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第1部第1章:サラ

私は、良い『親』ではなかったのでしょう。
陛下。私は、貴方に愛されたかった。

かつて、卑しい大和の奴ら――自分たちだけが人間だと謳う、呪術も魔術も使えない、ただの肉塊どもが、私たちの住む土地を奪いました。
かつて私たちは、土蜘蛛と呼ばれる民族でございました。肉塊どもに住む土地を奪われてから、私たちは元いた場所から逃げて、ある海辺の土地に隠れ住むようになりました。
私たちは、海辺に住む土蜘蛛という事から、やがて自分たちの事を海蜘蛛と呼称するようになりました。
あいつらから、私たち海蜘蛛は隠れるように暮らしていました。

陛下は、何千年もの間、海蜘蛛の里を守り続けてくださいました。
聞くところによれば、肉塊どもの目から、私たちの世界を隠す結界が保てなくなっているらしいのです。
それに、陛下はかなりお年を召しておられました。不老不死の我らには、年齢など関係はありません。
然し、何千年も生きていればやがて精神は疲弊していくものらしいのです。
陛下は、ある時からご自身のまつりごとに限界を感じられたのだそうで、次代の王となりうる蜘蛛を育てあげることにしたのです。
他に候補としては、陛下の家臣である、ヨナという男蜘蛛がいました。
次代の国王を出るという話が出た時、習わしや決まりを改革して、男を王に立ててもいいのでは、という話が出ました。
しかし、男性が王となるなんてとんでもなくありえない事です。
男が国の頂点に立つ事など、きっと厄災を招いてしまうことでしょう。
ヨナは悔しい事に優秀でしたので、彼がもし女であれば次期国王候補になっていたかもしれません。
私は、陛下から王となるべく育てられた、次期国王候補の蜘蛛でございました。

私は、出来損ないでした。陛下に褒めていただいた事は、ただの一度だけです。
寒空の中、屋外に放り出された事もございました。
出来ない事を、何度も何度も怒られました。
泣けば陛下は嫌な顔をするので、私は泣かなくなりました。
いつでも陛下は、怒っていらっしゃいました。
それでも、私は陛下を愛していました。
陛下は、確かに私に厳しかったのです。しかし、何よりも、良い後継ぎとなるように育ててくださいました。

ただ、一度だけ彼女から褒められた事がございます。
ある時、陛下と共に浜辺を散歩していた時の事。
ふと陛下が、「お前はいつもがんばっているね」、と柔らかく笑って、頭を撫でてくれたことがありました。
陛下が微笑んでくださったのは、その時のただ一度だけです。

話を少し戻します。陛下の家臣である『ヨナ』は、男のくせに、陛下にえこひいきされていました。彼は家臣としての教育を、受けていました。
陛下は、彼のことをたくさん褒めていました。何故でしょうか、私の方がうまくやっているのに。
陛下は、彼を兄と慕えと仰っておりました。が、私はとてもそんな事ができる気がしませんでした。
ヨナは、里のものたちからも好かれていた蜘蛛でございました。あんな弱気な男、なぜみんなから好かれていたのでしょう。

ある時、陛下から告げられました。
「……次代の王は、別のものを立てる。お前には、代わりに別の役目を与える」
耳を疑いました。たくさん頑張ってきたのに、なんで?って。これまで、あんなに、頑張ってきたのに。
「私がダメだからですか?」と、聞きました。陛下は黙って首を振りました。「それでは、なぜ」と聞いたけれど、教えてはくれませんでした。
「お前には、この子を育てて欲しい」
そう言って陛下は、ひとりの赤子を私に渡してきました。
この里では、ある程度の年齢になったら、その年に陛下の産んだ子を育てる決まりになっています。
その役目を『親』と呼びます。
陛下の世継ぎである私は『親』から免除されていました。しかし、その役目から降ろされた今『親』の役目となることは必然でした。
ゆっくりと震えながら、赤子を受けとりました。緑色の目が、くりくりとこちらを見ていました。
……世のことを何も知らぬような純粋さが、疎ましいような、妬ましいような、そんな気持ちになりました。
彼の名前は、陛下が手づから『イサク』と名付けました。

赤子の世話をするのは、大変でした。
餌の用意、おしめを変える、寝かしつける、あやしつける。
なぜ私がこんなことを――
こんなことを考えながら、赤子の世話に追われる日々が続きました。
どの赤子もそうですが、イサクが言葉を話すようになるまで、随分と眠れない日々が続きました。
まず、イサクは夜泣きがとても酷かったのです。

また、イサクはすぐに怪我をします。私たちは怪我をしても、すぐに治るのだからさほど問題はありません。
ただ、未成熟な子供はそうもいきません。未成熟な子供は、怪我がすぐには治癒しないのです。
いつも、はらはらしながら見守っていたことを覚えています。

イサクの世話は、なかなか大変でした。ただ、世話を頑張れば、陛下がまた私を褒めてくれるかもしれない、と思えば頑張れました。
なるべく、良い親であろうとしました。

良い親には、なれませんでした。

私は里のものたちから次代の国王候補から降ろされたもの、出来損ないと言われていたので評判は良くありませんでした。
彼らは次代の王という立場であった時とは違い、態度を露骨に変えてきました。
仕方の無いことかもしれませんが、そんな彼らに嫌気が刺していました。

赤い帯を身に着けていることも、彼らにとっては気に入らなかったのかもしれません。
赤い帯は、火の色です。火は、私たちにとって縁起の良くないものです。
それでも、この赤い帯は、陛下から賜ったものですから、絶対に外したくはありませんでした。
私は里のものに嫌われていましたから、私に育てられたあの子も、みんなから嫌われてしまいました。

良い親というのは、子を叱るときに言葉で諭すのだと言いますが。
私は、陛下にされたように、イサクに何度も手を上げました。
そうすれば、イサクは随分と静かになってくれました。扱いやすくなりました。気が利く子になってくれました。
叩いた後は、私も辛かったのです。でも、どうすればいいか分かりませんでした。
言葉で諭す、というのはどうやればいいのでしょう。どうすれば、よかったのでしょう。
手を上げた後の、イサクの顔が忘れられません。私は、どうやって彼を叱ればよかったのでしょう。
教えてくれる蜘蛛は、いませんでした。
イサクが、大きくなっていくごとに陛下にも、どことなくヨナにも似ているのです。…それが、たまらなく嫌でした。

ある時、ヨナが家を訪ねてきました。
ちょうど、イサクを叱っている所を見られてしまいました。
ヨナは私を叱りました。ただの子供に、なんて叱り方をしているのだと。
叱った後、ヨナは優しい声で「なんでこんなことをしたのだ」と尋ねました。私は、ぽつぽつとこれまでのことを話しました。
ヨナは、優しく話を聞いてくれました。私の頭を、優しく撫でました。叱るヨナは私を殴りませんでした。
久々に、「大丈夫か」と気遣うような言葉をかけられました。…その時、ヨナは、本当に優しかった。
ヨナがみんなから好かれる理由が、分かった気がします。
ヨナ曰く、子供を叱るときに、手を上げてはいけないのだそうです。躾だとしても、それはいけないというのです。
ヨナは、私が疲れているようだから、時折イサクの面倒を見にきてくれるといいました。

ヨナがイサクの面倒を見に来るようになって、私に正しい子供の育て方を教えてくれました。
ヨナが来てから、生活がだいぶ楽になりました。
私は、イサクの事を全て知っているつもりでした。
しかし、ヨナが来てから視野が開けて、余裕が出来て、イサクの事について、知らない事が多い事に気付きました。

イサクの笑った顔が好きになりました。
好物を食べた時に、少しだけ頬が緩みます。
イサクの名前には、『笑う』という意味があるそうです。彼の笑顔につられて、私もいつも笑ってしまいました。

イサクの髪が好きになりました。
やわらかな猫っけの、黄金色の髪。よく彼の髪を触ったものでした。
女の子であれば、かんざしや、色々なものが似合ったでしょうに。

イサクは黙々と独りで何かをする事、身体を動かすことが好きなようでした。
よく珍妙な生物を造っていたり、私にもよくわからない遊びをしている事が多いようです。
彼が何か独特な遊びをしている様子を、洗濯でもしながら眺める時間が好きでした。

しかし、奇妙な遊びをしてばかりいましたので心配をしておりましたが、イサクには友達が出来たようでした。
少し、安心しました。
私にも、ヨナの取り計らいで友達が出来ました。
中々慣れないものでしたが、これまで避けていた里の者たちとの交流は、案外楽しいものでした。
私の視野が狭かっただけで、中には私を気遣ってくれていた優しい蜘蛛たちもいたようでした。

私はイサクのことを、愛していたのだと思います。
正しい愛し方をしてあげられなかったけれど、大事に思っていました。
愛していた、と思いたいのです。

イサクは、私のために尽くそうとしてくれました。
優しい子でした。私は駄目な親でしたが、彼は私に尽くしてくれました。
ヨナが来てから思考がまとまって、私は良い親になりたいと思いました。
良い親になるために、イサクに手を上げようとするのをやめようとしました。
もう、イサクに手を上げるような事はするまい、と思いました。
少しずつ、私は『次代の国王』から、『親』であるということを受け入れていくことができました。
受け入れた、と思っていたのです。

――ある日のことです。
イサクが、陛下からの言伝を持って帰ってきました。
言伝は、「次代の王が決まった」とのことでした。
愕然としました。
次代の王がいずれ立てられることはわかっていました。理解していました。
まともに選んでくださって、私の納得できる蜘蛛であれば、私も納得ができたでしょう。
陛下は賢明ですから、さぞ立派な者を選んでくださるのだと、思っていました。
しかし、次代の国王に選ばれたのは、あの遊んでばかりでろくに仕事もしない、ごく潰しのマアナだというのです。
マアナは、陛下にたいそう可愛がられていました。
何故でしょうか。私の生涯は、一体何だったのでしょう。
陛下は、次代の国王を能力で決めるのではなく、自身にとって可愛いか否かで決める蜘蛛だったのでしょうか?
混乱しました。どうしていいかわかりませんでした。
その時、陛下とよく似た顔のイサクと目が合いました。

気付けば、イサクの腕を掴んで手を上げてました。もうそうするまい、と誓ったのに。
何度も何度も何度も何度も何度も、イサクの頭が生え変わらないように何度も何度も何度も何度も小刀で刻みつけました。
私たちは不死なのですから、そんなことをしても無駄です。ただ、もうどうすればいいのかわからなかったのです。
何度も何度も刻みつけて、殴っているうちに、気づけばイサクは静かになって動かなくなりました。

動かなくなったイサクに、手を伸ばします。やりすぎてしまっただろうか、と。
――すると、彼が起き上がったかと思えば、その後のことは、一瞬でした。
何が起こったか、今でもよく思い出せません。

どさり、と鈍い音がしました。身体が宙を舞いました。突き飛ばされたのでしょう。
イサクが私に馬乗りになって、私が彼にそうしたように、何度も何度も小刀を突き立てました。
私は、それをぼんやりと眺めていました。

………やがて、意識が薄れていきます。
私たちは死なないはずです、でも、ぼんやりと「死ぬのだ」と思いました。他でもない、この子の手によって私は死ぬのだと。
だれかの呼ぶ声がしました。強い酒の匂いがしました。
なんとも言えぬ酩酊感に包まれながら、そちらの方へ歩みを進めました。

気付けば、とても綺麗な所にいました。ここは、みんながみんな年中酔っぱらっている、楽しい楽しい所です。
私もずっと酔っぱらっています。今はとても楽しいです。現世の何もかものしがらみから、解放された様でした。とてもとても楽しいです。
酔っぱらい過ぎて、いろんなことを忘れてしまいました。何故私はここにいるのでしょう。
それも忘れてしまいました。

ただ、ひとつ心残りがありました。一体あの子はどうなったのでしょう。
あの子は……名前も、もう忘れてしまいました。大丈夫でしょうか。
私はあの子を愛していたのでしょうか。愛していたのかもしれません。
今となっては、もう、何もわかりません。何も、わかりません。

ですが、全てが手遅れとなった今になって思うのです。
◆◆、まぎれもなく、私は貴方に愛されたかった。

紛れもなく、貴方に愛されたかったのです。愛されたかった。愛されなかったから、正しくあの子を愛すことができませんでした。
私は身勝手でしょうか。
陛下はなぜ、私を「親」にしたのでしょうか。

――今となっては、どうしようもなくて、戻る事等できませんが。
それでも、せめてあの子に笑って生きていて欲しいと、そう願わずにはいられないのです。


イラスト:komuda 無断転載・自作発言禁止

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