日本の首都は何処か?「都(みやこ)」と "Capital"
日本の首都はどこか?をテーマにきっちり語っているものを Youtube で見つけたのだが、それに触発されて私が考えたことを、個々に書き留めておく。
日本の「都(みやこ)」はどこか というと、鎌倉時代も織豊時代も江戸時代も、京。日本語の「都(みやこ)」は、「宮処(みやどころ、みやこ)」から転じた言語で、帝(みかど):天皇の宮殿(皇居)が所在するところを指すものであるから。
日本の "Capital" はどこか というと、"Capital" は ラテン語の「頭」を意味する "capita" を語源とし、国の「頭部」つまり、国の存続にかかわる最高決定がなされるところを意味する。
(”per capita” などの表現や、capita から派生した captain, capital 等の語にその残滓が見える)
鎌倉時代、元(モンゴル)と戦うことを決めたのは鎌倉だから、その時の日本の Capital は 鎌倉。織田信長は 安土城で南蛮人と接見し彼らに日本でのキリスト教の布教を許したから その時の日本の Capital は 安土。豊臣秀吉は 自分で朝鮮出兵を決めたから その時の Capital は 大坂(大阪)、江戸時代に入れば Capital は 江戸、但し 幕末になれば 京が Capital、明治維新以降は 東京が Capital。
「都(みやこ)」は《 「宮処(みやどころ、みやこ)」から転じた言語で、天皇の宮殿(皇居)が所在するところ 》を指す が、「都(と)」は《 多くの人が集まって住んでいるところ 》を指す。
奈良は、平安時代になってから「南都」(なんと)と呼ばれた。(「平重衡の南都焼討」)
大坂は「商都」(しょうと)。(「あきないのみやこ」と読めば間違い。「難波の宮」の時代は「みやこ」ではあったが、「あきないのみやこ」ではなかった。)
で、「首都」(しゅと)について。
「首都」の「首」は、(解剖学的な「首」:頭部と胴体を繋ぐ細い部分のことではなく)首から先、つまり頭を指す。「首の無い死体」は 頭部の無い死体のこと。「首実検」は、頭部を切断して持ってきて顔を確認すること。人形浄瑠璃では人形の頭部のことを「首」と書いて「こうべ」と読む。
「首都」(しゅと)という言葉が、もし、幕末か明治期に "Capital" の訳語として創作された語 --また福沢諭吉氏の業績か?-- だとしたら、「首都」(しゅと)は "Capital" の意味で使われるべきであり、鎌倉時代の日本の首都は鎌倉、織田の時代の首都は安土、豊臣の時代の首都は大坂(大阪)、徳川の時代の首都は(幕末を除き)江戸、と云うべきではないだろうか?
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