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第9回ニュータイプの時代2

フランケンとの対談
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主題1)飽和するモノと枯渇する意味

さて、まず
・メガトレンド1と2
ここは2つまとめて扱いましょう。
この本の主張、というか主張の根拠は、ほぼほぼこの2つのセクションに詰まってると言って良いでしょう。
だから、もしこの本を試しに立ち読みしてみるんなら、ここをお勧めしますよ。どうせ買うことになるからどっから読んでもいいですが。

ニーチェ 現代人が「意味の喪失」という問題に陥り、ニヒリズムに捉えられることを予言。ニヒリズムとは、「何のために、という問いに対して答えられないこと」

意味の持つパワー
意味を与えると人は豹変する。イエスキリストの12人の弟子。「キリストの福音を世界に述べ伝える」という意味を持った後に炎の伝道師へと豹変した。
これから先、多くの組織において中核をなすことになるミレニアル世代(2000年代に成人あるいは社会人になる世代)の人びとは意味の有無に対して極めてシビアな評価視点を持っている。草食系?いつの時代にあっても、その時代の若者というのは、常にその時代に足りないものについてハングリーになる。モノが溢れる一方で、意味が枯渇している社会においてモノに対してハングリーになれないのはあたりまえ。
スティーブ・ジョブズは、アップルのミッションを尋ねられた際に「人間の知性にとっての自転車をつくる」と回答。何のために存在する会なのかという問いに対して、明確な意味を与えている。

モノの飽和と意味の価値という流れが最初のメガトレンドとして紹介され、意味の価値に注目する存在が、続く章で強調されています。
ここで出てくる人物像が2つ、
まずは「プロブレムソルバー」そして「アジェンダシェイパー」という概念。
意味の価値を意識した時に重要であるのは、アジェンダ、問題を作り出す能力が問われるということです。
そのためには、現状から意味を抽出する能力がなければいけない。

この本の中では
「ニュータイプとは 、自分なりの理想像を構想することで 、目の前の現実とそのような構想とを見比べ 、そこにギャップを見出すことで問題を発見していく人」
として定義され、また、オールドタイプの問題点としては
「問題の不足 」という状況は 、 「世界は、人間は、こうあるべきではないか 」ということを考える構想力の衰え、即ち「ビジョンの欠如」だ

と述べられています。
ここからの時代、前者のニュータイプが問題を抽出することで価値が創出されるよ、っていう論調になっています。

これ、理解はできるんですが、厳しいです。これは果たして「よーし、ニュータイプになるぞー」って言ってなれるもんでしょうかね。ここについては議論の余地があるような気がします

・問題の希少化と正解のコモディティ化

かっこいいけど絶望的な文章を抜粋します。
『ビジネスは 「問題の発見 」と 「問題の解決 」が組み合わされることによって初めて成立します 。したがって 、両者のうち 「少ない方 」が常に社会的なボトルネックとなり 、そのボトルネックを解消できたプレイヤ ーには大きな価値がもたらされます 。』
このボトルネックが変化したっていうのがこの本の趣旨ですね。
問題の解決は、もうできる。だから、問題を解く能力はすでに価値を失いつつある。今までの資本主義がありがたがってきた「プロブレムソルバー」っていう価値は陳腐化するつまりコモディティ化するって言ってます。
絶望ですよね。

「僕は君たちに武器を配りたい」滝本哲史(たきもとてつふみ)
ではコモディティのリスクがさらに鋭く指摘されています。
ちょっと紹介しましょう。

『経済学では「スペックがはっきりと定義できるもの」従って、モノも、サービスも、人の価値に至るまで「個性のないものは全てコモディティ」である。』
なんと痛快なことか。

自分がコモディティであることを受け入れるのであれば、経済学が証明した通りに、医師の限界効用はゼロまで下がる。

2番じゃダメなんですか?
1番ですらダメです。スペックが定義できて、優劣の俎上に乗せられてしまっているのだから、皆コモディティだ。限界効用はどこまでも下がる。

誰でも特別なオンリーワン?
コモディティが価値を失う世界では、価値のないオンリーワンなんて無意味です。
「価値ある特別なオンリーワン」しか認めないというマッチョな世界だ。
全く優しくない世界ですよ。

この本では「個人のコモディティ化」という命題を突き付けている。
「同じような能力であれば、誰かと交換しても大差ない労働力になりさがる」わけです。
じゃあ、差別化のために資格を手に入れよう、TOEIC800点を獲得しよう。とか考えるでしょうか。
その職業の募集要項が、「要資格、要800点」だった場合には、全員が同じスペックだ。あとは限界効用ゼロを目指して売り手の安売り合戦になる。

資格を持っていれば安心?
Noですよ。
いわゆる師業、弁護士、医師、会計士、なんでもいいが、資格が参入障壁になっている職業は全て障壁内ではコモディティ化している。

オールドタイプはこれをなんとかするために、別のアプローチをします。
具体的には結束します。
参入障壁に守られた狩場に一致団結して魚を追い込み、よそ者が塀の中の魚を取れないようにする。その上で塀の中では、コモディティ化した構成員がダンピングで個人の商品価値をぶっ壊してしまわないように目を光らせて、共産主義を敷いている。誰も出し抜くやつが出ないように。
この世界は、コモディティからの逸脱をタブー視すらします。

だから、自分というユニットがコモディティ化するのを防ぐのは並大抵の能力じゃないです。「わかる、理解できる」というだけでもうコモディティですよ。「わからない、理解できない」という人材、これになるのは難しいです。

ちなみに、年取ったオールドタイプっていうのはもうしょうがないと思うんですけど、僕が個人的に問題視するのは「若いオールドタイプ」がいわゆる甘えとして自分がコモディティであることを肯定するケースです。

これは批判があるかもしれないけど、上司による指導を過度に要求する論調ってあるでしょう?あれ、どうかと思うんですよ。

「できるように指導するのが上司の仕事だ」
「部下の無能は上司の指導力の問題」
が成り立つなら、その仕事は習えばできる「コモディティ」なので、限界効用ゼロを指して給与は極小になります。
指導されてできるようになる程度の仕事でバタバタしてるようだと、正直その先なんて無いんですよ〜とまで言うと、また叩かれますかね。
でも、差別化が生じるためには「習得の格差」が必要。
そして「教えられた仕事で差別化」はできないことは知っておこう。

ちょと離れちゃいましたね。
コモディティ、これはスタンスとしてのリスクである、ということを明記してくれ、というのがここのコンセプトでしょう。

まとめ
目の前の課題を手当り次第解決していくことが求められた時代がかつてあった。でも、それを続けているとコモディティという入れ物の中に入れられてしまう時代になりつつある。そんな中で、重要になるのは、「自分なりの生きる意味」を再定義すること。まさに哲学が求められているのであります。

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