思考まとめ

免責

個人の感想です。映画の具体的な内容と感想が含まれます。

トラウマとなった「シザーハンズ」

私が未成年の頃、テレビでは映画をやっていた。その中でも「シザーハンズ」は因縁が深い映画となった。

あらすじとしては、山奥に生まれて世界から遠ざけられていた刃物男が街のコミュニティに触れ、いろいろ良いことも悪いこともあり、結局は山奥に捨てられるという映画である。(諸説あり)

「世間から見て、おまえが刃物男そのものである」と私が知るのは数年先となる。何か拒絶されたと感じる度に、この映画を思い出しては泣いていた。

「トイストーリー4」

それが数十年が経ち、毒親と社会に破壊されたものを精神的に再構築しているのが最近の私であるが、トイストーリー4を再考している。

これら2つの映画(と評判)から考えるとコミュニティの問題は個人の性質に、重大な責任がある訳ではない。

よくよく考えれば、シザーハンズで村八分になったのは刃物男が直接の原因ではない。いくつかの主因は人間の業の深い悪意と勇気の無さである。

トイストーリー4でも、困ったちゃんなキャラクターたちが生きることを否定するファンは少ない。
次回作があるとして、フォーキーが自分の意志でゴミ箱に行って居なくなった設定になれば喜べるのだろうか?

そもそも、シリーズでも「既定された形式的な幸せ」に対する否定は何度かあったはずだ。(つまり、フォーキーがいなくなる設定もありではある)

現在の結論

私が適切な形でコミュニティと関われるには、あと5年(*時間的な単位ではなく、精神的にそれぐらい掛かるという意味あい)ほどは掛かるだろう。

いつまで健康寿命で生きていられるかは誰にも分からないので、もしかしたら、不慮の事故や精神の病気による機能低下、もしくは私が諦めてしまい考えていたより早めに、努力することが終わるかもしれない。

いろいろ説を並べてみたが、もう歩き疲れたので、そろそろ休みたい。

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