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34年前、ダチョウ倶楽部との出会い

今日、これからダチョウ倶楽部のジモンさんを
ゲストに迎えてアサヤンVOL・7を開催する。
https://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/178377

ダチョウ倶楽部のジモンさんは単なる芸人ではない。
怪人を通り越して超人だ。
また人を超えた発言で凡人を驚かすことであろう。

ネーチャー・ジモンさんと出会う前の、ダチョウ倶楽部との出会いを
「お笑い男の視座」で詳しく書いている。


LIVEの前に、引用しておきたい。

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    (『お笑い 男の星座2 私情最強編』より)

第2章 自称最強! 寺門ジモン

事実を事実のまま完全に再現することは
いかに、おもしろおかしい
架空の物語を生み出すよりも、
はるかに困難であるーー  
  
これは事実談であり……              
この男は実在する!!!!
    (梶原一騎原作「空手バカ一代」より)

「誰が一番強いのか?」──。
 この台詞こそ、この『お笑い男の星座』の主題であり中心軸にして永遠に未解決なテーマである。
 ヒクソンか、カレリンか、小川直也か、ノゲイラか、そして、今やボブ・サップか、ミルコか、いつの時代も名前の尽きることはない。
 そして「史上最強」ではなく「私情最強」と言うならば、それは百通りの答えがあるはずだ。
 そして、今、この見果てぬ問いに今まで誰もが思いも寄らぬ候補が急浮上してきたのである。
 その人物の名は、
 ダチョウ倶楽部の寺門ジモン──。
 それこそ、読者諸兄が一斉に声を合わせて「聞いてないよぉ~」と言うであろう。
 ジモンのどこが、それほどまでに強いのか? 

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 本題に入る前に、ダチョウ倶楽部と俺たち・浅草キッドとの出会いを語っておこう。
 今でこそ、テレビ界のリアクション芸の第一人者として、モノマネ番組の主要メンバーとして、そして最近やたらと幅を効かしている通販番組「ジャパネットたかた」のサクラにも欠かせないタレントとして、すっかりお茶の間に認知される3人であるが、ダチョウ倶楽部の歴史は長い。

 俺たちにとってもデビューの時から、まるで兄弟弟子のように同じグループのお笑いの仕事場にいる先輩芸人である。
 その出会いは今から15年前、ダチョウ倶楽部がテレビでブレイクする前に、ホームグラウンドとしていた六本木のショーパブ『バナナパワー』であった。

 時はおりしも狂乱のバブル全盛期、場内は若い女性観客が溢れ、ちびっこギャングやB21スペシャルなど当時人気者のお笑いニュージェネレーション、後に「お笑い第三世代」と言われた若手たちを、こぞって輩出することになったショーパブであった。
 若手タレントの修行の場として、この店の映像は、しばしばテレビのドキュメンタリー番組などで紹介されていた。

 その様子を、時代から取り残されたストリップ小屋『浅草フランス座』のダニだらけの楽屋で、前時代のガチャガチャとチャンネル選局するテレビで見ていたのが俺たちだった。
「ちぇッ! 冗談じゃねぇっすよ。あんな綺麗な服着てバカな女の客相手に媚売って、キャーキャー言われやがって喜んでるような連中。あんなのお笑いでもなんでもないっすよ!」
 さきイカを、よこちょに咥えたパンツ一丁のまだ10代の玉袋が吼える。
「でも、スタイルがどうであれ、毎日客前に立っているんだから芸人として腕がないわけないだろうなぁ~」
 と分析する博士も、同じ芸人修行中の身でありながら、あまりにもかけ離れた境遇、取り巻く環境の差に猛烈な嫉妬を感じていたのである。

 そんな俺たちとダチョウ倶楽部が、相対するのに時間はかからなかった。
 ほどなくして俺たちは、朝から晩まで住み込みで働き、芸人修行の場として根城にしていた、この浅草のストリップ小屋を諸事情により文字通り丸裸で追い出された。 
 師匠・ビートたけしの元に帰ろうにも、当の師匠は芸能史に残る『フライデー事件』で謹慎中の身。
 会おうにも会えない。
 修行の場所がなくなり、帰る場所も無く途方に暮れていた。

「赤江君(玉袋の本名)、こういうピンチな状況こそ、チャンスなんだよ。ここで、決起してさー、行動しなきゃ。俺たちのフランス座修業を無駄にしちゃいけないんだよ」
「だったら小野さん(博士の本名)、腕試しに道場破りなんてどうですか?」
「いいねぇ、だったら他流試合として例の『バナナパワー』でも覗きに行って、いっちょう暴れますか!」
 当時の俺たちが梶原一騎漫画の読みすぎであったことは間違いない。
 己の言葉に鼓舞され、すぐさま行動に移した。

 二人で客を装い、六本木にある『例の店』に潜り込んだのだ。
 その日の舞台にいたのは、コントの動きにキレがあり、ルックスに華のある三人組だった。
 値踏みのつもりで行ったのだが、自分たちが想像していた以上のステージのレベルの高さに逆に圧倒されていた。
 三人組はコントを終えると、そのまま着替えて接客をはじめた。そのボーイのハーフっぽいの彫りの深い顔立ちの男を見つめて、
「あいつはモデルより格好いいっすね。しかもあれで、お笑いやっているとはねぇ!」
 と思わず玉袋が見惚れるように、呟いた。
 その男が、後のデビット伊東。
 更なる後、お笑い3人組を経て、激戦区の渋谷でナンバーワンのラーメン屋の店長へと出世を遂げる男である。
 また当然、当時から、見るからに小さかった男が、後のミスターちん。
更なる後、お笑い3人組を経て、芸能人の豪邸を拝見し、全国をぶらり途中下車することになる男である。
 小柄ながら、愛くるしい顔立ちで、既に人気があった。
 そして他の二人に対して、束ねたロケット花火のような猛烈な突っ込みを入れていたのが、後のヒロミ。
 更なる後、お笑い3人組を経て、若くしてミニ巨泉の芸風を確立、さらにアイドルの松本伊代と結婚し、嫁姑の確執で女性週刊誌を賑わすことになるセンチメンタルジャーニーな男である。
「あの3人、テレビに出たら絶対、売れるぜ!」
 と内心、すっかり、その実力ぶりを認めつつ、たけし軍団と名乗りながらもB21爆撃機相手に竹槍で挑んでも仕方ないと、この日、俺たちは客のままで隠し通し、視察だけにしておいた。

 帰途、吉野家六本木店で二人は今後の奇襲攻撃について牛皿とお新香とビールで作戦会議を開いた。
 この攻撃を諦める気は無かったのだ。
 そして次なる作戦実行、決起の日が来た。
 今度は、人気深夜番組『オールナイトフジ』に出演するなど、いささかテレビでも名が売れてきていたダチョウ倶楽部が担当する曜日に目をつけて、またしても客を装い忍び込んだ。  
 普段は派手に着飾った女性客ばかりなのに、その日に限って目をギラつかせてゲッソリとした不審な男二人組が客席にいるのだ。
 これは、目立つに決まっている。 
 当時のダチョウ倶楽部のリーダーは、現・電撃ネットワークの南部虎弾氏だった。
  南部が俺たちを見つけて、イジるのには時間がかからなかった。
「そこのお兄さん達は、どうして男同士でこんなところにきてるの?」
「……」
「わかった。二人は、ホモのカップルの初デートなんでしょ?」
 ありきたりの客いじりに若い女達がキャーキャー笑っている。
 南部の売り言葉に博士が、
「俺たちゃ、男ふたり同士でもホモカップルでもなんでもない! 俺たち二人はお笑いをやってんだよ!」
 客席がシーンと静まった。
「へぇ~二人はお笑い?! しかし今時、こんな小汚いお笑い芸人なんてみ見たことないねぇ」
ヨレヨレのトレーナーにジーンズ、ボロボロのズック姿の俺たちを見て、ピチピチのボディコンでムチムチの体を包んだ女性客がクスクスと哀れなものを見下すように再び笑った。
 しかし考えてみれば、今や電撃ネットワークとして、消火器の粉まみれになったり、睾丸にヒモを縛り鉄アレーを持ち上げたり、便秘のウサギの肛門に口をつけ、ウンコを吸い出したりしている南部を考えれば「あのな~、あんたに小汚い呼ばわりされたくないんだよ!」と、タイムマシーンに乗って突っ込みに行きたい衝動に駆られる南部の言葉であった。
 
 そんな中、博士が『バナナパワー』だけに、バナナの叩き売りのような威勢のいい啖呵をきった。
「お笑いに綺麗も汚いも関係ないだろうが! 面白いか面白くないかで勝負するのがお笑いじゃないか! そんなこと言うなら俺たちに、ここで今、ネタをやらせてみろ!」
「そうだ! やらせてやれよ!」
 ダチョウをチキン(弱虫)呼ばわりするかのように玉袋がサクラの客のように煽る。
 客と思っていた俺たちの予期せぬ行動にダチョウの他のメンバー、そして観客も目を合わさず「やばい客だ」「相手にするな」という空気に包まれた。
 しかし、俺たちは、事前に考えた道場破りの作戦通りの展開に冷静だった。
 これは、漫画『あしたのジョー』のなかで弱小の丹下拳闘倶楽部のせいで試合が組まれないジョーが、当時売り出し中のボクサーのウルフ金串を記者の前で襲い、殴りつけ既成事実を作り、不可能だった試合を無理やり組んだやり方を見習ったのだ。
 名づけて、「ウルフ作戦」──。 
 今、考えれば、当時はやはり、マンガの読みすぎだったのだ。
「浅草の修行がなんであったのか、六本木のリングでどれだけ通用するか、確かめるためにここにやって来ました!」
 博士は、マイクを握ると、その場にいる誰も気がつかない、旧UWF時代の前田日明が新日本のリングに返ってきた時の台詞を引用した台詞を決めた。
 正直、当時はプロレスと現実の区別もついていないほど、青臭いガキだった。
「はいはい、お客さん飲みすぎじゃないの」
と適当にあしらい、何とかこの場をやり過ごそうとする南部。
 そして、今にも帽子を床に叩きつけて怒りだしそうな竜ちゃん。(当時は、まだ、やっていなかったが)
 さらに一人だけ、これをお笑いの殴りこみだとは思わず、半身に身構える寺門ジモン。
 三者三様、だが後のリーダー・肥後だけは、俺たちの道場破りの意図に、いち早く気がつき、
「いいよ、時間やるからやってみな!」
 と、お手並み拝見を決め込んだ。

 さすがに肥後は、ダチョウ結成以前に渋谷の道頓堀劇場で裸一貫修行したストリップ小屋あがりの芸人である。客が乱入してくるといった、こういう非常時には慣れている。
 しかし、確かに俺たちの行動はプロレスじみていて劇画のようであるが、やっていることは、単なるお笑いである。力試しと言っても、これから決闘するわけではないのだ。
 俺たちは「スイマセン、ちょっと待ってください」と謝り、舞台の隅に隠れて洋服を脱ぎ捨て、あらかじめズボンの下に履いていたコントの扮装になった。
 短時間とは云え、殴りこみに来たのに、この間がカッコ悪い。
そして博士はチョビヒゲにハゲヅラ。上半身は裸、下は力道山スタイルの黒タイツのみ。右手には、浅草喜劇の伝統とも言える黄色いメガホンを持った。
 玉袋も上半身裸で黒いロングタイツ一丁に。
 ネオン瞬く六本木に、浅草のストリップ小屋からタイムスリップしてきた時代遅れの田吾作スタイルの二人にダチョウも客席も唖然。
 そしてコントをいきなり始めた。


 そこで繰り広げるコントは、当時、俺たちの十八番であった『浅草プロレス』というネタであった。
 インディー・プロレス団体『浅草プロレス』の団体経営に行き詰まった博士ふんする社長レスラーが、起死回生の興行の起爆剤の為に、玉袋扮する新弟子レスラーと女子レスラーとの異種格闘技戦、他流試合のマッチメイクを企画する。
 しかし、童貞の玉袋筋太郎は女性恐怖症のため試合をゴネる。
 その為に博士はスパーリング・パートナーとして吉原の人気№1ソープ嬢を用意すると約束。
 しかし、連れてきたそのソープ嬢とは、大人のオモチャ屋『パラダイス北欧』の通販で購入した南極越冬隊用のダッチワイフ「ミス・モンローちゃん」。しかも中古品であった。
 玉袋は、この塩化ビニールの人形相手に、あの手この手を使って果敢に攻め立てる。
 凶器攻撃と称して電動こけしを片手に襲いかかり、プロレス、いや、最終的には素っ裸になって、ダッチワイフ相手に一人二役でセックスそのものを繰り広げる。
 これは今にしても「進化しすぎた人形浄瑠璃」「早すぎた、いっこく堂」「女子レスラーまでリングに上げた迷走する現在の新日本プロレス」とでも言うべき下ネタコントであった。
 しかし、浅草フランス座では「コント55号の再来」とまで言われ(勿論、自称しただけだが)、客受けしていた自信作だったのだが、ここ六本木のバナナパワーは場末のストリップ小屋とは、ちと事情が違う。
 お笑い芸人を可愛いアイドル的存在としか見ていない女性客だらけの舞台では……。
 
 そして、今も思い出したくない凄惨な舞台が一段落した後、リーダーの南部虎弾は「俺はおもしろいと思うよ!」と、一応褒めてはくれたが、道場破りに失敗した俺たちには慰めにならなかった。
さらに、その後が惨めであった。
 玉袋は自分がネタの途中で脱ぎ捨て、客席に放り投げたブリーフを若い女性の客をかき分け、股間を隠しながら探した。
博士は舞台の片隅で、激しい動きで穴が開き、シュ~ッと音を立て空気が漏れ、へこんでいくミス・モンローを片付けながら、自分たちの気持ちもシュ~ッと萎えていくのを自覚していた。
《俺たちは、売れないだろうな~》

 そんな俺たちを見下ろしているダチョウとて、いつ跳べるのかわからぬ駆け出しであった。
 この日が、ダチョウ倶楽部と俺たちの最初の出会いであった。

 そして時が経ち、南部が去った後のダチョウはリーダーに肥後克弘が就任した。
 肥後がリーダーに就任した途端、ダチョウは大ブレイクを遂げた。
「聞いてないよぉ~」のフレーズが大当たり、流行語として時代を席巻。ゴールデンのレギュラー番組、CMにと引っ張りだこの大活躍。
 業界ではこのブレイクを「ダチョウが跳んだ日」名付けたほどだ。
♪ダチョウが跳んだ~
♪ダチョウが跳んだ~
♪南部は一人で生きられるのねぇ~
 とは芸人仲間が口ずさんだ渡辺真知子の『かもめが跳んだ日』の替え歌だ。
 やがて肥後はザ・ドリフターズのいかりや長介以来の尊称「リーダー」と呼ばれる存在となっていった。
 しかし、責任者であるべきリーダーが、いかに無責任者か、そんなリーダー肥後の人間性を語るエピソードにこんな実話がある。

 これは、今から、8年前(1995年)のことだ。
 四谷三丁目──。
 この地には、ダチョウ倶楽部の所属するお笑い事務所「太田プロ」がある。そして、そのすぐ横の雑居ビルの地下に水島新司の野球漫画がお店のキャラクターとなっている有名な居酒屋がある。プロ野球ファンの聖地として名高い『あぶさん』である。
 この日も、この店の客席は、サラリーマンやOL、近所の老人まで様々な野球好きで溢れていた。 
 この年、日本のプロ野球界の歴史を変える一人のスーパーヒーローが誕生していた。
 丁度、あのオリックスのイチローが前人未踏の200本安打に向けて、日本中に大フィーバーを起こしていた時のことである。
 この日、太田プロに顔を出し、事務所帰りにこの店で飲んでいた肥後。
 肥後、いや、ダチョウ倶楽部も、この年は飛躍の年であり、比喩通り、ダチョウが飛ぶ鳥を落とす勢いで売れていた。絶頂期である。

 そこに野球界の旬のスーパースター、イチローが偶然、来店してきた。
 場所柄、パリーグの野球選手は、よく顔を出すお店ではあるがパリーグだけにいかんせんマイナーな選手が来店することが多かった。
しかし今回、来店したのは流石に時の人、イチローである。
店内は騒然となった。
 マスターはイチローの手を取ると、肥後の席に連れて行き自慢気に紹介した。
「リーダー、紹介するよ、こいつがイチローだよ!」
マスターは入団以来顔見知りであり、2軍時代からよく面倒を見てきたので、イチローの事を本人の前で「イチロー」と呼び捨てできる親しい間柄だった。
「イチローは知ってるだろ? この人がダチョウ倶楽部のリーダーの肥後ちゃんだよ」
「もちろん知ってます。いつもテレビで見てますから、どうもはじめまして。イチローです」
 イチローは、いかにも、まだまだ新人らしく初々しくしっかりと挨拶した。
 それに対し肥後は表情も変えず、
「そりゃどうも……。マスタービールおかわりね~」
と球界のスーパースターを前にする態度ではなく素っ気ない挨拶を、いかにも面倒そうに返す程度だったのだ。
 イチローにしてみれば、2軍で2年連続3割6分以上の超高打率を残しながら、当時1軍の土井正三監督に見向きもされなかった時にも似た寂しい瞬間であっただろう。
 その様子に店の客がどよめく。
「おいおい、イチローが丁寧に挨拶してるのに、肥後のあの偉そうな態度はなんだよ!」
「あいつ何様のつもりなんだよ!」
 肥後は、客のその声を遠巻きに聞きつつ、内心焦りを感じた。そして、理解不能な事態の進行に猛烈な不安に襲われた。
 何を隠そう、このとき肥後はマスターが紹介してくれたイチローが、一体、何をやってる人なのか全く理解していなかったのだ。
 しかし、考えてみれば、野球ファンの集う店である。
 店名だって『あぶさん』なのだから、普通の人なら、当然、野球選手を想像しそうなものなのだが。
 しかし肥後は内心『イチローって誰だっけかなぁ~?』と自分の持ちネタの森本レオばりに腕を組み、忙し(せわし)なくまばたきを繰り返しながら考えていた。
 そして自分の知りうる「イチロー」という名を頭の中で検索をかけた。
しかし検索の結果は……該当者なし!
 イチロー来訪で上機嫌のマスターは気を利かせたつもりでイチローと肥後を同じテーブルに座らせて、今宵の一席を設けた。 
困ったのは肥後である。なにしろ、隣に正体不明の不審人物がいるのだから。

『一体こいつは誰なんだ? マスターも客からも、やけに親しげにイチロー、イチローって呼ばれてるからなぁ。でも不思議なのはなんでこいつは苗字で呼ばれないんだろ? 待てよ~っていう事は、客とイチローの関係は、昔からの知りあいなんだな。客にもマスターにも気の置けない間柄だからこそ呼び捨てなんだな。そうか~。よし、わかったぞ!』

 意を決した肥後は自分の心の中で合点がつき、ファイナルアンサーを出した。
 そしてイチローに向かい堂々と
「おう、君! イチロー君かぁ。しばらく見ないあいだに随分大きくなったなぁ~」
 と手を伸ばし、イチローの頭を撫でたのだ。
 肥後はマスターや客が「イチロー、イチロー」とあまりにも馴れ馴れしく呼ぶのを見て『これは小さい頃からこの店に出入りしているマスターの息子に違いない』と踏んだのだ。
 なんたる思い込みと誤解か!
 そして突如、頭を撫でられたイチローも、試合中、頭に向けてビーンボールを当てられた以上のムッシュ~ムラムラ!な不可解さを感じたであろう。

 もちろん、この話は実話である。

 リーダーにこの手のエピソードは事欠かない。
 正直言って、周囲からは、肥後に脳の皺は皆無ではないかと疑われるほどである。
「ニワトリは3歩あるいたら忘れる」というが「ダチョウは1歩も歩くことなく忘れる」と言えよう。

 お茶の間では久米宏の物真似のイメージもあって、知的なリーダーとして認識されてはいるのだが、これほどパブリック・イメージと本人の実像が隔離している人も稀有なのだ。
 正直言って、ダチョウで一番の常識人は上島竜平こと竜ちゃんなのである。
 そう言えば、竜ちゃんのテレビで見せる数々の変態的なボケ役を見慣れている読者諸兄には、信じてもらえないが、次に話をするジモンの言動を聞けば、これも分かってもらえるだろう。
 なにしろ、ここで語られる話、メディアで語られることが今まで無かったのだから。
さあ、いよいよ、今回の「寺門ジモン最強!」の話である。

 再び繰り返すが、
 この話は、事実談であり、
 この男は実在する!

 そして、2001年5月11日──。
 テレビ朝日『虎ノ門』での寺門ジモン最強男の独白が始まる。
 それはすべて、『お笑い男の星座2』に書いている。

 あれから丁度、20年の月日が過ぎた。
 ボクも定点観測のようにジモンさんを追いかけている。
 ジモンに近い超人として武井壮が現れ、そのふたりの初対談を見届けたのもボクだ。

『藝人春秋文庫



 果たして、ジモンさんが、今日、何を新たに語ってくれるのか、今から楽しみだ。

https://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/178377

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