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子どもを通して教えてもらうこと

2022年1月8日(土)
朝拝後、我が子が「不思議なことがあった」と話し始めた。

昨晩、お布団に入ると頭痛がする。
想念で、神様にお願いしたそうだ。
すると、5秒ぐらいでスッと痛みがとれた。
あー、良かったと思うのも束の間、またすぐ頭痛が始まった。

もう一度、想念で、神様にお願いしたそうだ。
するとまた、5秒ぐらいでスッと痛みがとれて、そのまま寝ることができたと。

「神様って本当にいるんだなって思った」
と、嬉しそうに話してくれた。

昨晩、私は夕拝後、疲れてそのまま寝てしまったのもあり浄霊を頼みにくかったのだろう。
(我が子は自己浄霊をすることもある)

その人その人にあった気付き方を、神様は教えてくれるのだ、と感謝の気持ちでいっぱいだ。

以下にメシヤ様の御教えを掲載致します。

『光』二十五号、昭和二十四年九月三日
人間は想念次第
 
 感謝が感謝を生み、不平が不平をよぶとは正に真理だ、何となれば感謝の心は神に通じ不平の心は悪魔に通ずるからだ、此理によって常に感謝をしている人は自然幸福者となり常に不平不満や愚痴を言う人は不幸者になるのは事実だ、大本教のお筆先に曰く「喜べば喜び事が来るぞよ」 とは正に至言である。
 
 
『御垂示録』二十二号、昭和二十八年七月十五日

―――資格者といたしまして、人を救うこと、信仰の向上を図ること、御奉仕とをいかような順序に考えましたらよろしいものでございましょうか。また金銭物質の御奉仕の意義、方法につきましてお伺い申し上げます。
 
恐ろしい質問だね。それは、どっちが肝腎だということを考えるそのことが間違ってます。そういうことは考えないのが本当です。というのは、神様はその人の使命、その人に与えられた能力によって人を救う御用をする人もあるし、お金の御用をする人もあるのです。向上は全般ですが、各々その使命があるのです。というのは、そういう事情になってくるのが使命ですから、そうなったらそうすればよいのです。金が集まってきて、人を浄霊するよりもというのは、そういう使命があるのです。また金がない、信者をたくさん作るというのは、そういう使命があるのです。それは周囲の事情がそうなってきますから、ただ素直にそのままを考えて進んで行けばよいのです。それから向上ということは、一番のことは智慧証覚です。いろんなことが分かることです。分かるといっても間違った分かり方ではいけません。その標準は御神書です。御神書に書いてあることがだいたい「なるほど」と思えれば、それは智慧証覚がだいぶ上がっているのです。「どうも分からない」というのもあるし、そのときはなるほどと思っても、家に帰れば忘れるというのもあります。いろんなことがフッと分かるのは智慧証覚が向上しているのです。病状をみて、この人はこの病気だということを当てれるのは、よほど智慧証覚が上がってなければならないです。だから以前は五つ分かったが、このごろは六つ分かる、七つ分かるというのなら智慧証覚が向上しているのです。
 
―――御奉仕のやり方想念によってひっかかるのがあるのではないかと思われますが。
 
お蔭ですか。前に私が大本教にいたときに、ある人が献金を頼んだのです。するとその人は綾部に行く途中で芸者買いをして使ってしまったのです。そうすると無駄なようですが、ところが決してそうではないのです。その想念はすぐ神様に通ずるものです。「それは霊は行っているので、体だけが使われているのだからなんでもない、上げるというのを持って行って途中で使っても同じだ」というので、私はなるほどと思いました。上げたいという想念です。 それが一番分かるのは、死んで間もない霊が咽喉が腫れてしようがないと言うので「遺族が水を上げたでしょう」と言うと、「そうではあるが、その想念が悪いから飲めない」と言うのです。「上げたい」という心で上げると飲めるが、女中に任せたり、お役でやっていると、その想念が間違っているから、飲んでもうまくないし、また飲めないというのです。霊的のことは想念が肝腎です。霊主体従で霊が主なのですから、「これだけお上げする」という気持ちで上げると、途中でなくしても、そんなことは関係ありません。
 
以上がメシヤ様の御教えです。
 
御神意の深さに畏れ多いです。
日々、惟神精神で進ませて頂きます。
 
#想念次第
#霊主体従
#御用は人それぞれ

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