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不運を引き寄せる人、幸運を選ぶ人。

”なぜ自分を癒さないとならないか?”

先日開催したヒーリング講座でも話題に上がったのですが、

自分を癒すということの必要性と意義を理解している人はまだまだ少なく、

自分を癒す=病気を治すと思ってる方も多いかもしれません。

ですので、すでに精神的に追い込まれて身動きが出来ない状態になってから重い腰をあげます。

病気を患っても、要因はカラダの方にあり、自分の意識が体に影響を与え、病気を生み出していることにほとんどの人が気づいていないのです。

真の病的状況というのは、人間関係や生きづらさに現れ、一見誰でも抱えてる問題(だと捉えてられている)の中にあり、心の病気や肉体の病気はその一片にすぎません。

自分では望んでいないと思えるような不快なことを、他の誰でもなく自分自身で引き寄せているという事実を受け入れるのは、とても勇気がいるものです。拒絶反応が出るかもしれません。

私がこの仕事に就こうと決め、カウンセリングの学校に通っている時分、何冊か精神科医やカウンセラーの書いた本を読みました。その本に書かれていたことの中に、とても印象に残った話がありました。そしてそれは当時の、私の友人にも当てはまる内容でした。

いつも絶え間なく病気をしている女性の話です。

病気が治るとまた次の病気にかかり、健康な時はほとんどありませんでした。

アルプスの少女ハイジに出てくるクララが足に問題がないのに立てなかったように、精神的な理由で常に病気を手放せないでいたのです。

もちろん本人にその自覚はありません。通常カウンセリングは、クライアント本人が自分で気づこうとしないことに無理やり触れたりはしません。

クライアントが自分に向き合い、受け入れられる心の準備が整ってから、気づきを促します。

その女性の夫は、奥さんを気遣う優しい人に見えましたが、妻に内緒で浮気をしていました。奥さんはそのことに気づいていました。

しかし、その女性は夫と別れることも話し合うこともしませんでした。その代わりに自分が病気でいることを選択したのです。

自分が病気だから夫が浮気をするのだ。病気なのだから仕方がない。と責任を病気に押し付けることで心を守ろうとしたのでしょう。

ですから、健康になることを恐れ、治っても治っても、次から次へと病気に罹りました。

かつての友人にも同じような傾向がありました。

子供の頃に両親が別れ、見捨てられ不安がありました。彼女は、病弱で病気であることを理由に気遣ってもらい、一人では生きていけないという体を醸し出すことで、見捨てられまいとしました。

弱い自分を演じることで、周りの人に気遣ってもらえる。注目をしてもらえる。見捨てられなくて済む。

強い見捨てられ不安がある人は、病気を利用して見捨てられまいとすることがあります。病気の人を見捨てたら罪悪感が生まれるであろうことを承知の上で、別れを切り出したら、病気になったり、自傷行為をしたりと、自分の体を利用して相手を脅すような行動をするのです。

その友人も不倫騒動で話し合いの後に(友人が不倫していたいのですが)自殺未遂をしていました。

病気であることにメリットを感じている人は、次から次へと病気にかかりますが、本人はそれを自分で作り出していることに決して気づこうとはしません。

気づいてしまえば、一番恐れていることと向き合わざる得ないため、何が何でも逃げようとします。

しかし、本来、カラダは完璧だそうです。

もちろん例外をありますが、基本的にはわたしたちの意識が調和していれば、健康でいられるようになっています。

心の声や体の声を聞かずに、怒りや悲しみを溜め込んだり、疲れを溜め込んだりすると病気という現れ方で、わたしたちに、「無理してますよ。休んでください。」と教えてくれるのです。

身体そのものが自分だと思えば、自分を愛せない人は、自分の体を雑に扱うでしょう。

更には、カラダだけではなく、あなたの”思い””感情”も、軽く扱い、無視し、雑に扱ってしまうのです。他の人を優先にして自分を後回しにしてしまうかもしれません。


しかし、あなたの思いをあなた以外の誰が大切にしてくれるのでしょうか。

心身が病気にならない場合でも、過去の傷を癒さずにいると人間関係で辛い思いをします。


自分を痛めつける破滅的なタイプを引き寄せてしまうのです。

自分を利用するような人や意地悪な人、軽く扱う人が頻繁に登場するようなら自分をもっともっと大切にするように心がけてください。

愛に飢えていると、ほんの少し優しくされただけで、あるいは理解してくれるそぶりを見せただけで、すがるように自己犠牲をしたり、見捨てられまいと必死で与え続けようとします。

自分で自分を受け入れていないから、自分以外の人に受け入れてもらおうと必死になるのです。

しかし自分を受け入れていない人は、受け入れてくれない人を引き寄せます。

自分の奥底にある劣等感に気づいていないタイプの場合は、世話を焼いてあげなければならない、ヒモのような男性や自分で決断できない男性など、精神的に未熟な男性(女性)を引き寄せます。その結果、いつもパートナーが持ってくる厄介ごとで頭を悩ませることになります。

もちろん完璧な人はいませんから、誰にでもダメなところはあり、お互いに助け合いながら生きていくのですが、自分を愛せないと同じように自分を愛せないタイプを引き寄せてしまうために、愛を分かち合うというよりは、奪い合いに発展し、自分を癒しなさいと、鏡としての役割を果たしてくれるのです。

虐待を受けて育った人が、DVを受けやすかったり、反対に自分が虐待をする側に回ったりするのは、ベクトル方向の違いで、する側になるか、される側になるかの違いであり、課題は同じです。

もちろん、加虐することが正当化されることはありませんし、いじめや虐待を受けている人が咎められるべきではありません。

根本的な解決方法を提示するとなると、どちらの側の人間であっても自分を癒す必要があるということです。

自分を愛せない人は、自分に与えようとしません。

愛を受け入れることができず、与えない人ばかりを選びます。欲しいものがあっても、なんだかんだと理由をつけ、諦めてしまったり、後回しにして、手に入れようとはしません。

自分を傷つけ、追い込むようなシチュエーションを自ら選びます。

そして苦しい苦しいともがくのです。

病的状況を周りに引き寄せては他人のせいにして怒りを爆発させます。

しかし、それでは解決には至らず、同じパターンを繰り返しつづけるだけです。不平不満の愚痴を言っては誰かで憂さ晴らしをする。結局、自分自身も同じように誰かを傷つけているのです。

波動の高い人に天の邪鬼はいません。言い訳もほとんどしません。

自分を癒していくと、
素直に純粋になっていくからです。

自分を癒し、尊重できるようになると、破滅的な人間関係に引き寄せられることはなくなり、成長のみられない人間関係からは距離を置けるようになります。相手を正そうとも思わず、そういった人は興味の対象からも外れていくでしょう。

自分にとって良いもの。美しいもの。素晴らしいと思うものを素直に受け取り、受け入れることができるようになるのです。

与えることに躊躇をしないでしょう。自然に幸運にも恵まれるようになります。与えたものが自分に返ってくるからです。

シンプルに純粋になっていくことで物事は進みやすくなり、自ら困難を呼び込むこともなく、らくらくと楽しみながら生きられるようになります。

苦しい、辛いと言う人生ではなく、感謝をしながら、楽しんで生きていく人生です。

自分が自分に何を与えると決めるか。それだけです。

どんなに神様が与えようとしても自分で受け取ることを拒否する人に与えることは出来ません。

愚痴を吐いて、不運を他人のせいにして生きるか。

それとも、幸運を引き寄せ、感謝しつつ、楽しく生きるか

あなたはどちらを選ぶのでしょう?

自分が望む経験をオーダーしながら、人生をクリエイトしましょう。


Suiren. Echo

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