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第10回飲茶先生の本について語ろう6

フランケンとの対談
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フランケンの説教ポエム
神とは何か、幸福とは何か?
知らんがなそんなもん!

こう答える人はかなりの数がいると思うんだけど、昔の人ってこんなことから哲学を発展させていったという流れがとてもよくわかるのが、飲茶先生のシリーズです。
正直言って、一つ一つの哲学理論なんて、とても深く理解しようとは思わないでしょう。そこをウォークスルーさせてくれるというところが楽しいわけです。

哲学を浅くザックリと読めるだけでも楽しいんだけど、アカデミアが哲学をザックリ知る意味っていうのは、他にもあると思うんですよ。

さて、
いまだ金時ラジオのリスナーはほとんどがお医者さんのはず。お医者さんの学問や常識って、ひたすらデータありきで構築されている。エビデンスがない議論ってしない癖がついているでしょう?医学がそうなったのって、意外と最近なんですよ。EBMっていう概念、僕が研修医の時にはまだ一般化されてなかったからね。一部にエビデンスエビデンス言ってる外国かぶれがいるな、という程度で。

そんなわけだから、昔の常識を知っている人間にとって、今の常識が「普遍の真理」などでは全くないことは肌感覚でわかっているものなんですよ。でも、自分が知らない時代の常識まではわからない。

過去の常識を知ることっていうのはそういった意味でとても大切だし、全く違うパラダイムの常識っていうものを理解することは、自分の幅を広げる意味できわめて役に立つ行為だと思うんですよね。

読書のメリットってまさにこれですよね。

例えば、肝炎ウイルス。昔は肝炎がウイルスによって起こるということは誰も知らなかった。なんでおこるかわかんないけど、肝炎についての治療体系はぼんやりと存在している。で、誰かがウイルスによる肝炎という概念を確立する。治療法が確立されるが、一つの治療法では全部は治らないし、症状もなんか違う。すると、どうやらウイルスには型があるらしいということがわかってくる。型による治療法が確立される。みたいに、ちゃんとしたストーリーをもって合理的に進む。その時その時は「これが正解。大発見(肯定的意見)」って思われたものが、「なんか違うよ(否定的意見)」ってひっくり返されて、どっちも筋が通ってる。「本当はこうだったんだ(超越的意見)」という発見が、次のスタンダードになっていく。このプロセスは何なのかというと、「ヘーゲルの弁証法みたいだよね」と理解できる。理解できるルールには正しく干渉できるようになるものなんですよ。それを知っていると知らないのでは俯瞰の高さが変わってくるよ、という事なんです。

よく、具体的事象に対して「歴史に学べ」っていうじゃないですか。各論としてのパワーゲームやメンタルゲームなんかは、太古の過去から繰り返されているシナリオで、その局面に陥ったプレイヤーが何をやってどうなったかというモデルケースが歴史には山ほど見つけることができる。だから、自分のおかれている状況によく似た盤面を歴史から探して参考にしろってことですよ。そのためのライブラリが多いほど有利になるから歴史を学べって言われるんですよね。言ってみればミクロ戦術です。あらゆる選択肢からミクロな視点、個人的な視点で最も利益の高い選択をするには、歴史を知るのが一番です。

その一方で、アカデミアにしろクリニシャンにせよ、自分がプレーしているゲームのルールやロジックが、刻々とアップデートされていく世界に身を置くのなら、歴史の他に、哲学が必要になるんですよ。少なくとも僕はそう思うんです。ちょっと話題が飛んだ感じを受けるかもしれませんね。
お医者さんのルールっていうものは、基本的に上位構造としての医学アカデミアの理屈に従って変化します。ボトムアップじゃなくて、トップダウンなんです。だからそのトップにある理屈っていうのは、それまでの理屈をこねてこねてアップデートされるんです。
そう言ったものは、常に「普遍的な正しさ」って奴を求めるので、誰か一人にとって都合の良い理屈というミクロな観点ではなくて、マクロな最適解を探るように綿密に組み上げられていきます。
この動きをトレースしたり先読みしたりするのは、やっぱり歴史知識の引き出しではなく思考過程の引き出しになるんです。哲学が進化したプロセスに触れるというのは、この「思考の引き出し」を多くする手助けになると思うんですよね。

もちろん誰かに哲学を体系立ててレクチャーできるほどの読み込みは必要ないですよ。
「一度読んで理解したことがあるロジック」という程度で十分です。
これがあるのとないのでは、やっぱり違うんと思うんですよ。
だって、なんだかんだで、アカデミアっていうのは「普遍の真理」っていうものを模索していて、それを見つけるために「今までの事実に照らして、これが正しいらしい。今のところは。」を何千年も続けてきたわけですよ。
だから根底に流れているマインドが一緒だと思うんですよ。
僕だけですかね。

あと、哲学はリベラルアーツとしては相当に上質なたしなみではある。なんかこう、いろんな人と仕事で付き合うようになると、実務から外れて、判断と決断ばっかりやってる立場の人たちは、びっくりするほど仕事に関係ない知識をため込んでる。すごい貪欲。
これはちょっと違った視点のノウハウを本業に活かす、とかいうレベルの話ではなくて、「人間の根源的な何かに目を向ける」という意識を感じるんですよ。

僕の知ってる人は大体二種類で、一番多いのは歴史にはまる。
これは単純に歴史にハマるというパターンもあるし、芸術をトレースするというもある。
歴史に行かない人たちは、大体、思考のトレースを始める。文学に行くのはそのものズバリだし、思考の過程に興味を持ち始める。

僕は完全に思考のトレースパターンですね。
これはそういう人をバカにしてるわけじゃなくて、こういう精神活動を通して、人間が深くなっている、ってことなんですよ。

そんなこんなで、おすすめなんですよ。
なんでも読んでみましょう。

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