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冒険ニーチャンは海へ

今回は、私が昔多かれ少なかれ関わって、記憶の中の何丁目何番地かの一角をいまだに陣取っていてなかなか出て行ってくれない一人の男のことを書いてみようかと思う。

その男は、まあ本名など知らないので当時の勤務ホール内での渾名なのだが、“冒険ニーチャン”と呼ばれていた男の話である。

どの業種店舗でも、外見や仕草などにちょっとしたクセがある常連客には渾名が付くわけだが、パチ屋は社会における印象を良くすることに最大限努めるべきでそのようなことは絶対にすべきでないという潔癖な読者の方は、せっかく読んでいただいても嫌な気持ちにさせてしまうだけだろうから、ここでページを閉じてYouTube動画でも見に行って欲しい。

そうこうしているうちに私の脳内で、とても久しぶりに居室のドアをノックされた冒険ニーチャンが早く出せと昂っているから前置きはこれくらいにして、一気に書き進めていく。

さて、いまや三洋物産はぱちんこ業界という大海原の王者ともいえる存在だが、CR機の普及期にあたる1995年前後は、ホールからまとまった台数を買ってもらえるような大当たり確率1/300前後のデジパチの開発に躍起になっていた。

その中で生まれたのがかの大工の源さん、ギンギラパラダイス、ニューロードスター、そして海物語というタイトル機なのだが、いわゆる“確変2回ループ物”を好むファンの特にマニアックな層から絶大な支持を受けていたのがCR冒険島だった。

同機の解説を書いていくとスペースをとられるし、このご時世興味があれば自分で調べるのが常識につき細かい機種説明は端折るが、敢えていえば当時の機種らしく多様な図柄のオリジナルキャラクターがいまとなっては超小型サイズの液晶上でところ狭しと躍動し(ているように見えたから不思議である)、当時打ち込んだ読者諸氏はいまでも1図柄担当のマンモスが格好良かったとか0図柄担当の犬(ハチという名前らしい)が可愛かったという具合いに、星の数ほど世に出たデジパチだがここにはしっかりとブックマークが付いているという場合も多いように思う。

そんな冒険島も、前述した源さんやギンパラ、そして何を差し置いてもCR海物語3Rや竹屋のCRモンスターハウスなどのメガヒット機の登場によって文字通り居場所を失うこととなり、世間がノストラダムスの大予言がどうの、2000年問題で世界中のコンピュータ共が人間社会を脅かす可能性があるだのと取り沙汰されていた頃には、全国のホールから寂しくも姿を消していた。

そして私の勤務ホールの常連だった冒険ニーチャンもまた、ほぼ毎日朝から晩まで海物語に向き合う専業者へと変わっていた。

冒険ニーチャンが冒険ニーチャンではなくなったわけだが、同僚の皆が、もう決して戻ることはないだろうぱちんこ業界における時代の変遷の残酷さを恨みつつそれにある種のノスタルジックな想いを乗せて、これから彼はどうするのだろうという興味を持ってその後も冒険ニーチャンと呼びつつ、日々の稼動を生暖かく見守っていた。

冒険ニーチャンの年齢は30代後半、身長は185cmくらいで、バキバキに固めてはいないが絶妙な硬度に保たれたリーゼントっぽい頭髪を揺らしながら、映画館で任侠物でも観てきたばかりの安いチンピラのように、連日のっしのっしとホール内を闊歩していた。

ハマって単発当たりを喰らうと「この店は何かやってる、ピンポイントで俺を狙ってきやがる」と吠え、しばらく魚群が出て来ないと「今日の魚は腐ってる」と悪態をつき、たまに連チャンすると機嫌が良くなるなど、どこにでもいる面倒くさいお客のひとりだったが、私は彼のことをとても“羨ましい”と思っていた。

東北の田舎町から大学進学で上京した私は、いつの間にか他人から好まれる言動をごく自然に選択しそれが当たり前になっていて、そうなってしまっていることを自覚したときhideが歌うようにだいたいおんなじ毎日だがまあまあそれなりにOKなのではないか、これこそが東京という街で生きるということなのではないかと妙に悟った気持ちで過ごしていた。

そういったときに、周囲に多少の迷惑はかけながらも己がいま向き合っているパチンコ台と感情をシンクロさせ無邪気な少年のように振う舞う彼を見て、幾分かでも羨望の念を抱かない方が難しかったのかもしれない。だから悪態をつかれることがあっても、敢えて接近戦を挑んでなるべく好かれるように努めた。

そんなとき、同じ商圏の外れ、ちょうど隣駅前の界隈にあたる場所に、いかにも新時代の到来を予感させる“2000”という数字を店名に含むタワー型の新店がグランドオープンした。同店は海物語を大量に設置しており、この商圏内では珍しい正方形の玉箱を鮮やかな青色で統一し派手な広告宣伝を打って、同機種を看板として扱うような営業戦略をとっていた。

これにはさすがに冒険ニーチャンも気を惹かれたようで、ほぼ毎日遊技しに来ていたのが見掛けない日も出てきたため近況を聞くと、「悪ぃな、先週はO店に浮気しちゃったよ」などと話し、少しバツが悪そうに笑っていた。

「オープンしたてのいまは特にお祭り調整でしょうから、やる気がある店で看板機種を狙うのは当然ですよ」などと受け答えすると「いつまでもつかな?」と返すので自分はただのアルバイト身分だからホール運営の難しいことは判らないという風な回答をすると、「いや釘がどうの、ということじゃなくて、さすがにパチンココーナーの大部分が海というのは多過ぎると思うけど、これからどうなると思う?」「なにか、いろいろと変わって来てるよな、俺自身も、いつまで毎日弾いていられるかな」という話であった。たしかに看板機種ではなくなれば運用レベルも下がるだろうから、彼のようなピンの専業者にとっては死活問題である。

なぜこのような会話になるのかというと、当時はまだ海物語というタイトル機の次回作がどんどん登場するというのは既定路線ではなかったためであるが、彼はこのときはっきりと、「これは定番になるよ」「ギンパラと海でマリンちゃんがキャラ立ちしたから、新作の海は絶対造るだろうな」「新作の海が登場するたびにパチ屋は買い換えていく、そういう流れになるのかな」と言っていた。

つまり彼は、自店の看板機種をなるべく長く維持していくようなホールの営業スタイルが今後変わっていくことや、三洋に限らずメーカーがオリジナルにせよ版権物にせよ何かヒット作を得た後それをとことん使いまわすような時代の到来を予見していたということになる。慧眼である。どんなに良い機種でも新作が出れば撤去されることになり、それに2018年の規則改正以降はいわゆる“みなし機”の継続設置に目を瞑ってもらえない時代になったことも関係して、ホールの懐具合が悪化したいまでも設置機種の入替頻度は高いままである。

このことが機種運用レベル低下の直接的な原因であるとか、店舗運営上の体力が削られる一因であるとか、今回はそういうことに言及はしないが、いまになって思えば、冒険ニーチャンは贔屓にしていたCR冒険島が姿を消して海物語の時代が到来し、小規模店が次々と閉店し設置台数500台超の店舗が商圏内で幅を利かせ、2.5円から3.3円程度の交換個数が当たり前だったのがいわゆる等価交換店舗ばかりになっていく直前期の兆しみたいなものを己の稼業への不安感を滲ませながら「なにか、いろいろと変わって来てるよな」という一言で表現したのだと思う。実際ぱちんこ業界人の目線で見ても、一人でふらりと来店して一日中好きな機種を打ち倒すようなホールとの付き合い方には限界が来ているようにも思える。

毎日打ち込んでいるうちに覚えた演出パターンやその機種ならではの妙味・機微みたいなものは、ほぼ毎週なされる新台入替によって無情にも更新されていくのが当たり前の時代になり、初代海物語においてはリーチが外れても苦い顔をして海底にフレームアウトしていくだけだったマリンちゃんも、いつの頃からか「ゴメンね」と打ち手に媚びるセリフを発するようになった。

そして泡演出の気泡が溶けて消え行くかのように、ふと気づいたら勤務ホールでも同じ商圏内でも、冒険ニーチャンの姿を見掛けることは一切なくなっていた。2002年から2005年にかけて新海物語や大海物語が登場するわけだが、その間のどこかで、彼は廃業したか稼動エリアを変えたのだ。

おそらくこういったことは、他の人気タイトル機、たとえばエヴァでも起こったように思う。ホールが看板機種として扱っていた“奇跡の価値は“が姿を消して後継の何作目かのタイトル機になった時点で、これはちょっと違うぞ、自分が”のめり込んで“いたエヴァではなくなってしまった、そう感じた打ち手は多かったのではないだろうか。

幸いにしてエヴァは2021年末に登場した“未来への咆哮”にて久方ぶりの高評価を得ていまでも看板機種として可愛がっているホールも多いため、年季が入ったエヴァファンの中には贔屓の機種をとことん打ち込むというだいぶ昔の遊技感覚を懐かしくも取り戻しているという人も多いのではないかと思う。

私はいま、冒険ニーチャンが、ここ数年以内に登場した海物語の新機種のどれかに触れて昔のことを思い出し、当時のようにどこかのホールで一喜一憂しながら遊技に興じていることを願うばかりである。

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