九月終わるジャーン。


普段大学で着ることのないオシャレな服を着て、いつもより丁寧にお化粧をして、浮き足だった気持ちを抑えて、15分くらい知らない土地を歩いて目的地に向かったんだけど。

ヴーン推し生きてた〜。き、キレイ〜。

という感情がもうすんごい押し寄せてきましたよ、ええ、そりゃあそりゃあキレイでした。

気持ちの良い空気だったな、知らない土地を歩くのは好きだ、住宅街はより。知らない人の生活を近くに感じれるから。


今週凄い悔しかったんだよな。
自分が何もできなくて、作品が何にも成らなくて、友達の作品がどんどん良くなってて。狡いとかそういう感情じゃなくて。作品に成った瞬間を見た。自分はそこまで向き合ってない、己の甘さに。凄い良いデザインの美術館のチラシを見た。そこに載ってた作品は作者の時間の掛け方が実物を見てないのに分かる、そんな作品だった。
終わりが分からなくて、進まなくて、どうしたら良くなるかも分からない。凄い悔しい数日だった。と言ってもぼくにとっての悔しいは原動力の一つなので、あぁまだぼくは成長できるんだなって思ってるよ、すぐ逃げるから、再起する為の足腰は割と強い方なんだ。


最近ちょっと先の将来を考えることが増えて、それはやりたいことと、どう生きたいかが段々と見えてきたからなんだけど。
え、何かこの上の文前にも書いたことない?そんなことない?最近文字に起こすことが多くて、何を載せて何を載せてないかがもう分かんないんだよね。
話は戻りまして、そこで思うのが、こうやって周りの人を見ながらその人達の生活を勝手に考えて、ああやっぱりぼくってこれからも一人なんだなってことで。海堂は一人にはなるなよって言ってたんだけどな。
まあ一人でも良いよな。なるようになるはずだと思って生きているので、一人のままならあぁぼくはそれまでだったんだなって思うし、もし誰かが隣にいる人生になるのならそれもそれだしなって。求めないと手に入らないモノなのかもしれないけど求めなくても良い生き方はあるよなって思ってる。
綺麗に身を整えている女性を見ると、羨望とかそういう感情と共にどうしてもそれになれないことの苦しみを感じるようになった。
ぼくって何の形にもなれないのかな。

相も変わらず母には性別のバイアスを掛けられ、教授には「将来なりたいものは何だ、お嫁さんか?」と、他意は無いって分かってるけど、ぼくが絶対ならないであろうモノを提示されて。いやまあいつかなるかもしれないんだけど。

求めて甘えて許せれるようになりたい。他人に優しく、自分にはもっと優しくなりたい。自分がやりたいことを誠実に汲み取りたい。自分のことを愛せるようになりたい。
他人に優しくするのも全部自分がやりたいことで。他人が蔑ろにされるのは自分が蔑ろにされるよりずっと堪えるんだよ。ぼくの周りの好きな人達がずっと豊かでいてほしい。これは何度でも言葉にしてるけど。これからも言葉にするけど。ぼくが周りの豊かを阻害することはしたくない。

ぼくはこれからもずっと豊か。

生きる権利も死ぬ権利も誰にも等しくあるはずだ。死ぬタイミングを選べてもいいなと思う。生きなきゃいけない環境は苦しくなることが多い。そもそも生きてなくてもいいんだけど。

一人一人にその人が生きてきた背景がある。でもそれはちょっとやそっとの関わりで見えるものでは無い。だからぼくは何であれ安易に否定したく無いんだよ。

今回のおでかけで明日からも生きるための手帳とノートと、推しが面白かったって言ってた厚みのない小説を買った。これからこの紙ペラ達を見るたびに、ぼくは今日あったことを思い出して嬉しい気持ちになると思う。こういうちょっと特別な日常に、これからも続くありふれた日常の物を買うとその時間に戻れるから好きだ。
まあ10月始まりの手帳をいつも買っているので今日で9月が終わることに気が付いて慌てて買ったんですけど。

みんな生きてる?ぼくは踠きつつもなんやかんや楽しく生きてるよ。休みが欲しいよ。あとは丁寧な生き方を前よりちゃんとやっているよ。これからも継続していきたいね。

アー寝たい!アラームに囚われず午前を潰す睡眠をしたい!取り敢えず制作は来週で一区切りつくので頑張って生きます!推しに幸あれ!


Galileo Galilei/ファーザー

2023.09.30

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