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【はかせ日記サブ】21/11/3 何故、ボクが太田光の選挙番組に「痛快!」と呟いて叩かれたのか。★サシャ・バロン・コーエン〜「コメディアン」の世界基準。

FILT2012年11月20日連載「博士の普通な日常」

第4回 「サシャ・バロン・コーエン〜コメディアンの世界基準」
より。

 Twitterにボクが太田光の選挙番組の感想を「痛快!」と呟いたら、ネットニュースに引用され、大炎上しました。

 ボクは呟いただけなので、ネットニュースの見出しに「擁護」とか勝手に書かれるのは心外ですが、炎上は上等だと思っているのでそれは良しとしますが、「コメディアン」という職業についてはかねがね思うことがあるので9年前に書いた記事を引用します。

 「それとこれとは別だ!」とおっしゃる「怒るひと」だらけのSNSですが、ボクはこういう映画を見て大前提で自分の感想を「呟いた」と少しでも理解していただければ幸いです。


 本文──────
 

 サシャ・バロン・コーエンの新作映画「ディクテーター/身元不明でニューヨーク」が2012年9月に日本公開された。

 映画は日本では話題になることも少なく、興行に於いてもヒットすることもなかった。

 それどころか「ディクテーター」の主演俳優であるコーエンが、東京スポーツでは「変態俳優」と紹介されていた。

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 これを読んでコーエンほどの超一流の喜劇役者を「変態俳優」としか扱われない日本のメディアの現状には嘆かわしく思いました。

 そもそも日本では、このひと、一般にはまったく知られていません。

 しかし、コーエンは新作映画が公開されると、世界中で大問題作と騒がれて、必ず20カ国以上で興行主益がNo.1ヒットになります。

 この流れはここのところずっと続いています。

 世界標準ではブラッド・ピットやトム・ハンクスも叶わないくらいのマネーメインキングスターなわけです。
 (ちなみに2012年のコーエンの年収は28億円です)

 彼こそが今、過激な笑いを武器に戦う、現代、最高の旬なコメディアンだと世界中が認知しているのに、いつまで経っても日本だけは映画もヒットもしないし、誰もその存在に全然気づいていません。

 一般レベルはもちろんのこと、お笑い番組の楽屋で、製作者や芸人がコーエンを話題にしているのもボクは一度も聞いたことがありません。

 日本ではお笑いを語る文化も成熟していて『アメトーク』とか『ロンブー』などなど、テレビの芸人の評価がこれほど評論的に語られるのに……。

 これを野球で言えば、プロ野球はパ・リーグや二軍の話題をしても、大リーグの世界最高峰の話は一切語られないようなもの。

 ボクは不思議で仕方ないのです。

 世界のコメディ事情の流れで言えば、コーエンは2000年代後半にモキュメンタリー(擬似ドキュメンタリー)の手法で有名になりました。

 世界で260億円を売り上げた映画『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』や『ブルーノ』が代表例で、前作はでは、アカデミー脚本賞にもノミネートされています。

 このモキュメンタリーという言葉が難しければ、『進め!電波少年』の海外版と思ってもらえば良いです。

 で、世界各地の紛争地、修羅場、現場に突撃して、要人に対しても信じがたいドッキリを仕掛けていくわけです。

 それは政治や宗教問題さえ、一切、お構いなく切り込みます。

 カザフスタンのTVレポーターという設定の“ボラット”みたいに別人になり切って相手に正体を知らせないままカメラ取材をやってしまいます。

 驚くのは、超保守的なアメリカ南部の町で「ブッシュ大統領がイラクの女子供を皆殺しにしますように!」って叫びます。
 当然、命からがら逃げますが……。
 イスラエルの特殊部隊モサドとパレスチナの過激派ハマスの指導者を引き会わせたりもします。
 モサドとハマスの前にゲイのクネクネした動きで現れて、「どうしてユダヤとヒンズーは争うの?」なんてトンチンカンなことを言いながら両者を和解させようとします。

 (が、その結果、映画上映禁止国は増え、本人には組織から暗殺指令すら出ています)

 昔「進め!電波少年」でも、松本明子がPLOのアラファト議長に突撃取材して「アラファと私が、夢の国~♪」って「てんとう虫のサンバ」を歌ってもらおうとしたことがありましたが、あれもまた命がけのロケですが、ただ、日本ではあれが限界でしょう。ナンセンスなら許されるって感じです。

「電波少年」の土屋敏男プロデューサーとは、昔、もしかして「電波少年」が先に進んでいたら、コーエンの領域にまで到達できたかも知れない、というような話をしたことがあります。

 ちなみに今年のアカデミー賞授賞式では、コーエンが「ディクテーター」で演じた中東の独裁者、アラジーン将軍の扮装でやってきてレッドカーペットで金正日の遺灰(もちろん偽物)をまいて話題を呼びました。というより、かなりの顰蹙を買っていました。

 遺灰をかけられた相手は「アメリカン・アイドル」の司会者として知られる人気セレブのライアン・シークレストで、彼は完全にドン引きしていましたし、見ていても「笑える」というようなニュアンスでもありません。

 ただただ度肝を抜くだけです。

 コーエンの場合、それが単にナンセンスやゲリラ的悪ふざけだけじゃなく、ちゃんと政治性、メッセージがあることも重要なことです。

 作品タイトルの『ディクテーター』=独裁者、それ自体がチャップリンの「独裁者」の21世紀バージョンです。

 とはいえコーエンは、高学歴の確信犯的な政治的笑い、というわけでもありません。

 これは今もって、何故なのかわからないのですが、コーエンの映画では毎回、意味もなく全裸で自分のチンコを絶対にさらします。

 実にくだらない。

 本人はケンブリッジ大学卒の超インテリなのに、江頭2:50とか井手らっきょにも通じる芸風の持ち主なのです。

 いや、陰部を隠さない上、映画でクローズアップで映すという意味ではふたりを超えているかも知れません。

 でもボクは、コメディアンの心意気のひとつはソコにあると思っています。

 ボク自身「チンコを出してもいい芸人」の一員を自認しています。

 立川談志師匠はソコを明確に定義していました。

 「ビートたけしはすごいぞ、あいつはチンコ出すぞ、上岡龍太郎は出せねえけど」って。

 要するに「チンコをさらけ出せるか?」という命題は東西問わずコメディアンに問われているわけです。

 そのままの意味でも、比喩的な意味でもです。

 こういうことを書くと、ただのセクハラであり、時代錯誤の問題行動とされる世の風潮ですが、しかし、そこは現実であり、性器を人前で晒すだけという芸は、長く古今東西の芸人の伝統芸として続いているのです。

 (それが、時代的にやめるべきかの議論はおいておきます)

 で、そんなチンコ芸人のコーエンを世間は侮蔑しているところもありません。
 むしろ世界のセレブが熱くリスペクトしている図式もあります。

 例えば「ディクテーター」はモキュメンタリーじゃなく普通の劇映画ですが、有名俳優たちがカメオ出演しています。

 中国人の資産家が「ハリウッドスターなんてみんなカネで買える」って言うフリがあって、実際にその中国人に買われて夜のお相手をする役で出てきたのがエドワード・ノートン本人!!

 あの名優がこんな役で出ているという事実が観客だけでなく、セレブがいかにコーエンの映画がスゴいと思っているかを物語っています。

「ブルーノ」では、「ウィ・アー・ザ・ワールド」をパロディにしたチャリティソングのシーンで、本物の「ウィ・アー・ザ・ワールド」級の超大物が勢揃いしています。たんなるパロディなのに。

 世界で最もチャリティに熱心なロッカーとか、世界で最も有名なシンガーソングライターとか。ご本人さん登場です。

 ネタばらしになるから名前は挙げませんが、ボクも思わず、これはソックリさんなのか?と疑ったほどです。

 先日、その「ブルーノ」をボクの妻に見せました。

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 ボクがコーエンに衝撃を受けているのが、自分の職業柄だったり、同じ男性だからなんじゃないかと思って、敢えて一緒に見てもらいました。

 すると妻が、第一声で「コレ本物!?」って訊いてきました。

 ブルーノには「ゲイのファッション評論家」という設定があって、本当のミラノのショーに全身マジックテープでできた最新モードの服を着て乱入してショーをぶち壊しにするシーンです。

 そこを見て、まずカミさんが「コレ本物!?」って言ったのです。
それは驚きます。ほんとにノーアポでホンモノのファッションショーでやっているのですから。損害賠償などどうなっているの?のレベルです。

 次はブルーノがアメリカに渡り、自分が作ったテレビ番組のパイロット版をテスト試写するシーンです。

 そこでもコーエンは例によってチンコを出していて、しかもチンコがドアップになって喋リ出すという、とんでも映像がありました。

 で、喋り出したチンコに思わず妻が「本物!?」
って言ったのが二回目です。


 妻も笑っていません。ただただ驚いています。

 三回目は、例の「ウィ・アー・ザ・ワールド」のパクリのシーン。
 数々の大スターが出演するところです。
 「本物?」
 その答えは「全部“本物”」なんです。

 ほかにもアフリカから養子をもらってきて「iPodと交換した」って発言したり、セックステープを流出させて有名になろうと老政治家にホモ行為を迫ったり、ポーラ・アブドゥルをメキシコ人労働者の人間椅子に座らせてチャリティ活動について語らせたり。

 どれもこれも本当にえげつないのです!!
 正直、シャレにならないって思います。
 日本人なら誰しもそう思うでしょう。

 ちなみに、コーエンの映画は、どれも90分以内の短さです。
 ボクはそこに映画作家としての意志の強さを見ます。
 普通の映画作家はつい足し算して長くなるものですが、
 コーエンの映画は短いからどれも簡単に観ることができます。

 いまはレンタルDVDが100円の時代。

 これだけ面白いものが、しかも80分しか時間を取られないのに、日本人が全然観ないって本当にもったいないと思います。

 試しに見て欲しいのです。

 絶対にスゴいものが見られるし、価値観が揺すぶられます。
「コレ本当!?」級のサプライズが絶対に起きます。

 そして、日本と海外ではコメディアンの役割が違うことを痛感します。

 70年代まで日本も芸人の地位は、芸能界の最下層でした。
 しかし、欽ちゃんや、たけしさん、タモリさん、さんまさんら、ビッグ3のおかげで、あらゆるジャンルに芸人は侵食して、今や芸能界的ヒエラルキーは一番上にあります。

 しかし、芸人やタレントは政治問題は口にしないって大前提は、日本には、まだあります。

 でも英米のコメディアンは政治批判もやれば社会時評もやっています。
むしろ、そのジャンルの番組がコメディと言われています。

 お笑いの価値観が世の中のタブーを突き破っていく。
 その原動力になることを、長年文化の価値観として知っているからです。

 それこそ、シェイクスピアの頃から王様と道化の関係は描かれています。

 日本でも、昔は江戸の芝居の戯作者の時代から、そういう伝統はあったはずです。

 でも今では日本ではお笑いは技術的話芸の向上、テーマも個人のサイズの特異性を際立たせる方向には、進化しています。
 世界的にレベルも高いはずです。
(日本人のコントのネタが世界各国でパクらているように)

しかし、芸人は好感度を保ち、人畜無害なものとして見られていて、
政治に介入したりするもんじゃないと、同調圧力を利かして、
日本人全体が思っている節があります。

「お上の言うことに芸人がくち出すんじゃねぇ!」とか。
「河原乞食風情が何を言ってんだ!」とか。
「報道と芸能は違う」とか。

 でも、本来、芸人や役者は本来社会の最底辺に生きる、河原乞食の自覚があるからこそ、タブーを突き破り、社会の変革のひきがねになります。

 そもそもトリックスターの概念はそこなのですから。

 コーエンの映画に映し出される、明らかに酷い差別や侮蔑のパロディは、
あえて社会を映す合わせ鏡であり、ショック療法です。

 お笑いにその役割があることを社会が認めています。

 でも、今、日本では、芸人は安全で品行方正で、自分たち、大衆を笑顔にするだけで、癒やしを与え、決して人を不快にしない、脅かさない、安心安全なポジションにあるべきで、そこに居て欲しいと思っています。

 芸人が持つ社会に対する秘めたる毒や刃はもう見えないほうが良いのです。

 実はボク自身も、以前は芸能人として社会的な発言は控えたほうがいいのかなと思っていました。

 だけど、サシャ・バロン・コーエンなんかを知るとコメディアンは笑いをシャレでやっているけど、そのシャレが持つ過激性そのものが、本当に世の中を変えてしまうことがあることを、もっと認識、許容しても良いのでは?と思います。

 コーエンの劇場映画一作目「アリ・G」は、ヒップホップスターに憧れる下町のユダヤ人が国会議員になって地域のボーイスカウト施設を守ろうとする話でした。

 これは『ブルース・ブラザーズ』の変奏曲とも言える話です。

 ボクは最近、渋谷の公共施設「こどもの城」が潰される件に強く反発しています。時々意見も発表します。
 それもサシャ・バロン・コーエンやブルース・ブラザーズのことが頭のどこかにあるからです。

(了)


******footnote
サシャ・バロン・コーエン
‘71年英国生まれ。コメディアン、俳優・プロデューサー。
テレビのスケッチコメディで白人ラッパーキャラ“Ali G”を演じブレイク。彼のMC番組"Da Ali G Show"は、英国アカデミー賞受賞。カザフスタンの傍若無人なレポーターに扮した「ボラット 我が栄光ナルカザフスタンのためのアメリカ文化学習」(06年公開)、ゲイのファッションレポーターに扮した「ブルーノ」(09年公開)など、際どいキャラのモキュメンタリー映画で全世界のマスコミから絶賛。架空の共和国の独裁者「アラジーン将軍」を怪演した劇映画『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』が現在公開中(写真:本人演じる独裁者・アラジーン将軍)。

******プロフィール
水道橋博士
すいどうばしはかせ/1962年8月18日生まれ。岡山県出身。ルポライター芸人として対象に突き刺さる熱い眼差しと文体に文学界でもファン多し。『お笑い男の星座2』は大宅壮一ノンフィクション賞候補に。ほか、『本業』、電子書籍版『藝人春秋』(書籍化も発売決定!乞うご期待)など。毎週水曜21時~「ゴールデンアワー」、毎週金曜22時「ニッポン・ダンディ」(以上、MXテレビ)、「あさイチ!」(NHK)ほか出演中。

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この文章を書いて10年経って、今回の太田くんの選挙番組の司会ぶりに大バッシングが起こりました。
 それを(擁護?)したとのことで、ボクの呟きも大炎上しています。

 お笑いの定義は個々にあり、まず太田くんの態度に、「無礼だ」「人を不快にする」「笑えない」と皆さんおっしゃいます。

 ボクは、芸人が滑っていたり、空廻りする様子も大義で「お笑い」のなかにあります。

 山本太郎代表にロクに喋らせず、「態度悪いな!」と悪態を付くところなど、「オマエだよ!」とツッコミを入れて笑ってしまいます。
 解説するまでもなく、それ込みのお笑いです。

 それでは駄目なのですね。
 成立しないのですね。

 あの頃より、ますます「芸人=コメディアン」が、本来、何をするひとかわからない、知らないままの人が増えたのが実感です。

 お笑いが本来、反体制的なもの。あるいは権力者に対し、おちょくることが優先順位であったこと、大きく言えば、リベラルであることは、東西を問わない歴史です。

 しかし、アメリカでもラッシュ・リンボーとか、時代に逆行する正反対のラジオパーソナリティが現れ、差別を助長する姿に支持が集まる様子には
ずいぶん驚かされました。

 今や体制におもねる方が、テレビに出れたり、仕事に恵まれて良いという
風潮すら厳然とあります。

 特に大阪は顕著であると思います。

(ほとんど皆、問題意識など俯瞰図にはなく、ただただ無意識過剰が作るムードなのですが)

 詳しくは、『藝人春秋』の文庫の2・3を読んでください。

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オワコン芸人のタワゴトですいませんでした。


ご愁傷さまです。自分に。

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