すること。そして、今直面している時代はとても困難な状況でもあることを理解すること。

日本の接客業のスタッフは減り続けている。新しいジェネレーションを業界に取り入れるためには、スタッフへの接し方も変えていかないといけない。そして、どのように次のリーダーを育てるか、どのようにその補助役になれるのかも考えていく必要がある。どう導いてあげるのか、どう教えてあげるのかが大事で、昔のようなトップダウンで命令を下す接し方は効果的ではないと思ってる。ハッピーな従業員がいれば、そこのゲストは必ずハッピーになる。

龍崎:メンターとして心がけるべきことは何でしょうか。

ニコ:とにかく、コミュケーションの量を増やすこと。それが一番大事さ。「何に困っている?」「何か手伝えることはある?」などと、困っているスタッフに手を差し伸べてあげること。部署や地位に関係なくすべてのスタッフの話を聞いてあげることだ。食器洗いでもハウスキーパーでもディレクターでもマネジャーでも同じだよ。全員ホテルの重役であり、彼らがいないと私一人ではホテルは回せない。だから、スタッフ全員と良い関係を構築するのがとても大事なんだ。上司や他のスタッフに質問したり助けを求めやすいような風通しの良い職場を、どうやったら作れるかを、常に考えてほしい。それが僕からのメッセージだ。

龍崎:ニコさん、貴重なお話を本当にありがとうございました。私自身大変多くのことを学ばせていただきました。


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(執筆:西岡ゆりえ、撮影:延原優樹、編集:角田貴広)


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