20240518 かもしれない

 初めて彼女を特別な人だと思ったのは、彼女が私を赦した時だった。
 彼女の言葉は聡明で強気で、そして断定的だった。自由で子供でありたい私とは正反対で、現実的に未来を見据え、その中で最大限の夢を抱く人だった。まっすぐな人だ、と思っていた。思うくらいのことだったのに、彼女の方は私との関係性を進めようとした。
 海に行きたいと呟いた私を海へ連れて行ってくれた彼女は、私より背が低く声が幼く、たっぱがある私よりもむしろ子供に見えたのをよく覚えている。彼女を困らせて、嫌われてしまおうと思って、海に行きたいと言い出したのに汚れるのは嫌と砂浜に上がらなかったり、観覧車に乗ろうと突然言い出したりした。彼女はその全てに「いいよ!」と肯定して、けたけたと笑い声を上げていた。
 彼女と会ってしばらくして、彼女をはじめとする友人たちとの関係性を断絶した。彼女は私にいつも肯定的な言葉を投げかけた。大丈夫、できる、絶対大丈夫、大好きと。それが重荷だった。何も大丈夫じゃない、何もできないよ、とインターネットに吐き捨てる私に、それでもいいと無責任な肯定をした。友達でずっと居たいし、あなたと出会ってよかったと、花束のような言葉をたくさんくれた。
 それでも私は姿を消して、彼女とのつながりを途絶えさせた。人を信じるということが、とにかく上手くできない。彼女は私のことを保健所の犬のようと言っていた。友達を作ることが怖かったのかもしれない。
 ふと彼女を思い出したある夜に、彼女のSNSを再び覗いた。変わらない彼女がいた。私が居なくても、当たり前のように彼女は色んな人に愛を囁いていて、たくさんの花を差し出して笑っていた。私はそれを羨んだ。正直に言って妬ましかった。その名の通り、太陽のように眩しかったから。
 結局、彼女のSNSをフォローした。気づけばいいなという期待を添えて、繋がり合うより前に眠ってしまおうと思った矢先、彼女はすぐに私をフォローしてくれた。
「ごめんね、よければまだ友達で居てほしい」
 私のずるい言葉は、それでも私にとっては勇気を振り絞ったものだった。もうすぐ30歳になるのに、そんなことを言うにも口を詰まらせる、どこまでも捻くれた人間だった。
「もちろん!ずっと待ってたよ!」
 彼女は私の全てを赦した。愛は責任で、相手のことを信じられなくなったらそれは自分のせいだと、彼女はそれから節々でそんなことを語っていた。
 それから彼女とはより親密になって、彼女は自身の過去を赤裸々に語った。特別に眩しくて、かっこよくて、ヒーローのような彼女は、実は日陰でうずくまっていたことを知った。目の前にいる普通の人たちが憎くてたまらない瞬間が、幾度もあったことを知った。それでも彼女は、人と出会ってたくさんのこと経験して、今の彼女が形作られている。
 この子の前では特別な私で居られるなと、本当に心の底から思う。彼女が特別な人に捧げる、ラブレターのようなものを読むのが好きだ。私はきっと、そんな視線を向けられることはないのだけれど、それでも温かい文章が好きだ。
 彼女には、彼女にとって特別な女の子が居る。ラブレターの送り先の、神様に愛されたような女の子だ。今日はその子の誕生日だ。私はその、神様に愛されたような女の子のことも大好きだ。甘くて愛らしくて、天真爛漫で、その子の周りにいる人たちは皆、その子のことが大好きなのだろうと感じさせてくれる。幸せの塊のような女の子。
 彼女にとって必要なのは、日陰から引き摺り出してくれる、その子のような存在だと思う。私はそうはできない。日陰にいる彼女と一緒にしゃがみ込んで、人生の夏休みをぷかぷかと浮べることしかできない。
 だけど、私にとって彼女は、手を差し伸べてくれた存在だ。何をしても、「あなたが良いなら私は幸せだよ」と言ってくれる彼女が、私にとっては神様のような存在だと思う。
 彼女は大人で、私も大人だ。私たちは同じ歳を重ねて生きている。同じ現実を見ている。彼女は現実を見つめ通して、現実的な夢を達成しようと行動している。私は現実を見ないで、夢の痕跡ばかり拾って生きている。違う生命体だけれど、私は彼女が好きで、特別だ。私だけがきっとそう思っているのだけれど、それで満足してしまう。彼女が差し出してくれた手は、お日様のように温かかったから。

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