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恐怖心鼓吹の衛生学と黴菌の必要

以下にメシヤ様の御教えを掲載致します。
 
『日本医術講義録』第一篇、昭和十年
恐怖心鼓吹の衛生学と黴菌の必要
 
 凡そ、此世に在りとあらゆる物は、人類生活に対し、無益な物は一つもないのである。人間が今日迄の経験や学問により解釈して以て、有害だとか無益だとか決める丈(だけ)であって、人類生活を向上させ、進歩発展を宰(つかさど)り給う、神の御心に依らなければ、真実の意義は決して解らないのである。此神の御意志を、私は宣(の)べ伝えるのであるから、今日の人間より見て頗(すこぶ)る意外な事や、反対な説が多々あるであろうが、之が真理であるから、意を潜めて、熟読玩味すれば、豁然(かつぜん)と蒙を啓き能(あた)うのである。
 人間が、最も忌み嫌う、彼の蝿という虫は、実は、人類生活に最も有用なる役目を遂行しているのであって、設(も)し、此蝿なる虫がないとすれば、人類は軈(やが)て滅亡するやも料(はか)られないのである。何故なれば、 此貴重なる蝿は、黴菌を伝播する役目をしているからである。而も、それが最も恐るべき伝染病の黴菌に於ておやである。
 現在の人間が、諸々の罪穢を犯す為に、それが精霊に曇りを生ぜしめる。その曇にも当然種類があるのである。それは、犯す罪穢に種類があるが故である。故に、其罪穢相応が曇となり、その曇の相応が血液の濁りとなるのである。その血液の濁りが一定の程度を越ゆれば、其人自身が死を招くのみならず、その子孫にまで、虚弱者を生ずべき怖れあるなれば、此場合その人間の生命と、その子孫の健康をして完全なるものたらしめざるべからず。それが、種々の黴菌をして、その濁りの血即ち、毒血排除の工作をさすのである。其工作者こそ、実に、各種の黴菌其物である。
 故に神は、凡ゆる種類の黴菌を作られ、その黴菌が絶えず伝播されて、人間の肉体の凡ゆる箇所から、侵入する様に出来ているのである。侵入した黴菌が、己の掃除すべき毒血がなければ、その黴菌は力が弱り、而も、血液の活力によって殺されて了うのである。それが謂(い)わば純な血液の殺菌力なのである。然るに、一度、黴菌が侵入するや、その黴菌に適合すべき毒血がありたる際は、非常なる黴菌の生活力を増し、どしどし繁殖してゆくのである。毒血の有丈(あるだけ)繁殖して、そうして、その毒血を体外へ排泄し、又は消滅せしむるのである。その活動が熱となり、下痢となり、嘔吐となり、痛み等となるのである。それでその毒血が減るに従而(したがって)、病気は治癒されてゆくのである。設(も)し、其人が、黴菌の侵入を受けなかったとすれば、それは十が十仆(たお)れるべき運命に在ったのであるが、幸いにも黴菌の侵入に依って浄血法が行われたる為、万に一つの生命を恵まれるのであるから、その病気を起して呉(く)れた黴菌及び、それを運搬して呉れた蝿虫に、大いに感謝していいのである。唯然し、余り毒血過多なる者は、其浄血工作中仆れるのは止むを得ないのである。故に此浄血工作は、大自然が人類を永続せしむる為の優生運動とも言うべきである。
 今述べた如くである以上、黴菌を恐れる事は、頗る誤りである事を識(し)るであろう。故に、此真実を知った人は、黴菌に対する恐怖心は全然無くなるを以て、その安心を得た幸福感も少くはないであろう。然るに、此理を知らない現代人は、黴菌を恐るる事、鉄砲弾の如く、知識階級又は上流社会程、この不安が多いのであって、稀には、黴菌恐怖病なる一種の新しい疾患さえ現われているのである。夫等(それら)の患者は、黴菌恐怖の余り、外出も碌々(ろくろく)出来ないのであって、それは、汽車や電車へ乗る事が恐ろしいからである。そうして絶えず、家に在っては消毒薬で手を洗い、衣服住居を消毒させ、甚しいのになると、 其為の看護人を傭い入れて、而も、其看護婦の外出を禁じ、事毎に極端なる干渉をなすを以て、大抵は驚いて逃げ出すのである。是等は悉く謬(あやま)れる黴菌恐怖から起ったものである。之程(これほど)でなくとも、大なり小なりの恐怖病者は随分多いのである。
 是等の恐怖病者も、此真実を識ったなら、如何に救わるるであろうか。然し、茲(ここ)に一言断っておき度(た)い事は、黴菌恐るるに足らずと雖(いえど)も、不潔は、最も不可(いけな)いのである。光明世界は、真善美の世界であるが故に、飽迄(あくまで)、醜を避け、美であり、清潔でなければならないのであって、形が麗わしく、心が美わしく、生活が、社会が美わしくならなければならない。詰り、美わしい処に、病と貧は無いからである。
 今一つ、重大なる事がある。それは、伝染病の徴菌の如く、不純なる黴菌は、観音の霊光に遇えば忽ちに死滅するという事である。霊的に言えば不純黴菌は、暗黒界に属する生物であるから、光明に照らされれば、生命は保てないのである。故に、観音の光に触れる人は、先ず、伝染病には罹らないと言ってもいいのであって、偶々(たまたま)罹るとするも、頗(すこぶ)る軽微で、速かに治癒するのである。之(これ)は、実験上、永年、私が体験している所である。光明世界完成の暁は、伝染病が絶滅するという事は、之を以ても判る筈である。
 
以上がメシヤ様の御教えです。
 
上記御教えの「観音の光」=仏 は現在の「メシヤ(救世主)の光」=神 と私は捉えます。
また、当時の「観音の光」は善悪無差別に救済して頂けますが、現在の「メシヤ(救世主)の光」は善悪を徹底的に分けられます。
 
ウィルスも、上記の御教えにあてはめて考えられるのではと思います。
昔から特効薬のない感冒(風邪)の一種と、私は考えるからです。
ですが、それはあくまで自然にあるウィルスであり、人工的に作られたものはどうなのでしょうか?
 
二人目の妊娠時に、初めてインフルエンザに罹りましたが、熱も38度以上あがらず、いつもの熱と変わらず楽に休養できました。
(当時は会社員であり、熱があるとインフルエンザか検査しなければならなかった)
 
我が子たちは、一つも予防接種を受けさせていません。
水疱瘡に罹った時は、見事に体に発疹しましたが、浄霊で楽にきれいに治りました。
 
上記の御教えに照らし合わせれば、常にメシヤ(救世主)の光に触れていますから頗る軽微で速やかに治癒する、ということなのでしょう。
 
この投稿を目にして下さる方々は、コロナワクチンを接種した人から自分の体への影響はありませんか?
 
私は、いくつかの症状をSNS上で目にし、信じられませんでしたが私も体感しました。
 
至近距離で話をすると、私の場合は目がチクチクしました。眼鏡をかけていますが、瞬きを常にしていないと辛い状態でした。
 
しばらくすると、首に違和感がありました。視神経から入り、移動をしているのだと感じました。
浄霊を頂くとげっぷが出始め、楽になりました。
げっぷで出し切れたのなら良いのですが。
 
この症状が2人に対してありました。
限定的な影響なのか、永く続くものなのか注視しなければなりません。
 
このような場合も、サッと自ら手を翳し浄化する。
こんなにありがたいものはありません。
 
一人でも多くの人が気付き、自然治癒力を向上できますように。
宗教宗派を超えて、メシヤ様と直に太く繋がる人が増えますようお祈り致します。
 
#黴菌の必要性
#惟神精神
#メシヤ様と直に太く繋がることで誰でも浄霊ができる
 

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