夫婦並祭、想う。
"円空と瀬織津姫"という本を読み終わった日に、近所を散歩していると遠くに氣になる建物に目がいく。
よくよく見ると鳥居もある。
方向転換し訪れてみる。
鳥居をくぐり、階段を上がり始めると、胸が締め付けられる。涙が溢れてきた。
お社は壁に埋め込まれているような感じ。
そのお社より奥の高い位置に、仏像があった。
お社と仏像の御前で、天津祝詞・善言讃詞を涙しながら奉誦。
その一週間後、氣になる神社二ヶ所へ。
そのまた次の週にも。。。
というように、導かれまくっている、というか呼ばれている。
祝詞が必要な時もあれば、《大丈夫(祝詞はあげないで良いよという意味)》と言われることも。
《来てくれたからいい》とか、なんともうれしいことを言われる時もある。
たまに拍子抜けしてしまう時もある。笑
"笑"マークを付けてしまうほど、軽く楽しく御神業をしている。
神社やお寺に御参拝することは確実に増えたけど、我が家での毎月の御祭り、年に一度の御祭りも今の時代にあったものへ、都度、見直しをしている。
というか、させられているのだと思う。
5月3日(いづみず、厳と瑞、火と水、経と緯)には、コピーだけどと、ご縁の方から早池峯大神を頂いた。
翌日には頭痛の浄化。
後で早池峯大神の浄化だったと氣がついた。
5月5日(ス(主)の月、ス(主)の日)は、現界に初めて丸にチョンの主之御文字が御神体として許された日。
もちろん、我が家でも御祭りをさせて頂いた。
この時に選んだ三首の詩歌は以下のとおり。
特に二首目は長く、韻の踏み方がわからないなぁと思ったけど、自然に任せたら、あぁ、こういう風になるんだと。感極まりながら唄わせてもらった。
なぜ感極まったのかというと、円空と瀬織津姫の本を読み終えたからこそ、この詩歌の意味が心に魂に響いたし、早池峯大神をお迎えしたからこそ、この詩歌を選ばせてもらえたと思っている。
二首目は昭和11年のもの。
メシヤ様(岡田茂吉師)はこのように詠んでくださっていたのだ、と思うと感慨深い。
どんどん動かされていく。
楽しくてしょうがない。
次の御神業で訪れる地では何が起きるのだろう。
ちなみに。
波折神社、3回目の熱田神宮、龍泉寺、桜ヶ池池宮神社は、円空と瀬織津姫の本を読んで訪れた。
また、園城寺=三井寺も出てくる。
前世の1人が静恵法親王とわかるきっかけにもなった。
その時から弥勒の世を願っていたので、今、ひとりひとりが弥勒となれる時代に生きられる幸せはひとしおだ。
でもまだ、"もう少し"(←神様的には)やることはある。
わたしたちにとっては"もう少し"ではないかも知れないけど。
惟神でいきます♪
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