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20211224のメッセージ

世界救世(メシヤ)教の教祖であり教主は、岡田茂吉師=メシヤ様、お一人のみです。

世界救世(きゅうせい)教に変わってしまった時点で、本来の継承ではないと個人的には思っています。
 
2021年12月24日(金)19時17分
頭の中にメッセージを頂きました。
『一人一人がしっかりやっていかなきゃいけない時だから』
 
今、岡田茂吉師=メシヤ様と直に太く繋がる時、それぞれがブレずに生活が宗教とすることができるか、メシヤ様と自分の間に「人」が入り、その「人」の宣べ伝えられることに重きを置くようになると、必ずズレが生じてきます。
 
以下にメシヤ様の御教えを掲載致します。
 
『地上天国』三十四号、昭和二十七年三月二十五日
浄霊と幸福
 本教浄霊は病気を治すのが目的のようになっているが、本当からいうとそれだけではないので、もっと大きな意味がある事をかいてみるが、一言にしていえば浄霊とは幸福を生む方法である。というのは単に病気といっても勿論浄化であり、其因(もと)は霊の曇りの解消作用であるのは、今更言う迄もないが、そればかりではなく、人間一切の苦悩の無くなる作用である。
 従って貧乏も争いも浄化の表われで、私の曰う病貧争悉(ことごと)くがそれである。処が一切の浄化作用の中で最も重要なのが病気であって、之は生命に関するものであるからで従って病気さえ解決出来れば、貧乏も争いも自然に解決されるのは当然である。勿論そうなる事が幸福の根本であるから、不幸の原因は全く霊の曇りであるのは、余りにも明かである。それを簡単にして確実な方法こそ、霊の曇りの解消法としての浄霊であるから、最初に述べた如く浄霊は独(ひと)り病気のみではない事である。それに就て一層詳しくかいてみよう。
 以前記(か)いた事があるが、人間の体は現界に呼吸しており、霊は霊界に生きている以上、霊界の状態が其儘霊身に影響し、それが肉体に映るのであるから、人間の運命の其根本は霊界にあるのである。そうして霊界も現界と等しく、上中下多数の段階になっており、之を分ければ大別して三段階になっている。其内の一段が六十階、それが三分され二十段ずつになって、合計百八十一階級である。そうして一は主神(すしん)であるから、主神以外は如何なる神様でも、百八十の中のどれかの段階に居られるのである。右は経(たて)を曰ったものであるが、今度は緯(よこ)を曰ってみると、緯の広がりの一つ一つの段が、地獄から天国迄それぞれ異っているから、仮に現在自分の霊とすると、下の六十段の其又下の二十段に居る場合は、最低地獄に相応するから、之以上ない程の苦悩に満ちた世界で、之が体に映って苦境のドン底にある訳である。又其上の二十段に上ると幾分楽になり、其又上の二十段はもっとよくなるというように、夫々(それぞれ)の段階一段一段其苦楽の異うのは勿論である。それで右の如き下の六十段を突破すると、今度は中の段階になる。即ち中有界(ちゅううかい)、八衢(やちまた)であるから、現界に相応するので、其又中から上の六十段へ入ると、此処(ここ)は天国であるから天人の地位となり、歓喜悦楽の境遇となるのである。
 右のように其人の居る段階其まま通りが運命となるのだから、一段でも上に行くよう心掛けるべきで、上になる程益々苦しい忌(いま)わしい事がなくなり、幸福は増すのである。つまり浄化すべき苦痛の必要がなくなるからである。だから人間は霊身が下段にある間は、どんなに智慧を振い、骨を折っても駄目である。というのは之が神の天則であって、霊主体従の法則も厳として冒す事が出来ないからである。故に幸福になるにはどうしても霊を浄めて軽くし、少しでも上位になるよう心掛くべきで、それ以外に方法は絶対にないので、茲に浄霊の大いなる意義があるのである。
 
以上がメシヤ様の御教えです。
 
メシヤ様の御教えをどう受け止めるかはその人の御魂次第です。
 
メシヤ様の御心を素直に拡げる。
浄霊で人間本来の神性を蘇らせる。
 
メシヤ様対自分なのです。

過去note→天国的生活とは(https://note.com/sui3310/n/n290877a1092b)
 
#浄霊
#絶対的救済力



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