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2020年6月15日ー16日 地上天国祭、京都御参拝

当初の予定は、6月15日は自宅で「地上天国祭」を執り行わせて頂き、16日、17日を京都へ御参拝、いくつか神社や寺院を訪れる予定だった。

5月28日、御神前にて、神社や寺院へ訪れるべき所があればご教示頂きたい旨、想念でお伺いすると「嵯峨野」というお言葉を頂いた。

最終的に6月15日は自宅で「地上天国祭」を執り行わせて頂き、午後から京都へ向かうこととなり、訪れる先は平安郷と妙心寺のみとした。(妙心寺についてはまた改めて纏める)

6月13日、浄化を頂いた。
地上天国祭、平安郷御参拝の想念が浮ついていたからだと思う。
「想念がなっていない」というようなお叱りが頭の中に入ってきた。
メシヤ様だと思わされた。

6月14日、6月12日から岡田茂吉記念館に「無碍光」等、初めて公開の貴重な御光筆が展示されていることを知った。
「無碍光」がとても気になり、まずは辞書で調べた。

「無碍光」とは、仏の発する知恵や救済力の光が、何物にも遮られないこと。

メシヤ様の御教えで調べた。
以下、【観音力、観音行、観音心について】より抜粋。

観音様のことを無碍光如来とも応身弥勒ともいうのであるが、これは自由無碍、円転滑脱、行き詰まることのないお働きをいう。

suiは「これなのだ」と思った。
コロナというウィルスにより、劇的に世界は変わってしまった。
一般的にマスクや除菌がかかせない生活、人を恐れるようになってしまった。
元気な状態でマスク、除菌をすることにより、人間は弱っていく。
除菌は悪い菌だけ殺すことはできない。人間に必要な常在菌まで殺してしまう。
人を疑い、信じられなくなれば、あらゆる生物との共存も難しくなっていくのではないだろうか。

だが、これからどんなウィルスが出てこようとも、恐れることはない。
メシヤ様は万人に、無碍光の浄霊力をお示しくださっている。

あとは人間次第。

唯心的に考えられれば、メシヤ様に直に太く繋がり、あらゆる病気に御蔭を頂けると思う。
もちろん未知なるウィルスに対しても。

唯物的に考えるならば、メシヤ様に繋がっていても、浄霊力は弱くなってしまうだろう。
浄霊力は想念で、愛と慈悲で無限の力となる。

地上天国祭の式次第には、以下のように想念を纏めた。

六月十五日は、主神様の表現神「天照皇(すめ)大御神」様を現界へお迎えし、昼の世界が始まった日であります。主神様へ全宇宙の御経綸に対する感謝を捧げ奉り、大彌勒様でもあられるメシヤ様から地上天国建設の御力を賜るために、神幽現三界で世界救世(メシヤ)教を拡め、無碍光の浄霊力で人間本来の神性を蘇らせ、メシヤ様の大慈大悲の御心を心として体現し、人を咎めず、新たな罪を作らぬよう念じ奉ります。

そして、御歌を一首、選ばせて頂いた。

「主の神の 御心のままに吾は今 無碍光如来の業遂ぐるなり」

6月15日の地上天国祭は、八時より執り行わせて頂いた。
相互浄霊では、霊視で光を見させて頂いた。
青紫色の光、桃色、黄緑色の光もあった。

6月16日、平安郷へ御参拝。
十時に御参拝を許された。
天津祝詞奏上時は心地よい風を受け、善言讃詞奏上時は、燦燦と日を浴びた。
あまりの御計らいに涙が次々と溢れてきた。
メシヤ様に御使い頂けるために、一人でもメシヤ様に御繋ぎさせて頂く役割を担うために、日々精進する旨、改めて決意させて頂いた。

太陽を撮影しようとスマホを空に向けた途端、勝手に連写が始まり、14枚も撮影されていた。
見る人によって、何か感じるものがあるだろうか。

岡田茂吉記念館で拝観した御光筆等は以下のとおり
・「金龍」引首印 光明 昭和24年
・「春ぬ野に 遊ふが如く心(うら)たのし 神の霊衣に包まるる身は」明麿
・「無碍光」引首印 大光明 昭和23年
・「大神力」引首印 光明 昭和23年 落款印は彌勒聖代、地上天國
・「持経観音」昭和19年
・「大乗道」引首印 光明 昭和23年
・「富士山」墨絵 昭和17年
・「心」昭和18年

神様との約束は絶対。
これからも、あらゆることを受け止め、御守護を賜りながら進ませて頂く。

#岡田茂吉はメシヤ様
#メシヤ様の心を拡げる
#大彌勒大御神様
#和合統一

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