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第2回「時間を大事にする」という言葉の意味 主題5 人生という風景
フランケンとの対談
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さて、ここまでで1日分の人生を振り返ってみた。
この後どうするかというと。
おもむろにこの紙を壁に貼ろう。
そうしたら、反対側の壁まで歩いてほしい。
で、遠くに貼ってある紙を眺める。
この風景はなんだろう?
この風景は、今際の際に見える自分の人生に似ている。
色々な見え方を模索したけれど、これが一番近いと
僕は思う。
何をしていたかなんて細かいことはわからない。
それはちょうど、さっき書いてもらった鉛筆書きの文字が全く見えないのと同じ。
遠い過去の具体的なイベントなんて、ほとんど思い出せない。
でも、こういう1日を生きたという漠然とした記憶だけはある。
そういう風に見えるんだよ。
壁に貼られた過去
紙だとね、余白が大きすぎるんで、まあ、透明なセロハンとでも思ってほしい。
1日を表すこの棒がビッシリと壁を覆い尽くしている。
まるで一枚の絵画のようだ。
僕はそんな風に考えている。
他人にどう見えるのかはわかんないんだけどね、
自分には、この人生は間違いなく自分で塗りつぶして来た。
この絵は、自分の人生なんだ、
そういう実感があるんだ。
さっきも言った通り、理屈をこねるのではなく、インスピレーションを共有するにはどうすればいいのかって考えた末の発想だから、
まるまんまこれが見えたっていうわけじゃないし、
毎日せっせとカラフルな棒を壁に貼って言ったら本当にそう見えるのか?って聞かれると、自信は無いよ。
でもね、この話をこのブログに載せてもらったときに、物凄い反響があった。
その中には、実際に何度か病気で死にかけて僕と同じように人生を達観している人も多くいて、
すごく伝わっている感があった。
だから正確性は置いておくとして、多分そう的外れな終末観では無いんだと思ってる。
だから、これを聞いているみんなにとっては一本の棒にしか見えないかもしれないけど、
遠くない将来にきっと共感してもらえると思う。
意味付け
この風景にどのような意味付けをするのかはそれぞれの感性になると思うんだけど、
僕が最初にみた風景には、なんというか、怖さを感じた。
ここの下りは、ブログではクドくならないようにあっさり2行くらいで書いたけど、実はもっと色々言いたいことがあった。
さっき、「できればやりたくなかったけど、やり直すとしてももう一度やらざるを得なかった時間」の定義が難しいって言ったでしょう?
そこに嫌いな色を塗れって。
普段意識しないと、ほとんどの時間をここに当てはめて、暗い色を塗りこんじゃう。
だから、僕の人生は全体的に暗い色で塗りつぶした人生だった。
でも、本当にホラーなのはここから。
「やらざるを得なかった」と思い込んでた時間は、ほとんどが本当は「どうでもいいもの」だった。
それに気がついた途端に、意味づけを失った色が、どんどん溶けていく感じ。
元から無いものは、無くても気にならない。
でも、みるみるうちに、何もなくなっていく。
この変化が怖い。
色が無くなっていく様は、まさに「空虚な絶望」に感じた。
前回のラジオでも
「人から求められる正しい生き方」は、空虚な絶望を生むといった。
自分の価値観に由来しないから意味付けできない、最後の最後で自分の価値に変換できない。
そういった時間が、ドンドン無色に抜けていく。
そのありさまを、ブログに載せてもらった記事にこう書いた。
「僕の人生であるにもかかわらず、僕のために使わなかった時間が無色に僕の人生を蝕んでいた。僕の人生は僕が思っていたよりも無色だった。」
このフレーズはものすごく多くの人から反響があった。
素直に嬉しかったよね。
心掛けていること
自分からできることは、実はあまり多く無い。
前にも言ったけど、好きな時間を増やしたり、嫌いな時間を減らしたりっていうのは、いうほど簡単じゃ無い。
よほど人生に何かの達観を持たない限り無理。
せめて、時間の色を意識することくらい。
「いま、この瞬間はどの色のペンで塗ることになるのだろうか」
いま、真っ茶色だよ、むしろ黒紫とか、、、色があるだけまだマシか、なんて。
あるいは、この1ヶ月くらい、何やってんだ俺?
意味あんのか?自問自答してる段階で無意味なんじゃ無いか?
時間の彩りを意識する。
この意識を持つだけで、時間の使い方は大きく変わる。
いつか振り返る人生が大きく変わる。
そろそろこの議題のまとめに入ろう。
新しい座右の銘「時間を無駄にしない」とは
振り返った時に見えるように色を塗っていくこと。
「時間はナマモノ、旬を食べる」とは、
なるべく鮮やかな色で時間を塗りつぶすこと
この2つに尽きる。
いま、この瞬間にやっていることが自分にとって何なのか、常に自問しよう。
やりたいことを出来る時間は大切だ。
ボーッとする時間も大切だ。
人に会うこと。
将来のために今の布石を打つことだってもちろん有意義だ。
それを振り返った時に、どのタイミングで振り返っても満足だったと思えるならば、良い使い方をしたということ。
勘違いして欲しく無いのは、嫌いな色も無意味じゃないってこと。
消えてしまうような、まがい物の時間じゃ無い。
これは、
あなたの人生を形作るために必要だった時間たちだ。
これがあるから、好きな色を塗ることができる。
今日、描いてもらった一本の帯は、一本一本折り重なる。
いつか、あなたにしか意味付けできない抽象画として、
今際の際に目の前にきっと現れる。
いつかそれを見るあなたが「これを描くために生きた」と満足できるものであって欲しい。
もちろん、なるべく遠い未来であって欲しいけど。
この後どうするかというと。
おもむろにこの紙を壁に貼ろう。
そうしたら、反対側の壁まで歩いてほしい。
で、遠くに貼ってある紙を眺める。
この風景はなんだろう?
この風景は、今際の際に見える自分の人生に似ている。
色々な見え方を模索したけれど、これが一番近いと
僕は思う。
何をしていたかなんて細かいことはわからない。
それはちょうど、さっき書いてもらった鉛筆書きの文字が全く見えないのと同じ。
遠い過去の具体的なイベントなんて、ほとんど思い出せない。
でも、こういう1日を生きたという漠然とした記憶だけはある。
そういう風に見えるんだよ。
壁に貼られた過去
紙だとね、余白が大きすぎるんで、まあ、透明なセロハンとでも思ってほしい。
1日を表すこの棒がビッシリと壁を覆い尽くしている。
まるで一枚の絵画のようだ。
僕はそんな風に考えている。
他人にどう見えるのかはわかんないんだけどね、
自分には、この人生は間違いなく自分で塗りつぶして来た。
この絵は、自分の人生なんだ、
そういう実感があるんだ。
さっきも言った通り、理屈をこねるのではなく、インスピレーションを共有するにはどうすればいいのかって考えた末の発想だから、
まるまんまこれが見えたっていうわけじゃないし、
毎日せっせとカラフルな棒を壁に貼って言ったら本当にそう見えるのか?って聞かれると、自信は無いよ。
でもね、この話をこのブログに載せてもらったときに、物凄い反響があった。
その中には、実際に何度か病気で死にかけて僕と同じように人生を達観している人も多くいて、
すごく伝わっている感があった。
だから正確性は置いておくとして、多分そう的外れな終末観では無いんだと思ってる。
だから、これを聞いているみんなにとっては一本の棒にしか見えないかもしれないけど、
遠くない将来にきっと共感してもらえると思う。
意味付け
この風景にどのような意味付けをするのかはそれぞれの感性になると思うんだけど、
僕が最初にみた風景には、なんというか、怖さを感じた。
ここの下りは、ブログではクドくならないようにあっさり2行くらいで書いたけど、実はもっと色々言いたいことがあった。
さっき、「できればやりたくなかったけど、やり直すとしてももう一度やらざるを得なかった時間」の定義が難しいって言ったでしょう?
そこに嫌いな色を塗れって。
普段意識しないと、ほとんどの時間をここに当てはめて、暗い色を塗りこんじゃう。
だから、僕の人生は全体的に暗い色で塗りつぶした人生だった。
でも、本当にホラーなのはここから。
「やらざるを得なかった」と思い込んでた時間は、ほとんどが本当は「どうでもいいもの」だった。
それに気がついた途端に、意味づけを失った色が、どんどん溶けていく感じ。
元から無いものは、無くても気にならない。
でも、みるみるうちに、何もなくなっていく。
この変化が怖い。
色が無くなっていく様は、まさに「空虚な絶望」に感じた。
前回のラジオでも
「人から求められる正しい生き方」は、空虚な絶望を生むといった。
自分の価値観に由来しないから意味付けできない、最後の最後で自分の価値に変換できない。
そういった時間が、ドンドン無色に抜けていく。
そのありさまを、ブログに載せてもらった記事にこう書いた。
「僕の人生であるにもかかわらず、僕のために使わなかった時間が無色に僕の人生を蝕んでいた。僕の人生は僕が思っていたよりも無色だった。」
このフレーズはものすごく多くの人から反響があった。
素直に嬉しかったよね。
心掛けていること
自分からできることは、実はあまり多く無い。
前にも言ったけど、好きな時間を増やしたり、嫌いな時間を減らしたりっていうのは、いうほど簡単じゃ無い。
よほど人生に何かの達観を持たない限り無理。
せめて、時間の色を意識することくらい。
「いま、この瞬間はどの色のペンで塗ることになるのだろうか」
いま、真っ茶色だよ、むしろ黒紫とか、、、色があるだけまだマシか、なんて。
あるいは、この1ヶ月くらい、何やってんだ俺?
意味あんのか?自問自答してる段階で無意味なんじゃ無いか?
時間の彩りを意識する。
この意識を持つだけで、時間の使い方は大きく変わる。
いつか振り返る人生が大きく変わる。
そろそろこの議題のまとめに入ろう。
新しい座右の銘「時間を無駄にしない」とは
振り返った時に見えるように色を塗っていくこと。
「時間はナマモノ、旬を食べる」とは、
なるべく鮮やかな色で時間を塗りつぶすこと
この2つに尽きる。
いま、この瞬間にやっていることが自分にとって何なのか、常に自問しよう。
やりたいことを出来る時間は大切だ。
ボーッとする時間も大切だ。
人に会うこと。
将来のために今の布石を打つことだってもちろん有意義だ。
それを振り返った時に、どのタイミングで振り返っても満足だったと思えるならば、良い使い方をしたということ。
勘違いして欲しく無いのは、嫌いな色も無意味じゃないってこと。
消えてしまうような、まがい物の時間じゃ無い。
これは、
あなたの人生を形作るために必要だった時間たちだ。
これがあるから、好きな色を塗ることができる。
今日、描いてもらった一本の帯は、一本一本折り重なる。
いつか、あなたにしか意味付けできない抽象画として、
今際の際に目の前にきっと現れる。
いつかそれを見るあなたが「これを描くために生きた」と満足できるものであって欲しい。
もちろん、なるべく遠い未来であって欲しいけど。
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