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フランス・アイルランド(:カトリックの国)の憲法改正

 3月4日、フランスで、上下両院による合同会議にて 憲法改正を決議し、
  「女性が人工妊娠中絶を行う自由」
を憲法に明記することとなった。
( https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240305/k10014379361000.html )

 また、アイルランドでは、既に、結婚する2人の性別を問わないことを憲法に明記する憲法改正を行った。(アイルランドの場合は、憲法改正には国民投票が必要)
( https://www.afpbb.com/articles/-/3049627 )

 日本人の感覚だと、「え!?法改正で十分では?憲法にそんなことまで明記する必要あるの?国民投票する必要があるの!?」と、大いに 疑問というか、違和感を覚えるのではないだろうか?
 私は、ラテンアメリカという、国民の多くがカソリックで、欧州の灰汁を煮詰めたようなところに住んでいた経験があるので、この辺りは、普通の日本人より理解し易いのではないかと思うので、この件について 解説を試みたい。

 なぜ、この両国で、憲法を改正して、それらを憲法に明記しなければならなかったのかというと、近代国家の理念が、カソリックの宗教的独善性・排他性に負けないためである。

 宗教的独善性・排他性 というと、今の多くの日本人は、まず、イスラム教原理主義の テロをやっている過激派を思い浮かべるのではないだろうか?しかし、カトリックの国に住んたことがある私としては、イスラム教と同じくらい、カトリックを思い浮かべる。というと、「キリスト教が独善的・排他的で残酷だったのって、中世の話でしょ?確かに中世のヨーロッパでは、異門審判(:Inquisitio)とか魔女狩りとか色々 酷かったようで、そういうことは、昔 世界史で習ったから知っているんだけど、今のヨーロッパのキリスト教はそんなこと無いのでは?」と言われるかもしれない。確かに、中世のヨーロッパや、今のイスラム教原理主義の過激派に比べれば、今のカソリックは 遥かにマシではある。しかし、今のカソリックも、日本人の感覚からすれば、かなり 宗教的独善性・排他性を維持し続けている。

 それを日本人が理解し難いのは、日本人の多くは宗教依存症ではない、という世界でも珍しい日本人の特性のせいではないだろうか?

 世界の多くの人達、日本人を除けば、ほぼ全員が、宗教依存症である。アルコールに支配されて生きるのがアルコール依存症、薬物に支配されて生きるのが薬物依存症、そして、世界の多くの人は、宗教に支配されて生きる宗教依存症である。日本人は、宗教を、心の安寧を得る手段として利用するが、世界の多くの人たちは、この《 宗教を利用する 》ということが出来ず、宗教に支配されて生きている。カソリックの人々もそうである。だから、カソリックの教えをベースとした倫理は、自分の命と同じくらい大切なものと考えている。だから、人工妊娠中絶や同性婚を許すといった、カソリックの倫理に反することには、断固反対する。それは近代国家の理念に反する、近代国家の理念は大切だぞ、と判っていても、断固反対する。それが、カソリック依存症の一般人の普通の感覚である。こういう人たちにとっては、「そんなこと、当人達の問題ではないか?勝手にやらせとけよ」という日本人が思いそうな考え方は通らない。彼らにとって、彼らが持つ宗教上の倫理感を守ることは、自分の人格・自我を守ることに他ならず、従って、全然 ヒトゴトなんかじゃないし、当然、まったく譲歩の余地の無い話と成る。

 だが、「先進国」を自称する国家の運営を任されている政府としては、近代国家の理念の維持の為に、人工妊娠中絶や同性婚を許すといったことを進めなければならない。一般国民の強い反対を承知の上で、進めなければならない。

 憲法を改正して、それらを憲法に明記しなければならないのは、そういう事情があってのことである。

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