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『水道橋博士、高円寺を語る』

            (『座・高円寺』広報/2月15日締め切り)


 ボクが高円寺に住み始めて20年以上も経ちます。
 世紀末の1999年7の月を過ぎた時、アンゴルモアの大王が降ってこないことが判明し、ノストラダムスの予言が外れたことを確信したボクは世界が終わらないのなら今まで一度も考えたことがなかった定住する終(つい)の棲家を探そうと思い立ちました。

 ボクはもともと中央線沿線にしか住めない体質です。
 そこで、売りに出されていると聞いた中野のブロードウェイにある青島幸男元東京都知事の旧居をネタのひとつとして買おうとしたのですがタッチの差で逃し、それを機に住居を見て回るようになり、やがて中古物件や新築物件ではなく自分が望む設計を反映した一軒家を立ててみようと思い立って、土地探しをはじめました。

(ちなみにボクは一軒家と言えども「一発屋の一発ですらも当てたことのない芸人」(@長男)なので家も土地も35年ローンです)

 加えて、運動部の経験がなかったボクは40歳から部活を始めようという発想で、子供の頃から大好きだったプロレスラーのビル・ロビンソンがコーチをつとめる「スネークピット・ジャパン」に通うことを決め、高円寺を中心に土地探しを始めました。

 そして、ラッキーなことに高円寺の駅前に建ぺい率400%の19坪の狭小地の更地を見つけて(宅建主任の免状を持っているので土地探しは得意なのです!)地元・倉敷出身の女性建築家にお願いして、地下一階、地上4階のペンシルビルを建て、運転手兼付き人と大量の本やコレクションと共に住んでいました。

 最初は独身貴族で本棚とDVDに囲まれた理想の城だったのですが、2001年に妻と出会い結婚。
 そして6年間で3人の子供が次々に生まれました。
 妻には腹を痛めた子供の出産と胸を痛める幼年期の子育てには本当に負担をかけたという想いがあります。今は生活感溢れる5人暮らしの生活ですが高円寺と共に子育てをしたと思います。(主に妻ですが……)
  末っ子は今年から中学生になりましたが3人の子供が同じ杉四小学校に通っていた時期もあり、彼らは生粋の高円寺っ子だと思います。(昨年で杉四が閉校になることにも哀愁を感じます)

 この『座・高円寺』も2009年の開館を見守り、何度も観客席に座り、そして何度か舞台に立っています。
 特に映画監督の園子温さんとふたりきりと舞台を作った2013年4月30日の『ザ・水道橋 in 座・高円寺 vol.1~園子温芸人デビュー~』での昼・夜の2ステージは忘れられません。
 ボクの芸能生活ではじめて台本、演出をひとりで務めたステージで、ふたりが共に人生で最も好きな映画『時計じかけのオレンジ』をモチーフにした舞台を創り上げ、サプライズゲストにホリエモン、千葉真一、前田敦子、マキタスポーツを迎えてやりたい放題の舞台でした。
 50歳を超えた2人きりの出演だったことから体力的限界もあり芸能人生で初めて燃え尽きた感が湧いたことを思い出します。

 あの日、舞台人として「LIVEとはLIFEの現在進行形」だと初めて体感出来たと思います。

 そういえば2017年にはルック商店街の南の端に『はかせのみせ』をオープンして1年半の間、雑貨屋も開いていました。
 もともと此処にあった大好きな雑貨屋さん『コティ』が店仕舞いすると言うので、そのまま居抜きで借りました。      
 自分が今まで集めてきたコレクションを展示し、好きな音楽が流れているというお店でした。
 あの頃、店の店頭に立ち、商店街の皆さんや買い物のお客様と交流したのはとても楽しかった想い出です。
 芸能界に長くいると忖度ばかりされて腫れ物に触るような扱いをされますが、虚業ではなく実業をやると、老若男女とエアではなく、本当に接することが出来たのは他では得難い経験でした。
 芸人の端くれですから、地域で名前を覚えて頂き親しまれるのも大事なことですが、実は生来の人見知り症です。
 町ロケが多い相棒(玉袋筋太郎)に比べて、ボクには話しかけずらいイメージがあるようですが、いつも「出会いに照れるな」という標語を呪文のように唱えて、「挨拶は身を守る鎧」だと言い聞かしています。
 芸人といえば、今や高円寺在住の芸人が賞レースで次々に結果を出しており、高円寺が「コントの街」としての認識も高まっていきそうです。
 そんななか、コロナ禍で町がすっかり元気を失った時に、ボクが見入ったものの一つが『高円寺チャンネル』でした。
 鬼越トマホーク・坂井、空気階段・もぐら、ニューヨーク・嶋佐、空気階段・もぐら、そいつどいつ・刺身、吉本の高円寺在住の4人が立ち上げた地域密着型のYouTubeで高円寺の店や商店街にエールを送る趣旨です。(ちなみにМ―1を制したマヂカルラブリーの村上くんも高円寺在住で、チャンネルの準出演者です)
 配信のなかでは何度も「高円寺芸人のレジェンド」などとボクの名前を過分に立てて貰い、参加を呼びかけられましたが、58歳の他事務所の先輩芸人がしゃしゃり出ることはなかなか良しとしませんでした。
 しかし、ボク自身が今年に入って高円寺のブラ散歩を日課に復活させて町を巡るうちに考えが変わりました。
 年齢や事務所の垣根を超えて座を組みすることに意義があると。

 そして、水道橋博士改め高円寺博士(@鬼越・坂井)としてチャンネルの仲間に入れてもらうことにしました。
 どうぞ是非、お見知りおきを!!高円寺に座する高円寺博士を!!

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