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これから未来

昨日、安倍元首相の国葬が無事、執り行われた。
仕事中でその模様は今朝のニュースでダイジェストのように見るだけだったけれど、関係各位の表情から、行われて良かったように思えた。
連日、国葬反対するニュースばかりが先に立ち、日本全体が諸外国からみると内外の分断と映っているような報道すらあったけれど、結果的には一般の弔問者も数多く行列をつくり、故人の死を悼んでいた。偏った報道は偏見を生むことに改めて気付いた。
友人代表の菅さんの言葉は聞いていて心に響く。
読みかけの本の一句のくだりは、日本人として心情を察するに相応しかった。
海外からの弔問客である諸外国代表の方々にも、参列していただけて、当時の外交を築かれてきたことが改めて偲ばれた。
衝撃の事件から時間をかけて、ショックを受け止め、受けいれ始めていることを見ていて感じた。

現実では評価は二分している。
でも、それはむしろ正常なような気もする。
万人が全てOK、それは理想的だけど、現実社会でそんなにシンプルにコトが治ることにはなかなか出会えない。出会えたとしても、それは長くは続かない。なんらかの妥協や協調や譲歩といった相互理解が必要になる。かと言って二分したままでいいか?と言えば、それはそれである程度、許容範囲に収まることが平和だと思う。

難し過ぎると、どう関わっていいかもよくわからない。わたしは直接知る由もない。国際的外交と経済と環境問題、様々なリーダーシップで日本を率先しでくださった事にただ感謝し、残された思いは受け継いでいく。
地球儀を俯瞰する外交の意思を受け継いで、…行けるのかな?日本🇯🇵

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