不思議の国のアリス症候群 追加

集団の中で感じて来た人間向いてないなーという感覚を吐き出してみたくて、書き始めます。
私は振り返れば、不思議のアリス症候群で場面緘黙症の子どもでした。
自閉症スペクトラム障害かHSPにも、かなり共感します。

前回書いた、顔だけが大きくなったり小さくなったりする見え方は、怒ってる人に顕著で、2歳差の姉はもちろん、視界の端に見えるおじさんとかも見えてました。怒りのエネルギー溢れることが理由なのかと思ってたけど、単に怒ってる人が怖くて見ちゃうだけだったのか。不思議

次は一度しか見たことないけど、視界いっぱいの面に赤い色々なの長さの横棒が上から下に降りてくる、ゲーム画面ぽいもの。「頭がぐちゃぐちゃになる」に似てるけど、言葉で説明しても見えてたのが大きな違い。初めての一人暮らしで、初めての熱中症になり、苦しくなっていた時に見えました。私は話せているつもりだったけど、一緒にいてくれた友人によると、ちゃんと話せてはいなかったらしい。

そして、そうなのか違うのか曖昧なもの。私が集中しすぎる過集中になりがちであり、想像力豊かすぎるから出来ていたのかもしれないけど「頭がぐちゃぐちゃになる」時のグッと引き込まれて目が離せない、段階か上の集中状態になるのは一緒。絵の中に入れる感覚があったのです。初めては小学生か中学生かくらいの時に叔母に連れていってもらった美術館で。絵の記憶はもう曖昧で、布が絡んだ槍か何かを持った天使が空に浮かんでる絵だったのだけど、見入ってしまったら身体に浮遊感があって、まっすぐ上昇気流に乗ってる感じ。風と布が揺れる感じが生々しく感じられて。長い時間のような短い時間のような時を絵の中で過ごすという体感。どう戻って来るのか分からないけど、絵の中に入る為に美術館は静かなんだと思っていた節はある。でも怪しいことは自覚していて、一緒に鑑賞してる人がいても言ったことはなかった。不思議の国のアリス症候群を教えてくれた友人は絵が好きな子なので、聞いてみたこれど、絵に入ったことはないと言われたので、やっぱり幻覚なのかも。

美術の授業は好きだったし、好きな画集を眺めたりしても、印刷物で入れたことはなくて、頻繁に美術館に行く家庭ではなかったので、生の絵画を見ることは少なくて、その中でも入れる絵はごくごく珍しかったので「名画は入れる絵なのではないか?」と思ってもいました。

ただ一つ、ピカソの「ゲルニカ」は入れました。教科書サイズの本の織り込まれた、折り跡のついた印刷された絵だったのに、モアイがゆっくり歩いてるみたいな、重量感のある、たぶん音と、表情の変わらない大きなものがゆっくり四方八方に向かって進む中に私だけ動けない恐怖感。泣きそうに怖くて、ピカソは好きではないのに評価がとても高い不思議な存在だったのに、ゲルニカにやられて、それから尊敬しています。作者本人も強烈だしね。いつか本物も見てみたいなぁ。

勉強の為に行った美術館で「入れなかったら軽んじてしまいそう」と緊張していた時に、三岸好太朗の絵に入れてホッとしたことも強く覚えています。画集で見て憧れていた、蝶が画面いっぱいの作品じゃなかったのだけど、淡くも色とりどりの蝶が舞う中に入れて嬉しかったなぁ。

最後に入ったのは一番好きな作家のひとりのルネ・マグリットの作品。画集でも見たことのない作品だったのだけど、不思議の国のアリスがちっちゃくなったみたいな、小人がテーブルに物が置かれてる中にいるみたいな、砂浜に一人でいるみたいな、広い景色の中に小さい建物みたいなものがあって、汽笛が聞こえる。そんな絵でした。

子どもが生まれても美術館で絵は見たりしていたけれど、過集中になると音が聞こえなくなって、視界も動かないような状態になるので、入らないように気をつけていたからか、もうずっと絵に入ることは出来ていません。

学生じゃなくなると集会で先生を見る機会もなかったし、子どもの学校行事で長らくなかった「私一人で壇上に立つ人を見る機会」が来たので、過集中状態に入ろうと、グッとお顔を見てみたのだけど、もう大きくなったり小さくなったりはしませんでした。年を取ると不思議のアリス症候群の症状はみられなくなる人がほとんどだそうですが、絵には入ってみたいから、挑戦はしてみたいと思っています。

以上。私の不思議の国のありす症候群でした。

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