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大聖観音力の顕現

メシヤ降誕本祝典記念大祭に向けて拝読させて頂いた、メシヤ様の御教えを掲載致します。

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『東方の光』三号、昭和十年二月二十三日
全人類待望の炬光 大聖観音力の顕現
 併而(あわせて)仏説の開扉

 古来仏誕の国、印度(インド)に於いて面白い伝説がある。
 それは、三千年経つと優曇華(うどんげ)の花が咲き、其の時東方に転輪菩薩が現われ、此の土をして極楽安養浄土に救わるると謂(い)う事である。然るに、其の転輪菩薩とは如何なる御方であるかと申すと実は観世音菩薩の事であって、転輪菩薩という御名前からしてもそうであって、輙(すなわ)ち菩薩が衆生救済の本願は、法輪を転じつつ為(な)さるのであるから、其の転法輪を詰めて転輪菩薩と申上げるのである。而(しか)して彼の釈尊は仏法の将来に対し、正、像、末の三期に分たれ説かれてある。
 即ち、正法千年、像法千年、末法千年であって、今日は正像の二千年が過ぎ、已(すで)に末法に入って六百年を経過している訳である。尤(もっと)も此の仏誕二千六百年説に就いては、仏学者間にも種々議論は有るが、大体違いない事は確かである。また、末法万年説も有るが、如何に釈尊と雖も、三万年後という如き、長年月先の予言を為(な)し置く必要はある筈がないのであるから、常識に依っても判断され得るのであろう。
 次に釈尊は説いて曰(いわ)く、末法仏滅の世となれば、其の時弥勒(みろく)出現して茲(ここ)にミロクの世が成就するという。之は法滅尽経及び弥勒出現成就経等に詳しく出ておるから瞭(あきら)かであるが、畢(つい)に其の時期が到来したのであって、其の弥勒の本体こそ之又観世音菩薩であられるのである。それで弥勒と称えても三弥勒在られ、昔から報身、法身、応身弥勒と申上げているのである。報身は釈迦であり、法身は阿弥陀であり、応身は観音である。また日月地(じつげつち)に配すれば日が観音であり月が阿弥陀であり、地が釈迦である。又地理的に配すれば日本が観音であり、東洋が釈迦であり西洋が阿弥陀なのである。又之を三尊の弥陀とも称え基督(キリスト)教で三位一体と称えるのも此の事である。(三尊の弥陀に就いては孰(いず)れ詳しく解説する積りである)而して此の三位一体の力を独り具有され、大千世界の最後的救済を為さるのが、観世音菩薩即大弥勒神の御活動で被在(あら)せらるるのである。
 次に又、一方現在の世界を通観する時、絢爛たる物質文化の発達に因(よ)って、世界は日に月に一単位に成らんとする形勢を睹(み)るのであろう、之を賭る時、創造主たる主神の御意図即ち、宇宙意識の帰趨が洞察され得るのである。何故なれば此の大文化を造らんが為、神は数千年の時と無数の人間の力を費して発達せしめたのであるからである。故に其処(そこ)に流るる主神の一大御目的が判然と窺われ、其の御目的こそ今や実現せんとする大光明世界でなくて何であろう。
 次に、今一つの方面を観察してみる。全人類が永遠の平和を待望し、之に嚮(むか)って何千年間努力を続けて来た事であろうが、然し悲しい哉、今日に到る迄何等の効果を齎(もたら)す事なく依然として、各々の国は平和の仮面の下に、絶えず、軍備と闘争に悃惑(こんわく)し、平和を愛好する我日本に於いてすら尨大(ぼうだい)なる軍備を要する程に、逐年(ちくねん)国家財政の苦悩と不安を嘗(な)めつつあり、夫(そ)れに由っても明らかな事である。さらば永遠の平和を招来する事は不可能なりや。果して斯(こ)の空想の如き世界が真実出現するものなりや、否や、之に明答を与うるものは恐らく一人も非(あら)ざるべし。然るに吾人は、茲(ここ)に確言するのである。斯の永遠の平和は近き将来に於いて、必ず実現さるると云う事である。それが此の観音運動の起因であり、生命であるのである。然らば、何故、世人が空想視するかというと、それは、今日迄の歴史を覧(み)、夫(それ)に捉われる為めであって、世界は数千年の間、余りにも荐(しき)りなる闘争、絶えざる弱肉強食、それが為に人は之を以て世の真実の姿と誤認し、之を基調として学問は構成され、宗教、道徳、政治経済、国際関係等、あらゆるものが形成されて今日に到ったのであるから、私の言う事は痴人の夢としか視(み)られないのは寧ろ、当然な事であろう。然し無始無終、永劫の世界に対しての数千年は些々(ささ)たる時の経過でしかないのである。
 故に、其の歴史過程を標準とする結果、現在迄の人智学問に依るの外、考え及ばないのも無理からぬ事である。然るに、天運循環茲に人類の想像も及ばない観世音菩薩の妙智不可思議力の顕現となり、此の力と、前述の一単位的文化世界と相俟(あいま)って、神霊と文化との一致結合を成し、茲に全人類は目醒めて闘争の文化は平和の文化と化し、弱肉強食は相互和協と化し、全世界は軈(やが)て大家族形体に統一さるるのである。之等条件の遺憾なき具備と妙智力の活現とは、今や凛乎(りんこ)として、大旋回を捲き起さんとしつつある事を感得さるるのである。
 最後に今一つの方面を観察しよう。夫(それ)は仮に基督(キリスト)釈迦の時代、降(くだ)って空海、日蓮等の時代を考察してみても、是等の時代は交通、印刷、無線等文化施設は皆無と謂(い)っていいのであるから、各宗祖等が苦難の一生を通じて、漸く一区域、一地方を教化されたに過ぎない。今日、仏耶の二大宗教が二千年以上を費しているにみても、思い半(なかば)に過ぎるであろう。故に主神(すしん)は今日迄時代相応の聖者を出現せしめ相応の教化を垂れ給うたのである。されば、総てが世界的となった今日、世界的救済力の顕現は毫(ごう)も怪しむに足らざる耳(のみ)か、出(い)ずべくして出でたる迄の事である。而して各聖者達の足跡をみる時、此の事の予言警告の何(いず)れにかあるを識るのである。見よ、釈尊のミロクの世、基督の再臨と天国は近づけりの警告、猶太(ユダヤ)教の救主降臨(メシヤこうりん)、亜細亜(アジア)民族の弥勒下生(みろくげしょう)、大本教の地上天国、天理教の甘露台、日蓮の義農の世、其の他、黄金時代、東方の光の言葉等孰(いず)れも悉(みな)それでなくて何であろう。
 されば儻(も)し、是等予言が適中せざらん乎(か)、多くの聖者達の言は何を以て信ずべきや。聖典は修身書であり、宗祖は只の凡人に過ぎない事となるではないか。噫(ああ)、全人類待望の大光明世界、来(きた)るべくし来たり現わるべくして顕(あら)わる。之に依って万教は帰一され、人は本然(ほんねん)に立ち還り、真理は行われ、善は栄え悪は亡び、風水火の大三災、飢病戦の中三災、病貧争の小三災絶無の時代は来り、世界を打って一大家族的一丸となし、茲に始めて人類永遠の平和は確立され、歓喜幸福を享楽せらるべく、主神の最後の御目的たる大光明世界は完成さるるのである。

以上がメシヤ様の御教えです。

上記の御教えが、二月二十三日、令和天皇陛下の御生誕日と同じということに気付かされ、現界経綸を司る大彌勒大御神様の御活動が令和という時代に益々活発になるのだろう、と私は思います。

主神様の御目的たる大光明世界完成に大彌勒様でもあられるメシヤ様へ直に太く繋がり、上魂の人間となって御神業に御使い頂けますよう御参拝させて頂きました。

御参拝記録は改めて投稿します。

#メシヤ様の御教え
#大彌勒大御神
#主神様とメシヤ様

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