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「議論を呼びそう」「懸念される」「反発は避けられない」というマスゴミ用語

 5月18日の上川陽子外相の静岡県知事選の応援演説においての発言の一部を、マスゴミが歪曲し、無理やり問題化しようと画策し、多くのネット民などが、その欺瞞を指摘した、という ちょっとした騒動がありましたが、まぁ、それは、既に周知されているマスゴミのクズっぷりを多くの人が再確認して、収束に向かっているようで、それはそれでいいのですが、その流れの中で、ちょっと私が気になったものがあったので、それを此処に書き残しておきます。
 この件を解説したものは幾つかネット上にあがっていますが、その中の一つの、小木曽 健 という人が書いた記事(→上川外相の「生まず」発言でマスコミによる「マルインフォメーション」フェイクが、危険ラインを飛び超えた)の中に、こんな記述がありました:

私はいつも学生さんに、「記事や文章の中に 議論を呼びそう 懸念される 反発は避けられない 不安の声が聞こえる 波紋が広がっている などの表現があったら、それは書き手の願望か推測だから気を付けて」と口酸っぱく伝えているのですが、

 いやいや、そうじゃないでしょう?

 「議論を呼びそう」・「懸念される」・「反発は避けられない」・「不安・波紋が広がっている」みたいな表現は、全て 「議論しろ」・「懸念しろ」・「反発しろ」・「不安・波紋を広げろ」、という命令ではないですか? 虚業界の中の一部の(?)「我々知的選民には、愚かな国民を教育指導する責務が有る」という馬鹿げた妄想の中に生きている人たちから、我々(彼らの言う「愚かな国民」)への勝手・傲慢な命令、ではないですか?

 以上、ただの自分の為の備忘録でした。


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