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20210510法隆寺

【2021年(令和三年)5月10日(月)法隆寺御参拝】
 
今年は奈良へ御参拝したい気持ちがあったが、日にちと御参拝場所が決まらないまま時間だけが過ぎていた。
 
ある方とLINEでやり取りをする中で、法隆寺の夢殿本尊救世観音像特別開扉をお知らせ頂き、奈良へ御参拝させて頂く決心が着いた。
 
奈良へ訪れる前に、メシヤ様の御教えと併せ、できる限り本居宣長氏が考える「大和心」についても学びを深めた。
(本居宣長氏についてのnote投稿はこちら→ https://note.com/sui3310/n/nb38326f09a1d)
 
史跡 法隆寺境内 を撮影すると光が入った。

まずは西円堂へ。
堂内中央には薬師如来像を取り囲むように十二神将像が、また東面には千手観音像、北面には不動明王像が安置されていた。
 
それぞれご挨拶させて頂いた後、薬師如来像の御前にて天津祝詞、善言讃詞を涙ながら奏上させて頂いた。奏上後は、込み上げてくる感情を涙と共に流した。
 
御朱印をお願いした時は固い表情をされていたが、渡される時に
「いつも以上に気を引き締めて書きました。この御朱印帳のせいでしょう」
と、柔らかい表情に変わっていた。

五重塔はバランスの美しさに何枚も撮影したが、以下の写真は、金堂に早く来なさい、とお示しくださっているように受け止めさせて頂いた。

金堂に入り、お釈迦様の美しさに涙が次々溢れ、御前にて天津祝詞、善言祝詞を奏上させて頂いた。西円堂同様に、奏上後は、込み上げてくる感情を涙と共に流したが、お釈迦様の御前からしばらく動けない状態だった。
幸い、監視員の他には始終一人で御参拝させて頂くことが許され、改めて感謝しかない。
 
何故こんなに感じたのか。
 
調べると、釈迦三尊像(鞍作止利(くらつくりのとり)作)の精緻な光背の裏面には、推古30年(622)に聖徳太子が発病され、また薨去されるにあたり、その病気平癒と成道を願って造られた太子等身の像が、その翌年に止利仏師によって完成したことなどが刻まれているとのこと。つまりこの像は、釈迦の像でありながら聖徳太子その人の像でもあるわけで、法隆寺が太子菩提の寺でもあることを物語っているとのことだった。
 
これで納得することができた。
 
次は聖霊院へ。
西円堂で御朱印を頂いたときに、ぜひこちらにも御参拝をと促されていた。
内部には3つの厨子があり、中央の厨子には御本尊の聖徳太子の尊像、向かって左の厨子には太子の長子・山背大兄王や兄弟皇子の殖栗王の像、右の厨子には太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像が祀られ、3月22日以外は御秘仏とされている。
こちらではご挨拶させて頂き、御朱印を頂いた。

「和を以て貴しと為す」
 
ご教示頂いたかのような御朱印に感謝する。
 
最後に夢殿へ。
救世観音様の御前にて、天津祝詞、善言讃詞を奏上させて頂いた。自分にはこれといった感じを受け取ることはできなかった。
すでに、メシヤ様が霊氣を感じられ、御働き頂けていることと受け止めさせて頂いた。
 
以下にメシヤ様の御教えを掲載致します。
 
御教え集10号(昭和二十七年六月十五日)

五月六日

 
(前略)これはざっと見たままを書いたんですが、ここにおもしろい話があるのは、この間京都でもちょっと話しましたけれども、法隆寺に夢殿(ゆめどの)という小さい祠(ほこら)がありますが、あそこは一年に一回くらいしか見せないんです。ところが先月の二九日に私が行ったときに珍しく開くというんですよ。こんなことはないんですね。これはなにか神秘なことがあるに違いないと思って、それからそこに行って、扉が開いているんです。それで内を見ると、薄っ暗になって、はっきりは分からないが、等身大の観音様があるんです。それを見ますと、その観音様からなんとも言えない霊気がスッと入ってきたんです。これはおかしいなと思ったが、そうするとなんだか嬉しいような気持ちになって、涙が出そうになった。それでしばらく私も洸惚(こうこつ)としていた。見ると、名前が救世観世音としてあるんです。これは本当から言うと救世(ぐせ)観世音といって、これはあるにはあるんです。親鸞の書いたものなんかに救世観世音なんかある。それを私が救世(メシヤ)観音という名前をつけたんですね。これは私が初めてつけたんですが、ところがそういった仏像に出る観音というのはないですね。いままで有名なそういうものを見たことがないですからね。ところが夢殿というのは、聖徳太子が始終そこを居間にしていたんですね。そこでいろんなことをやったんです。で、お亡くなりになってから、そこを夢殿と称して救世観音を祀って、締め切りにしていたわけですね。ここに神秘があるんです。というのは、元来聖徳太子という方は、やはり観音様の化身なんです。とにかく日本に仏教が渡ってきたのは、欽明天皇のときですがちょっと聖徳太子の天平(てんぴょう)から見て二〇〇年くらい前ですね。それを聖徳太子が奈良を地点として仏教を弘めたんです。一時たいへんなさかんになったわけですね。それがために奈良にお寺がたくさんできたわけで、初め聖徳太子が七堂伽藍(しちどうがらん)・・・あれを法隆寺のある所に作られたわけなんです。まあ極楽浄土の形ですね。ちょうど私がやっている地上天国の模型と同じことなんです。まあ仏教的に言えば七堂伽藍なんです。とか、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)ですね。私は仏教的でなく世界的、現代的に地上天国としているんですが・・・そんなわけで非常に仏教がさかんになって、結局東大寺ができて・・・奈良の大仏ですよ。つまり奈良の大仏なんていうのは、今日でも作るのは難しいかもしれないですね。それをあの当時、そんなような冶金(やきん)やなにかの技術がないときに、ともかくあんなたいしたものを作ったんですから、本当に信仰の熱ですね。あの大仏を作った記録なんかを見ると、実に涙ぐましいことがたくさんありますね。金(かね)なんかが足りなくて、いろんなものを・・・鍋釜を鋳(つぶ)したりして、金を・・・金というが材料ですね。大仏様の銅を集めたりなんかしたわけですね。というのは、いかに仏教信仰が燃えていたかが分かるんです。そんなわけで奈良が日本仏教の発祥地ですね。発祥地にされたのは聖徳太子なんですからね。しかも聖徳太子はああいった仏教美術を作ったばかりでなく、その他のこともいろいろやられたんですね。有名な十七条の・・・あの当時の憲法ですね。だから、つまり憲法の元祖ですね。もっともその時分には十七条ですんだんですから実に簡単なものなんで、いまに較べれば何十分の一かもしれない。いまのは、第何百何十条なんていって、毎年議会で増やしつつあるんですから、その当時と較べてみると、いかに箇条書き的の量が増えているかが分かる。そうすれば、法律が増えれば犯罪者が減るとすれば、その当時よりいまのほうが犯罪者が減りそうなものだが、法律の少ないときのほうが犯罪が少なくて、法律が多くなったときのほうが増えている。もっとも、犯罪者が増えるから法律が増えるのかもしれないが、それはわれわれから言えば肝腎なことを疎かにしているので、いくらやってもしょうがない。そんなわけで、聖徳太子という方はあらゆる方面に精通していたんですね。だから聖徳太子は、他の仏教の開祖なんかと違って、あんまり神秘感はない人ですね。だか ら仏教文化を作られたんですね。というのは、この方は千手観音の小さいのと思えぱ良いですね。あらゆることに精通している。それで救世(メシヤ)観音様が私に懸ったんですよ。懸って、これから大いにメシヤ教のために働かれるんです。 それがいままで・・・一二〇〇年という間夢殿に時を待たれていたんですね。神様のほうでも勝手にはできないので、 時期時期があって、時期が来ればお働きができるんです。そんなわけでいよいよ時期が来たんです。ですから、つまり私はやはり聖徳太子と非常に深い因縁があるんです。だから、いま私がやっていることは聖徳太子のやられたことを世界的に広げたと、こう思ってみるんですね。私はいま千手観音の働きをしているんです。だからなんでも分かるし、なんでも手を出すし、なんでもやるんですね。これはつまり千手観音を御神体にしてますが・・・いつか家で御神体にしていた大きいあれが、それを描いたものなんですがね。そんなわけで現在聖徳太子のその仕事を、世界的に私がやられると、こう思えば分かるわけですね。それで夢殿という名前もおもしろいと思いますね。つまり私がやっていることも夢の実現ですからね。よく、思想とかなんか大きな希望ですね。そういうことを、夢ということをよく言いますがね。実際そのときの聖徳太子様の夢ですね。夢殿なんて名前はあんまりないですからね。おもしろいと思いますね。で、今度行って救世(メシヤ)観音の・・・救世(ぐせ)観音を「メシヤ」と私が名をつけたということも、その観音様とよく合っているわけですがね。ですから今度あっちに行ったのは、仏教芸術をいろいろ調べる意味と、それからいまの夢殿ですね。それがたいへんな御経綸の一つだったですね。
 それから、京都にいずれ地上天国を造るという、そういうような敷地があるというので見ましたがね。なかなか、条件はだいたい合っているんですね。いずれその辺りの地点にできるだろうと思ってますがね。これは時期が来ると神様がちゃんとやられるんだから、そういろいろ考える必要はないと思うんです。で、京都は去年から三度目ですが、 だいたい分かってきましたけれども、どうしても将来日本の美術の中心ですね。そういう所になるべく、いままで一〇〇〇年も前から準備されたということはよく分かるんです。それは神様のほうは何万年何十万年前に準備されていたので、人間としての準備は一〇〇〇年くらい前から準備されたということは分かりますが、実にいまさら言う必要はないくらいですが、地形ですね。いろいろ山の形だとか、水の流れ方、それで一種の霊気ですね。霊気と言いますかね。空気と霊気と両方の様相ですね。実に良いですね。とにかくなんとなく気が落ちついて、上品と言いますかね。いやらしい感じがないですね。ですから将来の、やはり地上天国としての様相がよく備わっているんですね。山の形といい、木の色から木の種類から、配置の具合、すべて関東やそういう他の土地とは違います。だから、将来一大地上天国が造られるということは分かるんですね。
 そんなようなわけで京都、それから奈良もいまにもっと良くなりましょうけれども、しかし奈良はたいしたことはないです。ただ古代仏教の遺蹟という程度で、奥床しい一種の寂(さび)た地上天国的のようになるわけですね。いずれは京都の次に奈良にも地上天国を造るかも分かりませんがね。奈良にはお寺はたくさんあるが、元から定まったような宗旨というのがないですね。それは寺によって便宜上属した寺はありますがね。真宗とか、天台宗とかに属したのはありますが、中途からですね。最初はそれがなかったですね。仏教でも、原始仏教と言いますが、奈良のが、あれは原始仏教なんです。仏教は最初、原始仏教、それから山岳仏教ですね・・・山を中心とする仏教。それから世俗仏教ですね。つまり町に出た仏教ですね。そういう順序になってきたんですね。そのうちの原始仏教が奈良です。そこでお寺 の在(あ)り方に良いところがあるんです。偏らないでね。で、結局中心はどこでも、みんな観音になっています。観音と薬師如来。薬師如来は観音様ですからね。やはり日本仏教の根本ですね。根本も観音様というわけですね。で、まあ・・・さっきも読みましたけれども、あの時代の特に薬師寺の本尊ですね。その時代に銅でできた等身大よりちょっと大きいくらいですが、あの作品は実にたいしたものです。光背(こうはい)は後でできたものですが、火事で焼けたので光背なんか焼けたものと見えますね。それで仏体だけはほとんど完全にしてますが、少し腕の所が取れた所があります。これはそのときになにか大きな材木でも倒れたものかもしれないですね。そうしておもしろいのは、裾のほうなんかにいろいろ、毛彫(けぼり)ですが、彫刻がたくさんあるんです。たいてい龍に取り巻かれてね。その中に裸の土人がなにかやっている・・・インディアンですね。そういう点なんかが、なかなか変わった点があるんですね。それで一番良い所は、お顔から手足ですね。それから身体全体ですね。実に均整が取れているんです。一点の非の打ち所がないんですね。他にもずいぶん良い彫刻がありますが、どうも・・・背が低かったり高かったり、手が長かったり短かったり・・・百済(くだら)観音も良いですが、ちょっとそれが欠点です。薬師寺の本尊様は実に非の打ち所がないです。あれは芸術的に見て頭が下がりますね。それからもう一つは法華寺(ほっけじ)の本尊ですが、これは木彫です。そう大きくはないが、その細かい巧緻(こうち)な点はおそらく一番だろうと思いますね。
 それから宇治の平等院の宝物ですね。その中の大きな阿弥陀さんですが、これは藤原時代の非常に柔らかい感じが実によく出ている。これは私は・・・御堂もちょうど、そう大きくない御堂で、その仏体だけが入るだけの御堂ですが、前なんか・・・天井なんか赤い絵がいっぱい画いてある。それがかまわなかったので破損して、絵なんか判らないくらいです。あれは、なんでも先方では離すような意向があるように聞きましたが、離すようだったらあれを買って、そっくり京都に移そうかと思ってますがね。これはすばらしいものですね。
 それでとにかく一番数がたくさんあって良いものは、法隆寺が断然群を抜いてます。法隆寺にあるものは片っ端から凄いものばかりです。法隆寺に中宮(ちゅうぐう)と言いますが、一軒別になってますが、そこの・・・なにか観音様が、すぐ側に行って見られますが、あれは実に良いものです。そんなようなわけで、私は以前見たときは、そういうようなことが分からなかったから夢中でしたが、今度はそういうことが分かってみると、いまさらながら驚いたんですね。ちょうど、行ったときに奈良博物館で白鳳(はくほう)、天平(てんぴょう)特別展覧会というのをやっていたので、そこに行ってみました。いろんなものが出てましたが、そこに大きな三尊の弥陀ですね。どこかの寺から持ってきたんでしょうが、これはとても大きなものですね。等身大よりか大きいくらいですね・・・真ん中はね。両側は等身大ですがね。それはとても、われわれの手にあいませんよ。一つお釈迦さんがこれは小さい・・・このくらいですが、金銅仏で良いものです。大きな・・・タライの替わりでしょうが、大きなお皿みたいなものに乗っている。その二つはとうてい及ばないですが、あとの品物は私のほうが上です。今度仏もたくさんありましたが、そのうちの一番良いのが私のところで持っているよりか落ちます。それからお経もたくさんあります。たくさんありますが、お経もほとんど天平時代のものばかりで、それも私のほうが種類がよけいあるだけ上ですね。私のところは天平も、支郡の唐時代も、山岳仏教時代のも、そういう種類のお経がありますからね。光明皇后のお書きになった長い経文もあります。それから仏器ですね。仏の道具ですね。そういうものも私のほうが種類が多いですから負けないつもりです。それに不思議にあっちには仏画というものがない。絵がないですね。これはたびたびあっちの寺は焼けてますから、ああいうのは焼けたのが多いのと、もう一つはふだん巻いてあるから、あの寺にはなにがあるということがあんまり知れないから、財政上から売ったのもずいぶんあるだろうね。絵のほうは民間のほうがずっと多いです。民間には良いのがたくさんありますね。そんなわけで今度は仏教美術に対して、私が研究したそういった成果をいま話したんです。その話はそのくらいにしておきましょう。(後略)
 
以上がメシヤ様の御教えです。
 
阿吽。

始まって終わる。何度でも。
真実や求道心が智慧や涅槃に。
 
次は大神神社を投稿します。
 
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