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20210908 花窟神社の落石をどう捉えるか

2021年9月10日、花窟神社の御神体の巨岩の一部が崩れ、拝殿に落ちていたニュースを耳にした。
(https://www3.nhk.or.jp/lnews/tsu/20210909/3070006292.html)
 
2018年10月に花窟神社へ御参拝していた。
(https://note.com/sui3310/n/n0f1cef178704)
 
花窟神社の投稿にも記載してあるが、神倉神社の御神体ゴトビキ岩は『陽石』、花窟神社の御神体の巨岩である磐座が『陰石』で、一対をなすとなれば、今回の落石は、ますます昼の時代の光の強さにより、悪は徹底して破壊されることを意味しているのではないかと考えた。
 
以下にメシヤ様の御教えを掲載致します。
 
『地上天国』十四号、昭和二十五年三月二十日
何故救世教となった乎
 
 開数以来未だ三年とは経たない観音教団も五六七(みろく)教会も、今回統合して一つになり、救世教の名によって新たに発足する事になったのは、如何なる訳であろうか、之は信者の誰しも知りたいと思うであろうから、茲(ここ)にかくのである。
 以前から私が始終言っている事は、神様は何事も型で見せると共に、型を行わせらるるという事である。その意味に於て何時かは霊と体、即ち経(たて)と緯(よこ)と結び、十字形になり、それからが本当の神様の御働きになるという事である。経と緯は火と水であるから、火はカであり、水はミで、カミの御働きになる。
 又仏教は月であり、月は夜の光であるから、観世音菩薩は御仏である以上、夜の月の御働きであるから、絶対力は揮い得なかったのは時期の関係で止むを得なかったのである。従而(したがって)、愈(いよい)よ昼の世界になる以上、仏の御働きは茲に解消し、神の御働きとならせらるるのである。それが前述の如く救世教となった事は勿論である。

 右の如く神の御働きとなったとしても、日本古来からある神道とは違うのである。神道は日本の民族宗教で限られたるものである以上、万事世界的になった今日としては意味がなくなったので、終戦後神道の影が薄くなったのも、それに外ならないのである。という訳で、最高の神様は民族や国の差別などはなく世界全人類を救わせ給う事になり、実に有難い時となったのである。是に於て適当な名称を冠せなくてはならない、とすれば、救世の名こそ最も相応しいが、救世教では漢字である以上、東洋的で面白くない。そこでメシヤの振仮名を付けたので、之によって東洋も西洋も合せて世界的という訳である。特にメシヤの言葉はキリストに相通じ、文化民族憧憬の名称たるに於てをやでもある。又聞く所によれば、メシヤと最後の審判とは密接な関係があるという事で、吾等が常に唱える夜の終りと昼の始まりとの意味と同様であるのは意義実に深いものがある。
 処で、観世音菩薩が神の御働きとなるとすればどういう変り方になるかは、信仰者として最も関心事であろう。それは度々言う如く、善悪無差別的救いが無差別ではなくなり、善悪をはっきり立別けられるのである。という事は善の御守護は益々厚くなり、悪には今迄と異い愈よ厳しく裁かれ給うのである。此点を深く肝に銘じて進むべきである。それには何よりも出来るだけ御神書を拝読する事である。
 神様は、御理想である真善美の完き地上天国を造らるる以上、心の穢れた間違った者を徹底的に是正されなければならないからである。
 
以上が、メシヤ様の御教えです。
 
・神様は何事も型で見せると共に、型を行わせらるる。
・最高の神様は民族や国の差別などはなく世界全人類を救わせ給う。
・世界救世(メシヤ)教、「救世」という漢字に「メシヤ」の振り仮名を付けたので、東洋も西洋も合わせて世界的。
・観世音菩薩が神の御働きとなる変り方は、善悪無差別的救いが無差別ではなくなり、善悪をはっきり立別けられるのである。
・神様は、御理想である真善美の完き地上天国を造らるる以上、心の穢れた間違った者を徹底的に是正されなければならない。
 
現界で起きている世界事象は、まさに善悪の立別け。
病は薬で治せるという認識から、体がきれいになる浄化を薬で止めているという認識へ
自分の自然治癒力を信じ、日々、添加物や化学物質、薬を除く生活へシフトし、免疫力を上げる。
熱や咳の浄化サインが出れば、浄霊を頂く。
メシヤ様と直に太く繋がり、想念がしっかりしていれば、宗教宗派を超えて、誰でも手を翳せるのです。
自分自身も浄化できるのです。
組織に捉われず、愛と慈悲で、一人でも多くメシヤ様に繋がれることが許されますよう、お祈り致します。
 
#御神業
#惟神精神
#神様は型で見せると共に型を行わせらるる
 

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