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『命懸けの虚構〜聞書・百瀬博教一代』  #14


  保釈で拘置所から出た夜、迎えに来た父の乾分福井とタクシーで市川の家へ戻った。
  待っていた父も母も小言一つ言わずに気持ちよく迎えてくれた。
  父は、この頃、TBSテレビの「幕末」というドラマを見ていた。
  このドラマは再放送で午後の3時頃に毎日放送された。
  この番組のある時間は父は必ず家に居た。
  そんな父の横でテレビを見たり、本を読んだりしていると叱られた。
 「おい、本を読むのをやめろ。このテレビ面白いからもっとしっかり見ろ」
 拘置所から出た後は裁判の日を待つばかりになると、博教は、どうにも気が晴れず、集中力をぶつられるものは読書だけだった。
 〈本は面白ぇ〉
 拳銃不法所持で逮捕さえされなければ、こんな台詞ははけなかった。
 博教は連日、古本屋へ出かけると、三島由紀夫の初版本を漁った。
 市川の実家での読書三昧に飽きると、旅に出た。

  まず、拘置所で世話になった鍋島に礼を言うべく博教は堺へ向かった。
「よく来てくれはりましたなあ、ほんまに待っていたんでっせ」
 シボレーを自ら運転して寿司屋に連れていって、麹町著の留置場で鍋島から聞かされ、関東の寿司屋では絶対にお目に掛かれない「う」の握りを御馳走してくれた。「う」とは関西風の蒸さない、うなぎであった。
気っ風のいい鍋島に会いに堺へ行ったり、氏が赤坂へ来てくれたりして何度か行き来している中に、氏の方が先に下獄する日が決まって、会うことが出来なくなった。
 鍋島と再会するのは、博教が獄を出てからである。
そして、この鍋島から意外な人脈へと繋がることになる。
もし、獄で鍋島に会わなかったら、博教の先の人生も大きく変わっていただろう。

鍋島さんにはお世話になったよ。あのひとがいなければ、俺が格闘プロデューサーとか言われないはずだもん。関西弁だけど言葉遣いも気遣いも凄いし、大恩人で確実にキーパーソンだな。もともと面識もなく、たまたま、あの時に獄で一瞬すれ違っただけなのにな。そういう一期一会を未来に線にして繋ぐには、結局行動しかないんですよ」

 ある日、保釈中に、博教が久しぶりに会った高校時代の親友三人で赤坂の「京城苑」に食事に行った。
その夜、赤坂の路上で、石原慎太郎氏とばったり顔を合わせた。
そのときには、博教に許しがたい感情があった。
「おい、石原!」と呼び捨てにした。
 彼が週刊誌に博教の悪口を書かせたのを詰り、それについて返事次第では、ぶん殴ってやろうと身構え、睨みつけた。

「あの記事は記者が、勝手に書いたのだ」
 そう言われても問題は、博教が「石原裕次郎を裏切った」という事だったので、どうあっても曲解を正したかった。
 長い間、立ち話したが、話は終わらなかった。慎太郎は仕事で待ち合せしているそうなので、三日後に赤坂の「写楽」で会うことにした。「写楽」は、石原慎太郎が指定した。

約束の時間に行くと五分ほど遅れて彼はやって来た。
「遅れてすまん。日生劇場の作る映画の事で、とても忙しい。だが、弟の事だから抜けて来た」
 石原慎太郎は、この店に時々来るらしく、店の女が丁寧に挨拶しながら注文を取りに来た。
「僕は、ヒレのステーキ。同じものでいいか。それじゃあ、ヒレのステーキを二つ焼いて下さい。ごはんは僕もいらない」
 五~六枚は、軽く喰べられそうな、小さいステーキが運ばれて来た。
「だいたい裕次郎(あにき)は、男らしくねえよ。今夜だって、自分がくればいいんだ。こっちの悪い点は謝まるし、小言だっていくらも聞くぜ。中井あたりに代弁させるから、話がこじれちまうんだ。俺が裕次郎の会社に電話したら、代弁しようとしたから手前みてえな使用人はすっこんでろって言ってやったら、石原プロの専務だって怒ってたっけ」
「いや、この前もそれを言われたが、弟に言う事をきかせられない、情けない兄貴ですまないと思ってる。今夜、連絡して、明日にでも裕次郎から直接、ひろ坊の家へ電話させるよ」
「待ってる」

 石原慎太郎と博教は、「写楽」で食事しながら話をした。
「写楽」を出て、TBS前まで歩き、アマンドの地下に入り、コーヒーとレモンスカッシュを注文して、また話した。
「俺は、石原裕次郎の兄上が書いた本を、十五冊位持ってる」
「ありがとう」
「一番好きなのは『亀裂』だ。パリのガリックホテルで読んだ」
これは誰から薦められたものでもなく、23歳の春、アラビアのクウェートに旅する数旦前、南青山の「ミドリ書店」の棚に並んでいたのを買ったのだ。
それは角川文庫でかなりページ数のあるものだったが、クウェートまで行く途中に立ち寄ったロンドン、マドリード、パリ、ニース等のホテルで十ページ、十五ページと読み続けた。
 最終章は、ローマからクウェートまで乗った日本航空の旅客機が給油の為に一時間半ほどカイロ空港に羽根を休めた時に入ったレストランで読了した。この時 博教は二十三歳、「亀裂」を書いたときの著者の年が博教と同じだと知って、その文章力のあまりの高さに仰天した。裕次郎も「亀裂」が大いに気に入った作品だといっていた。

 ナイトクラブを描いた小説だったが、当時はナイトクラブの用心棒だったからその内幕は他の誰よりも精通していると自負していたが、それにしても慎太郎本人らしい主人公の見事な遊び人ぶりとそれぞれ癖のある登場人物の描写は見事だった。そして、ナイトクラブを舞台に生きる主人公は、学生作家と学生用心棒との違いはあるが、これは慎太郎でもあり、そしてまるで自分でもあると自己投影しないではいられなかった。
「ひろ妨は、本が好きなのか」慎太郎が話しを拾った。
「巣鴨に入って、差し入れの本を読んでから小説は面白いな、と、思うようになった」
「ほー。どんな本を読んだ」
「官本の『夕日と拳銃』『石川五右衛門』私本の『落城』『銀心中』『足摺岬』、田宮虎彦では『絵本』が、ぶっちぎりだった。ほら、三日前、赤坂からブルーバードSSで貴方を安藤昇の店の近くまで送った時、荒っぼいんで、おい、こんな運転して大丈夫かい、と貴方が、びっくりしていた奴がいたでしよう。あいつが送ってくれた、大宅壮一の『炎は流れる』も面白かったナ。でも、一番面白かったのは、林房雄の『緑の日本列島』の高杉晋作が上海から買って来た拳銃を坂本竜馬に渡たす条りだナ。山県有朋も伊藤博文も拳銃を常に持っていたらしい。親父の咄しだけど、国定忠治のピストル、と言っても当時の短筒というやつだろうが、それを若い頃に見た事があるそうだから、幕末に飛び道具を使わなかったのは、近藤勇くらいじやなかったのかナ」
「詳しいナ」
「そうさ。ピストルは、大好きだもん」
 こうなると、二十四歳の博教はすっかり三十三歳の石原慎太郎のペースにはめられた。
「アラビアのクウェートって知ってる。そう、石油に浮かんでいるような大金持の国。三年前に、クウェートに行ったんですよ。その時、アラビア人の友人に、コルト38を実弾と一緒に貰った。毎日、アラビア湾に向ってピストルを撃った」
「ひろ妨。大きいけど、どのくらいあるんだ」
「体重? 百二十キロくらい、身長は百八十二あるかないか」
「そんなに太ってて苦しくないか」
「苦しくなんてないさ」
「オレは、太るのが嫌で、どんな遅く帰っても寝る前に毎晩、四キロほどマラソンしている。マラソソなら自信がある。今度競争しよう」
「いいですよ。最近はマラソンどころか体操もしないけど、マラソソは高校生の時にクラスで四~五番だった」
「マラソンなら、君に必ず勝つ自信がある」
「相撲なら貴方を片手で、ぶっとばす」
 次の瞬間である。博教の言葉にカチンときたらしい慎太郎は
「ボクは、君みたいな躰は嫌いだ。ボクの理想は、広岡だ」と言った。
アマンドの勘定は博教が払い、クッキーの詰合せの箱を一つ買い、背中を丸くしてタクシーに乗り込んだ慎太郎に渡した。
「ガール・フレンドじゃなく、お母様か奥さんに渡して下さいよ」
 博教は、慎太郎の乗ったタクシーを見送った。
『俺の躰が嫌いだと言いやがったが、手前だって、びっくりするほど猫背じゃねえか』
その夜、家に戻った博教は、毎晩逗子から由比ケ浜を走っている慎太郎の姿を頭に思い浮かべながら軽くマラソンをした。

「あれだけ近寄りがたかった慎太郎さんがわざわざ来てくれたんだよ。でも俺も小僧だから、相手のペースになっちゃうんだよ。慎太郎さんが俺の何に恐れを抱くのかはわかるよ。お母さんだって『おお怖い、おお怖い』って言うくらいなんだからさぁ。でも殴ってやろうと思ってても、あの小説のなかの慎太郎さんのダンディズムに負けちゃうわけだよ」

 TBS前で別れた慎太郎とそれからも何度か会った。会う度に、
「弟のことでなかったら、君とは絶対に会わない」と最初に言った。
 弟想いは随所にあった。実際に裕次郎が映画作りに苦戦していた最中、石原慎太郎が「弟を頼みます」といった内容の電話をしているのを聞いたことがある。
〈こんな立派な兄上を持って、裕次郎は倖せだなあ〉と、博教は思った。
そして、ある日、慎太郎は、
「君は男に惚れすぎるからいけない。裏切られた時の打撃が大きいんだ。惚れるのなら女に惚れろ」と言った。
 それは、博教の本質を言い当てていた。

 また三島由紀夫の小説「宴の後」を一行も読んだこともないのに、石原慎太郎氏と話す時に、どんなに細い糸であっても繋がっていたかったから
「三島由紀夫の『宴のあと』って読みました」と言ったら、
「あれは『えん』じゃなくてうたげと読むんだよ」と紅茶を御馳走してくれた慎太郎は実に愉快そうに大笑いした。
 しかも、後に知ることになるが、その小説の筋は、これは都知事選挙に何度出馬して落選する男とその男を最後まで応援する大料亭の女将の物語でもある。これは、読んでもいない本について、さも読んだようなふりをした罰だと思い知らされた。見栄は張るべきではない。つくづくそう実感した。
〈こいつは三島文学など何一つ読んでないな〉と不勉強を見破られてしまったことが、博教が三島由紀夫の小説を次から次へと読む、きっかけだった。
 そして三島由紀夫は博教の最愛の作家になった。

 この頃の博教は保釈中だったが、巣鴨の拘置所の独房で覚えた読書の面白さに毎夜浸っていたから、
「博坊、俺が書いた『飛べ狼』をやろう」とか、
「ヘミングウェイの『日はまた昇る』を読め」
 と慎太郎に言われると、天にも昇るほど嬉しかった。
「おいひろ坊、プレイボーイを気取りたいなら、一芸二芸に秀で、それを大いに他人の前で自負して恥かかぬくらいの実力をつけろよ。自負すべきことが何もないような人間は、並以下の人間ということでつまらないぞ」と言った。

 博教は会うたびに魅了され、次第に慎太郎に傾倒していった。
『シラノ・ド・ベルジュラク』を読めと薦めて、男らしさについて話してくれだのも慎太郎だった。
 シラノ・ド・ベルジュラックは詩人で、剣客で、理学者で、音楽家だが、顔の中央にあるものが〈奴は剣のように鼻を佩しているんだ〉と陰口を利かれるほどの大鼻で、フランス国王の近衛の青年隊に属している男であると教えてくれたのは石原慎太郎だ。『プレイボーイ哲学』に書かれてあった。
この本を読んで、それまで以上に石原慎太郎に兄事したいと思った。

博教は世界中を旅する裕次郎から、外国の話をしてもらったお蔭で、世界中を旅したいと思うようになった。
そして、その兄の慎太郎と話している内に、慎太郎の小説はもとより、三島由紀夫や江藤淳の小説や評論を読み、本の中を旅したいと思うようになった。

 保釈になってしばらく、博教は以前と変わらず動いていた。
 ある夜、彼女と焼き肉デートをしていた。
赤坂見附駅の裏通りにある「京城苑」の主人はニュー・ラテン・クォーターのフロア主任をしていた。博教と仲がよかったが、辞めて焼肉屋の経営者になった。
 この店に若山富三郎が、可愛らしい女性を二人連れて来ていた。
目が合ったので頭を下げると、博教が逮捕されて保釈中だったのを知ってか、
「おお、どうしたい。大変だったなあー」と言った。
 若山を紹介してくれたのは勝新太郎だった。三浦布美子が、小唄の家元・田毎てるぞうを襲名披露した歌舞伎座の楽屋だった。
 若山の言葉に、相手の態度に見合った返事をする癖で、
「おお。ありがとうよ」と挨拶を返し、氏と二つ離れた席に着いて、ジュースと水割りで乾杯した。
 肉を焼いていると、大島紬を着流した、水原弘が一人で入って来た。
若山氏と約束していたらしい。テーブルの前まで来て、博教に、
「大変でしたね。もういいんですか」と言ってくれた。
「お水、ありがとう」立ち上がって礼を言い、握手して腰を下ろした。
「貴方って色々な方を御存知なのね」
 ロースをひっくり返しながら、ちょっと上眼づかいで彼女が言った。
 博教が、いずれ自分が獄に入ることになる保釈中であっても、こうしてデートをしてくれる彼女が愛しかった。

 保釈中の一日、赤坂のアマンドで偶然、女優のEの姿を見つけた。
 彼女とは拳銃所持の逮捕以来、一度も会う事はなかった。
 TBSのスタッフと近く出演する予定のテレビドラマの打ち合せ中だった。
彼女に何人もの刑事が私のことを聞きに行って迷惑が掛かったことを詫びねばならないと思い、数人の男と一緒にいた彼女に短くお詫びした。
彼女の反応はすこぶる悪かった。
「大事なお話の最中ですから……」
〈教養をあんなに伝えようとしていた人なのに……。教養の究極は思いやりだ〉
早く向こうへ行けというような言葉を聞きながら、博教はそう思った。

「昔、好きだった女の話を今の感情で語るのは無理だね。でも、オマエが毎日会ってる俺の秘書の久美子さんだって、もともとは彼女だからね。俺はそういうのは引っ張らないんですよ。恋愛感情くらい冷めやすいものはないだろ。多くの人がそこでつまづく。彼女は過去に俺の先生だった。それだけ。24歳の頃なんだから、そりゃあロマンチックな気分になってますよ。
現実の俺はこんなに堂々としてるだろ、でもよー、文章にしたり写真のなかは女々しいさ。想い出と現実は別物語だから。俺はそこを平行に走っているんですよ、女には惚れない」

明らかに博教は石原兄弟に惚れすぎていた。

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