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連載・街を作った人 Vol.2 平坦な都市化に抗い続ける、カオスな商業施設「渋谷PARCO」の作り方

ホテルをとりまく業界の先輩たちからホテルプロデューサー龍崎翔子が学ばせていただく対談企画「ニューウェーブホテル概論」。その関連企画として「街を作った人」という連載を不定期で始めました。「スポットの当たらなかった場所に光をあてる」という龍崎の思想を体現した大きな取り組みが「街作り」。ここでは、街作りに尽力する人々に話を聞いていこうと思います。

今回登場いただくのは、約3年の建替え工事を経て2019年11月にグランドオープンを迎えた「渋谷PARCO」の開業を指揮した株式会社パルコ常務執行役・泉水隆さん。“遊び”を取り入れたさまざまな仕掛けが奏功し、オープン当日には入店待ちの大行列が生まれたことも記憶に新しいはずです。これまで渋谷という街のカルチャー作りに大きく貢献してきた「渋谷PARCO」は、これからどう街作りに寄与していくのでしょうか。

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泉水隆/パルコ常務執行役 PARCO開店準備室管掌
1960年9月13日生まれ。千葉大学を卒業後、1983年にパルコ入社。渋谷PARCO店長、浦和PARCO店長を経て、2013年3月常務執行役 店舗統括部門管掌に就任。19年3月から現職。


路面店が圧倒的に強い渋谷という街

渋谷PARCO1911

2019年11月開業の新生「渋谷PARCO」外観

龍崎:私たちは5つのホテルを運営していますが、それぞれ大阪なら弁天町、京都なら東九条といったように、メジャーな観光地からは少し離れた場所にホテルがあります。一方で、渋谷のように文化が集積している場所には、カルチャーを作ってきた先輩方の深い歴史があると思います。今回は渋谷のカルチャー醸成に大きく貢献してきた「渋谷PARCO」について、教えていただけるとうれしいです。

泉水:渋谷という街は、音楽はもちろんのこと、SHIPSの前身となる「MIURA & SONS」や渋谷109のガングロブームなど、ファッションの聖地でもあって、もっと広く原宿や恵比寿、代官山まで含めても、渋谷という街はカルチャーが生まれる街でした。われわれはよく新宿・池袋・渋谷という3つの副都心の比較をするのですが、池袋は小売りの売上の中で百貨店など大型店の売り上げが圧倒的に高い。駅直結の大型商業施設がたくさんあるので「駅袋」なんて呼ばれ方もしています。その対極が渋谷で、小売りの売上の中で専門店(=路面店)の売上が圧倒的に高い。渋谷は路面の街。街角からカルチャーが生まれてくるというのが渋谷の最大の特徴でした。

龍崎:「渋谷PARCO」はそんな渋谷の街のカルチャーを牽引してきたと思います。

泉水:1973年に「渋谷PARCO」がオープンして、70年代80年代と日本のヤングカルチャーをリードしてきました。現在「ホテル コエ トーキョー」のある場所はかつて「渋谷PARCO PART2」でして、ここの最盛期である1983年に私はパルコに入社しました。地下階には「イッセイミヤケ」とか「コム・デ・ギャルソン」とか日本を代表するブランドがあって、YMOの高橋幸宏さんがデザイナーを務める「ブリックス・モノ」なんかもありました。

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龍崎:オープンから約50年が立ち、渋谷の街は大きく変わりました。その中で「渋谷PARCO」にも変化はあったのでしょうか。

泉水:「渋谷PARCO」も絶えず変化を続けてきました。僕が店長を務めた2005〜2006年には“第二次東コレブーム”が起きて、東京ブランドの出店数が全国No.1になったり、その後も「ジーユー」の出店や「バオ バオ イッセイ ミヤケ」「アンダーカバー」の新業態が出店するなど、ファッションでは十分な発信力を持っていたと思います。上層階には「ONE PIECE」の公式グッズショップ「ONE PIECE 麦わらストア」の全国1号店を核としたサブカルチャーゾーンを展開し、アニメ・カルチャーとモードの両方が売れる面白いお店になりました。

龍崎:なぜ、今回の建替えに至ったのでしょうか。

泉水:建物の老朽化による耐震補強と、駅前の再開発が発表されたということが背景にあります。「渋谷PARCO」の魅力を表現するにはもう建て直すしかないということで、東京都に再開発特区の申請をして受理されました。そうして、2016年8月から一時休業し、建替え工事に入ることになりました。

龍崎:再開発特区だったのですね。

泉水:再開発特区は通常、交通動線の向上などがなければいけないのですが、パルコにはそういう動線がありません。ただ渋谷区の「ブロードウェイ構想」に応じる形で、PARCO劇場を拡大するなど、文化発信拠点を核にした再開発を提案したんです。


ゾーニングのない“商店街”のような施設

F屋上

立体街路がつながる「渋谷PARCO」10階の屋上庭園

龍崎:「世界へ発信する唯一無二の”次世代型商業施設”」をコンセプトに掲げた新生・渋谷PARCOですが、その特徴を教えてください。

泉水:ターゲットは“ノンエイジ”“ジェンダーレス”。インバウンドも視野に“コスモポリタン”を掲げました。そもそも建替え前の「渋谷PARCO」のインバウンド売り上げ構成比が約20%でしたので、比較的外国人のお客様は多かったと思います。2019年はパルコ開業50周年の節目であり、さらに次の50年を見据え世界に向けた新しい商業施設を作っていこうという気概でした。

特徴的だったのは、竹中工務店が提案してくれた1階から10階まで続く立体街路です。「スパイラルウォーク」と呼んでいますが、路面の街である渋谷を意識し、街の延長にある商業施設として、建物の周りをぐるっと取り囲むような外通路を設けることにしたんです。渋谷は坂の街ですから、この通路は街との相性もぴったりでした。

結果として、ヴィンテージショップ「ベルベルジン」は立体街路の3階に位置し、外通路からしか入れない路面店のような構造が生まれました。かつて「渋谷PARCO」の1階にあったブランドの多くが4階に移りましたが、外通路で4階へ上がると屋外広場があって、もうひとつのメイン・エントランスのようになっている。また10階には自由に入れる屋上庭園や休憩スペース、四季を感じさせる植栽を配置するなど、パルコらしい街に溶け込む商業施設が生まれたと思います。

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かつてのネオンサインが館内に展示されている

龍崎:施設内の店舗の配置などに“カオス感”を感じることも、従来の商業ビルとは異なる点だと感じます。

泉水:「渋谷PARCO」のもうひとつの特徴が“ゾーニングをしていない”ことです。新しい商業施設のあり方を考えた時に、面白いと感じたのがゴールデン街やニュー新橋ビル、中野ブロードウェイなどでした。つまり、それらは商店街で、綺麗に配置されたテナントとは違って自然発生的にできあがった並びなんだと。だから、商業施設では一般的なソーニングをやめて、アットランダムな商店街のようなレイアウトを実施することにしたんです。物販と飲食などの垣根もできるだけシームレスにしたかった。なので、壱岐ゆかりさんのお花屋さん「ザ リトル バー オブ フラワーズ」は夜にはバーになりますし、NIGOさんの「ヒューマンメイド」にも日本酒を置いてもらったり、「WAVE」というレコード屋にもコーヒーの自動販売機があります。

龍崎:カオス感があるおかげで、中を歩いているとどこにいるのかわからなくなる時があります(笑)。

泉水:普通はフロア内に2カ所あるエスカレーターを平行に配置することでわかりやすくするのですが、T字に設けたことで、通路がわかりづらくなりました(笑)。逆にそれが迷路感を演出できたようで、街歩きのような楽しさを生み再来訪にもつながっているようです。

もうひとつの特徴がアナログを取り入れたことです。新しい商業施設はさまざまなデジタル活用をしていますが、われわれは伝統と革新というテーマに沿って、ある程度の伝統=アナログを残すことにしました。まさに路面店をアナログと捉えているわけです。また、1階の歩行者専用通路「ナカシブ通り」の吹抜け2階部分にはアートウィンドウを設置して、現在は田名網敬一さんのインパクトあるアート作品を展示、加えて1階の西側壁面にはウォールペイントを復活させました。

龍崎:伝統という点で他に継承したものはありますか?

泉水:かつて「渋谷PARCO PART1」の外壁に設置されていた五十嵐威暢さんデザインのパルコネオンサインを、現代アート作品として館内に展示しています。地下1階のカオスキッチンに「C」、7階のレストランフロアに「R」、PARCO劇場のエントランスがある8階に「P」と、フロアと連動した配置になっています。また、1階ナカシブ通りの手押しドアの取っ手はかつて「渋谷PARCO PART3」で使用していた取っ手をそのまま使っています。パルコの創業から携わっていた増田通二さんが「パルコには、重い手押しドアを開けてわざわざ入っていただくんだ」と言っていたそうで、その考えを取り入れました。とにかく、自分としてはピカピカのビルを作りたくなかったんですね。


「コンテンツ作りにおいて、マーケティングはやらない」

ナカシブ通り

1階の歩行者専用通路「ナカシブ通り」

龍崎:それぞれの店舗からも、いい意味でパルコらしい“カオス感”を感じます。

泉水:テナントの軸は大きく5つで、ファッション、アート&カルチャー、エンタテインメント、フード、テクノロジーです。一番やりたかったのはアートと商業の融合。これは(セゾングループ生みの親でもある)堤清二さんが提唱し続けたことです。今回の「渋谷PARCO」にはギャラリーを9つ取り入れました。堤さんと一緒に仕事をしていた糸井(重里)さんにこのうち2店舗を運営してもらっているのですが、糸井さんとは小沢健二さんのライブで偶然お会いした際にご挨拶がわりにご協力いただきたい旨を伝えたんです。その後正式にオファーをしてご快諾いただきました。1階には「WAVE」が新しいプロジェクトとして復活していますが、近くにあるライブハウス「WWW」をもともと「WAVE」チームが運営していたということで、出店するならこの場所しかないだろうという話になりました。

龍崎:全ての出店の背景にいろんなつながりがあるのがパルコらしいですね。まさに堤さんが作りあげたセゾンカルチャーを現代に継承しているのだと感じます。渋谷といえば冒頭にもあったファッションの街だと思いますが、ファッションについてのこだわりはありましたか?

泉水:ファッション・ビハインドの時代に、あえてファッションビルを作ろうと。世界中のファッションシーンを見てきた中で、日本のメンズファッションやストリートファッションは世界的に人気が高いと確信しました。「イッセイミヤケ」や「コム・デ・ギャルソン」はパリコレでも大変リスペクトされていますし、藤原ヒロシさんやNIGOさんのデザイナーからの人気は本当にすごい。

一方、4階には「リアルOLファッション」というテーマで(「スナイデル」「ジェラート ピケ」などで知られる)マッシュホールディングスのブランドが多く出店しているのですが、(社長の)近藤(広幸)さんの時流を掴む感覚に共感をして、このゾーンを展開することにしたんです。結果として、フロアごとに原宿や青山、モード、ストリート、OLファッションなどあらゆるジャンルが混在していて、東京の面白さをぎゅっと凝縮したファッションビルになりました。

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龍崎:コンテンツの作り方が現代のマーケティング手法に逆行しているような気がします。

泉水:このビルを作るにあたって、実はマーケティングを一切やらなかったんです。その代わりに、ウオッチングというか、人に会ったり、いろんなことを体験して本当に面白いと思ったものだけを入れることにしました。あとは、かつての「渋谷PARCO」を知る方々にインタビューをさせていただきました。

龍崎:インタビューをやってよかったと思うことはありますか?

泉水:会えない人に会えたことですね。会うとみなさん熱心に意見をくださる。軍地彩弓さんから「男っぽいからフワフワしたフロアを作った方がいいよ」と助言をもらったり、「ヌメロ」編集長の田中杏子さんからも「日本のブランドをたくさん入れた方がいい」などとアドバイスをいただきました。いかに「渋谷PARCO」が愛されていたのかを実感しましたよ。一方で、かつて73年のオープン時と同じようなインパクトを作らなきゃいけないと身が引き締まりましたが(笑)。


街の「路面店」として渋谷の平準な“都市化”に抵抗し続ける

渋谷パルコ1973年(大成建設撮影)

1973年開業当時の旧「渋谷PARCO」

龍崎:たくさんの人と会ってきた中で、印象に残っていることはありますか?

泉水:2012年に社内資料としてパルコの歴史や思想を紐解く雑誌を作りました。その際に(ユナイテッドアローズ会長の)重松理さんにお会いしたのですが、「ぶっちぎりのビルにしなきゃ」ということを言っていただき、この「ぶっちぎり」というフレーズがすごく印象に残っていますね。

龍崎:まさに新生・渋谷PARCOが体現しているカオス感の原点ですね。

泉水:昔から意味がわからないことを表す「話がパルコ」という表現があったくらい(笑)、パルコは本来「〇〇でなきゃいけない」という固定概念がない企業なんです。自由で新しくて面白いものをゾーニングせずに集めた結果、新しい「渋谷PARCO」ができました。マーケティングをしないことで、時流とは異なる立ち位置を維持することができましたし、むしろ反対に世の中の空気感を表現することができたんだと思います。

飲食分野なんか、あえて飲食のリーシングチームにファッション担当を加えてテナントを決めていったんですよ。その結果、ブルボンヌさんプロデュースのMIXバー「キャンピーバー」が純喫茶「はまの屋パーラー」とコラボしていたり、吉祥寺から移転したミュージックカフェ&バー「QUATTRO LABO」やレコードショップ「ユニオンレコード」があったり。本当の「カオスキッチン」が生まれました。

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地下1階の「CHAOS KITCHEN(カオスキッチン)」

龍崎:錚々たるメンバーですね。では、渋谷という街の中で「渋谷PARCO」はどんなポジションでありたいと考えますか。

泉水:次々と再開発が進む中で、レギュラーな都市化を食い止めたいと思っています。渋谷は路面がしっかり機能する街でありたいと。われわれは決して渋谷という街をリードしようとは考えていません。むしろ、かき回す役目です。かき回して、平準な都市化が起こらないようにエキサイティングでデンジャラスなことをやっていきたい。

龍崎:「公園通り」とか「スペイン坂」などのネーミングにも「渋谷PARCO」が関係しているという説もありますが、これからさらに街を活性化するために「渋谷PARCO」がやっていくべきことはどんなことでしょうか。

泉水:ビル自体は完成しましたので、これからはイベントなどを通じて街と融合することをやっていかなければいけません。あくまで路面というマインドを持って、ナカシブ通りや屋上を使いながら、どんどん企画をしていきたいと思います。

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対談を終えてーー
どこまで行っても渋谷は日本の東京。でもそれは昔から当たり前だったわけではありません。若者が集まり、文化発信の中心地となったきっかけは、音楽好きが集まる一軒のおでん屋から、というエピソードに心を掴まれました。人を惹きつける人がいて、集まる人がいて、その流れを加速させる人がいる。都市という生き物は、人が生み出し育てたものなんだと実感しました。

(文:角田貴広、写真:小野瑞希)


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