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学生運動終末期に大学生だった父親のことを想う

私の父親は、都内の大学構内で”学生運動”が展開されていたのを経験した最後の世代だ。

本人曰く、勉強するために大学に入ったのにガタガタドンパチやっていたのでとにかく頭に来た、とのことだった。

機械の構造や内燃機関などに興味があったので理工学部に進学して、できれば自動車メーカーにでも入社したかったのだろうが、姉が三人で男が自分一人という家族構成だったこともあり両親から家督相続の必要性を説かれ、不満を感じながらも田舎に戻って子供をひとりもうけていまに至る。

自分が、どちらかというと望まない人生を歩んでしまったという経緯で一人息子の私には好きなようにやれという方針で、それに甘えて私は、大学進学時は西洋史学の領域で研究者になろうとしていたのだが有り体にいえば能力が足りず、キザな言い方をすれば1990年代後半~2000年代初頭という”時代”がそうさせなかった。

当時パチンコは社会的不適合機の生き残りや稼動歴十年超にもなる役物抽選機などがまだまだ元気にホール内で存在感を放っていたし、スロットの方は裏モノ機が醸し出すアブノーマルな雰囲気と花火系に代表される多彩な演出を搭載した機種が登場しAT・ART・ストックタイプ機の発展によって若者を強烈に惹き付けていたから、それに魅了されるかたちで私はホールに入り浸ることとなり、大学を中退してしまった。

その後、一度は会社員になって”真面目に”生きていこうと決心するも、やはりホールで連日繰り広げられていたお祭りの縁日のような賑わいが恋しくなり、ホール法人に転職して気付いたら事業部の責任者になっていたという次第である。

そんなこんなで、大学と学生運動、そして東京の話ついでに、それらを軸に据えて世の中の構造についてごく簡単に述べてみようかと思う。

1960・70年代に全共闘が主張したことは、安保法案反対、学費の値上げ反対、学内自治の主張などいくつかあるわけだが、その中のひとつにマスプロダクション教育によって社会に有用な人物を画一的に生産するような講義方針への批判も含まれていた。

彼らは戦後のベビーブーマー・受験戦争世代だから、開かれた社会になった、若者が戦争に駆り出されることなく自由に生きられる社会になったかと思われたところで、まるで大学教育を通じて社会を再統合しようとするかのような教育に触れてこれをエリーティズムの姑息な温存であると反発したのだとも解釈できよう。

中産階級の生活が豊かになるに連れて大学進学は次第に当たり前のことに、敢えて言えば大衆化していき、大学間の序列は一流・二流・三流・それ以下といった具合いにかなり明確にピラミッド化した。

社会におけるエリートというのは単に出身大学の序列で上位に位置する者を指すだけになり、これに気付いた者は人生の有限な時間を節約するべく大学の肩書だけをもらって早々に中退して社会に出るなどした。世代は異なるが、かのホリエモンなども、これと同じ考え方で東大を中退して起業したのだと言える。

また皮肉めいたことに、ヒエラルキー上位の大学を卒業すると名の通った企業の本社・重要拠点勤務になったり国家試験などを通じて都市部に居付くことにもなるから、その分だけ自らのオリジン・ルーツに基づいた自己を失い易くもなる。

もう何年も故郷に帰省していない、墓参りに行っていない、親や旧友とも会っていない、そのような境遇にもなり得る。

その反対に下位の大学に進学すると、人生が社会経済の上層部や国家へと向かうよりは自分自身と周囲の範囲内に留まり易く、また故郷への回帰によってローカルな人間関係が維持し易くもなる。

つまり上へ・国家へと向かうことで人生が抽象化する、下位に留まることで具体性を保持する、このような二項対立の関係も見えてくる。

それぞれ極端な例を挙げると、前者においては何年も会っていないため”オレオレ詐欺”に引っかかってしまう家庭のことを、そして後者においては成人してもなお小中高時代の序列が残存している”地元ヤンキー”みたいなものをイメージしてみるとわかりやすいかもしれない。

かなり乱暴な構造把握の仕方をしたが、このまま大学に通って国家有用の人物になったところでそれは”自分”ではない、自分の人生を生きたい、そのように考えた学生たちがいまよりもずっと多くいて、そんな時代のいわば”熱気”にあてられて同世代で集い声を上げヘルメットを被り武器を手にしたのが学生運動というものだったのではないかと、その世代から生まれた子である立場で、どうにか解釈しようと試みた次第である。

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