無意味にしないための雑記

夜中、家族はいつも通り寝ている。
家事を終わらせてゲームでも…と思ったが、本当に悪い癖で気づけばスマホを触って時間を無為に過ごす。この時間で趣味、やらなければならない仕事、時間をかけて本当に取り組みたいと夢想するアレコレに取り組めたと毎晩思う。そんな無駄を取り返そうと思いつきで文を書いて残す。3月ももう終わり。まだ寒い。

夜中に一人でいると、どうにもどうしようもない考え事をたくさんしてしまう。夜に何かを決断するのはやめた方が良いのは本当かもしれない。
今も適当に文を書いているが、僕は生来何かを遺すことに飢えている人間なんだと最近よく思う。

なぜ生きている?という質問には「好きなこと、楽しいことを(他人のそれを侵害しない程度に)するため」と答えてきたし、今もそう思っているが、何かを遺したいからというのも一つ回答に加えることにした。

長文で講釈垂れるような立派な理由は無い。好きなことや楽しいことをやっていても、やっていない平々凡々な日々にも終を意識してしまう僕にとって、何かを遺しておかねばという強迫観念とも取れる思いは、ただそばに居て離れてくれない。

終活をするのに早すぎることは無く、家族や友人、関わってくれた人全てに自分という人間を少しだけ遺してくれたら。僕の人生にも、まぁ大なり小なり意味があったんじゃ無いかなと思う。

無意味な人生を送るのは実は相当難しい。人には種の保存の本能とは別に、そういう人の記憶やら歴史やらに残ろうとする大変厚かましい生存本能が備わっていて、僕もその欲求にただ転がされているだけなんだろう。故に、無為に過ごしたこの時間にせっかくなら何かを残してやろうと半ば自分に追い立てられるように指を滑らせる。
雑筆でも文字にすれば何かを残した気分になれて良い。別に眠くはないけれど、残すことばかり考えてないで、先の明日の自分のために寝てやる事にする。

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