20181107新熊野神社
2020年5月20日纏めにつき、写真から思い出せる範囲で残すこととする。
【2018年(平成30年)11月7日(水)新熊野神社ご参拝】
新熊野(いまくまの)神社のHP内の「熊野信仰」に「観音信仰」について記されている。
以下、内容抜粋。
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新熊野神社は後白河法皇の仙洞御所、法住寺殿内に造られた神社で、後白河法皇邸の神棚が新熊野神社、仏壇が三十三間堂と理解すれば解り易い。それゆえ、三十三間堂の御本尊は千手観音、新熊野神社の主祭神はイザナミ命となっている。千手観音は六観音(聖観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音・千手観音)の一つで、正式名称を十一面千手千眼観音という。千手千眼とは千本の手の掌(てのひら)にそれぞれ一眼を持ち、1000の手と1000の眼で、全ての衆生を漏らさず救済しようとする観音菩薩の持つ一面「慈悲の力の広大さ」を千手観音で現している。
三十三間堂には本尊の千手観音坐像を中心に、左右に500体ずつ、合計1000体の千手観音立像が安置されている。本尊の千手観音の一つ一つの手の上に千手観音が立っており、それが左右1000体の千手観音立像。そして、左右1000体の千手観音の手の上に、また千手観音が立っている。仏の救いの手が1000×1000×1000…….と無限に広がっていることを、この配置で示している。これが法皇の求められた信仰の世界で、法皇は現世をイザナミ命の持つ「慈母の愛」に、来世を千手観音の持つ「無限の慈悲」に託されたのであろう。観音菩薩は般若心経の冒頭にも登場する菩薩で、仏の智恵・仏の慈悲を象徴する菩薩です。地蔵菩薩と対をなし、その容姿から地蔵菩薩を男性、観音菩薩を女性と見ることが多い。熊野がイザナミ命=千手観音、天照大神=十一面観音としているのも、そうした理由からであろう。那智に隣接する青岸渡寺は西国三十三所の一番札所で、元々那智と青岸渡寺は一体だった。つまり、熊野の浄土信仰の中心地が本宮、観音信仰の中心地が那智だった。
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10月26日に熊野へ訪れた時に、熊野那智大社へ向かうはずが、青岸渡寺へ先に向かったことを思い出した。その結果、青岸渡寺から熊野那智大社へ向かうことになり、特別な場所から御参拝を許された。(熊野那智大社は工事中だった)
その時の note → https://note.com/sui3310/n/nc2018d4f80cf
気づかぬうちに熊野の旅は上記の観音信仰を踏まえたものもあったのだと考えると、神界・霊界の方々の御計らいとしか思えない。
拝殿にて祝詞奏上時にサーっと風が吹いたのを憶えている。
次は影向の大樟(ようごうのおおくすのき)へ足を運ぶ。
suiは大樟の前で泣き崩れ、泣きながら祝詞奏上をさせて頂いた。
新熊野神社のHP内の「影向の大樟」より、以下、内容抜粋。
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社頭の「大樟」は当社創建の折、紀州熊野より選ばれた「上皇手植えの樟」と伝えられており、樹齢は900年と推定されています。影向とは神仏が現われるという意味で、現在では「樟大権現」「樟龍弁財天」として多くの人々に信仰されています。大権現とは、熊野の神の化身(仮の姿)、樟龍弁財天とは弁財天(仏)の化身という意味です。
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写真には「私はここにいる」とはっきり示されたように光が入っていた。
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