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腹を括る

腹を括るとは、「決心を固める」「覚悟を決める」こと。

12月22日、夕方から頭痛が起こる。
御降臨祭の式次第を着手する前に、心身を清める意味もあったのでは、と思う。
自己浄霊を頂き、頭痛が左前から後ろ、首とどんどん移動する。最後に腎臓を頂く頃にはすっかり気分も良くなっていた。トータル40分弱浄霊を頂いたと思う。

御神前で自己浄霊を頂きながら、自然と以下の想念を奉告させて頂いた。

「自分は何が起きても全て受け入れます。主神様の御経綸にメシヤ様のもとで自分がお使い頂けるのであれば全て受け入れます」

というような内容だったと思う。
浄化を頂きながら、再度、腹を括った。

12月23日、午前八時に御降臨祭を執り行なわせて頂いた。

相互浄霊で自分が浄霊を頂いている時、目を瞑っていると、浄霊が終わる数分前に黄金色の光の玉が遠くから自分に向かって左回りにくるくる向かってくる霊視があった。
久しぶりの霊視だった。

岡田茂吉教祖はメシヤ様という御神格。
そのことを認識し、メシヤ様に直接繋がることが大事。

地上天国建設の御力を賜わるために、メシヤ様に対してどこまで腹を括ることができるか。

「この人が言ったから」とか、人に依存しては意味がない。

あくまで、主神様、メシヤ様と向き合う。

御降臨祭の御教えは「私というもの」を拝読させて頂いた。

前日、御降臨祭の御教え拝読はどうすべきかを考え始めた時に、頭の中に「私というもの」の御教えの題名がスッと入ってきたので、迷わずそうさせて頂いた。

地上天国建設は唯物的なことではなく、唯心的。

メシヤ様の御教え「私というもの」から内容を以下に抜粋させて頂く。

『私は若い頃から人を喜ばせる事が好きで、殆ど道楽のようになっている。私は常に如何にしたらみんなが幸福になるかということを念(おも)っている。之に就て斯(こ)ういう事がある。私は朝起きると先ず家族の者の御機嫌はどうかという事に関心をもつので、一人でも御機嫌が悪いと私も気持が悪い。此点は世間と反村だ。世間はよく主人の機嫌が良いか悪いかに就て、何よりも先に関心をもつのであるが、私はそれと反村であるから、自分でも不思議のような、残念のような気もする。こんな訳で罵詈怒号のような声を聞いたり、愚痴や泣言を聞かされたりする事が何よりも辛いのである。又一つ事を繰返し聞かされる事も随分辛い。どこ迄も平和的、幸福的で執着を嫌う。之が私の本性である。

以上述べたような結果が、私をして幸福者たらしむる原因の一つの要素であるという理由によって、私は「人を幸福にしなければ自分は幸福になり得ない。」と常に言うのである。

私の最大目標である地上天国とは、此私の心が共通し拡大される事と思っている。此文は些か自画自讃的で心苦しいが、聊(いささ)かでも稗益する処あれば幸甚である。』

一人一人が腹を括る。
気づいた人から。

#御降臨祭
#メシヤ様に直に太く繋がる
#世界メシヤ教復興

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