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今、世界救世(メシヤ)教教義をどう捉えるか

大彌勒大御神様が現界に御出現されてから二年が経とうとする今、改めて気づかされた。

世界メシヤ教復興に向けて、整理してみる。

○開教の辞、昭和二十五年二月四日
世界救世(メシヤ)教の誕生に就(つい)て 

昭和廿(にじゅう)二年八月三十日、宗教法人として創立された日本観音教団並びに同二十三年十月三十日同じく創立された日本五六七(みろく)教会は、今回自発的に解散し、右両会を打って一丸としたる新しき構想の下(もと)に、本年二月四日 立春の日を期して、標題の如(ごと)き宗教法人世界救世(メシヤ)教の創立出現となったのである。
之(これ)は、非常に重大な意義があり、勿論(もちろん)神の深き御旨(おぼしめし)に由(よ)るのであって、人間の意図でない事は今更(いまさら)言うまでもない、何時(いつ)も吾等(われら)が唱える処の、霊界に於(お)ける夜昼転換の時期に愈(いよい)よ入ったからである、之(これ)も吾等(われら)が常に言う処の仏教の救いは夜の期間中であるから夜の消滅と共に観世音菩薩の御救いの転移進展となるので、一言にして言えば仏滅を意味するのである、従而(したがって)、観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのは勿論(もちろん)である、即(すなわ)ち化身仏であらせられた観世音菩薩は茲(ここ)に仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給(たも)うのである。
以上の如(ごと)く霊界が昼となる以上、之(これ)が現界に移写するに於(おい)ては、夜の文化は当然不要なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である。それのみではない、長年月に渉(わた)る暗黒時代によって人類の罪穢(ざいえ)の少なからず堆積(たいせき)せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない。右の滅ぶべき不用物とは之(これ)を指して言うのである、而(しか)もそれと同時に昼の文化の建設が開始さるるのである、斯(かく)の如(ごと)き空前絶後の一大転機とは、何を指すのであらうか、全く何千年否(いな)何万年以前より決定してゐた神のプログラムなのである。
又別の言葉を借りて言えば大規模な世界的破壊と創造が行はれるのである。嗚呼斯(ああかく)の如(ごと)くな重大時期に際会しつつある今、神の大愛は如何(いか)なる形に表はれるかを知らねばならない、即(すなわ)ち其(その)具体化としては一切が滅ぶものと生き残るものとの何(いず)れかに決定さるるのである、然(しか)し乍(なが)ら右は止むを得ないとしても神の恩恵は、一人でも多く滅ぶるものを救はせ給(たま)はんとして、神の代行者を選び救世の大業を行はせ給(たも)うのである、又、その使命達成の機関として運用されるのが本教であるから、本教の使命たるや実に大なりというべきである、此(この)意味に於(おい)て愈(いよい)よ切迫せる最後の時期に当っての活動こそ括目すべきものがあらう、其(その)結果吾等(われら)の唱導する地上天国こそ最後の目標でなければならないのである。
私は、これまで顧問の名の下(もと)に、いはば蔭にあって経綸を行っているが、漸(ようや)く基礎的工作も出来上ったので、茲(ここ)に表面的活動に移る事となった訳である、端的に言へば、いよいよ本舞台に登場する事となったのである、従而(したがって)各般に渉(わた)って漸次(ぜんじ)組織形態は固(もと)より、活動の形式も新しく生れるのは勿論(もちろん)である。
そうして、祝詞(のりと)にもある如(ごと)く観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、彌勒(みろく)神等も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変わるのではない。いはば時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するのであるから、御神体も御守りも或(ある)時期まではそのままで差支(さしつか)えない、未(ま)だ種々発表したい事もあるが、時期の推移に従って漸次(ぜんじ)発表する段取となるので、今は此辺(このへん)に止めておくのである。
最後に言はなければならない事はこれ迄(まで)は観世音菩薩の御働きであったから、言はば東洋的であった、然(しか)るに時期切迫の為どうしても一大飛躍によって全人類を救はなければならない、とすれば世界的に拡充する必要がある、世界救世(メシヤ)教の名に因(よ)る所以(ゆえん)である。
今一つは観世音菩薩は、善悪無差別的の救済であったが、愈(いよい)よ地上天国が目前に迫り来た、今日茲(ここ)に善悪を立別(たてわ)け、善を育て悪を滅しなければならない事になった。所謂(いわゆる)悪のトドメである、従而(したがって)救ひの力も決定的でなくてはならない。その力こそメシヤの揮(ふる)はせらるる大神力である。
嗚呼(ああ)、慶賀すべき時とはなったのである。

○『救世』五十三号、昭和二十五年三月十一日
世界救世(メシヤ)教教義

抑々(そもそも)、世界の創造主たる主(す)の大神(エホバ)は、此地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行わせ給いつつある事を吾等は信ずるのである、之に対して人間を神の代行者とされ給うと共に、一切万有は人間の為に造られたものである、故に今日迄の人類史は其為の準備工作に外ならない事を信ずるのである、従而(したがって)、神は其時代時代に必要なる人間と、必要なる宗教を顕わし給い、それぞれの使命を遂行させ給うのである。
今や、世界の状勢は混沌として帰趨(きすう)を知らず、此時に際し、主神は吾等の教主岡田自観師に救世の大任を下し給い、人類救済の聖業を達成せしめ給うを信ずると共に、人類の三大災厄たる病貧争を根絶し、真善美の完き恒久平和の理想世界実現を目標として精進邁進せん事を期するものである。

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上記2つの御教えから、大事なところを抜粋する。

化身仏の観世音菩薩は元の神の御働きになった。
→組織形態は固より、活動の形式も新しく生れるのは勿論である
→祝詞にもある如く観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、彌勒神等も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変わるのではない。いはば時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するのであるから、御神体も御守りも或(ある)時期まではそのままで差支えない
→観世御菩薩は神の御働きになれば救ひの力も決定的でなくてはならない=その力がメシヤの揮はせらるる大神力
→メシヤ教楳木代表は世界救世(メシヤ)教教義を「主神は吾等の岡田茂吉教祖に救世主(メシヤ)の大任を下し給い」と記されていた。これは、御神格の御出生があり、岡田茂吉教祖は「メシヤ様」という御神格なのだと認識し、教祖をメシヤ(救世主)様と信ずる信仰だからである。

平成30年3月3日に大彌勒大御神様が現界に御出現され、一年の猶予を経て、翌年3月3日に人間側より改めてお迎えさせて頂いた。メシヤ様は大彌勒大御神様でもあられることから、世界救世(メシヤ)教教義は以下のようになるのではないだろうか。

「抑々(そもそも)、世界の創造主たる主之大御神(すのおおみかみ(ヱホバ))は、此(この)地上に天国を樹立すべく、太初(たいしょ)より経綸(けいりん)を行はせ給(たま)いつつある事を吾等(われら)は信ずるのである、之(これ)に対して人間を神の代行者とされ給(たも)うと共に、一切万有は人間の為に造られたものである、故(ゆえ)に今日迄(まで)の人類史は其(その)為の準備工作に外(ほか)ならない事を信ずるのである、而(したが)って、神は其(その)時代々々に必要なる人間と、必要なる宗教を顕(あら)はし給(たま)い、それぞれの使命を遂行(すいこう)させ給(たも)うのでる。
今や、世界の状勢は混沌(こんとん)として帰趨(きすう)を知らず、此(この)時に際し、主(す)神は吾等(われら)の岡田茂吉教祖に救世主(メシヤ)の大任を下し給(たま)い、大千三千世界の最後的救済を為さる大彌勒神の御活動へと被在(あら)せられ、人類救済の聖業(せいぎょう)を達成せしめ給(たも)うを信ずると共に、人類の三大災厄(さいやく)たる病貧争を根絶し、真善美の完(まった)き恒久平和の理想世界実現を目標として精進邁進(しょうじんまいしん)せん事を期するものである。」

注)メシヤ教「入門と奥座敷」の中の世界救世(メシヤ)教教義に基づいて付記

個人活動名「燦燦と」では、2月3日の節分祭で今回のことを気づかせて頂いた感謝とお詫びを申し上げ、2月4日の立春祭より、世界救世(メシヤ)教教義は大彌勒神の文言を加えた内容で執り行わせて頂く旨、御神前にて御奉告させて頂いた。

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