第8回ゴッホとピカソ3
フランケンとの対談
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いまだ金時ラジオ 第8回 なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?
主題2
さて、この本では、ピラミッドの頂点である、お金、マネーについての本であるにもかかわらず、だんだんとフォーカスをマネーからシナリオに移していくという、ややトリッキーな構造を持つ本だ。
マネーはマネーだ。マネーからマネーを生むビジネスに身を置いていた著者が、シナリオから分断されてしまった「数字としてのマネー」に対する強い嫌悪感を展開していく。
そこで出てくるのが「シナリオのインタラクション」という概念だ。これはとても斬新に見えて、親しみやすい考え方になっている。
この本の本題です。
気合い入れて行ってみましょう!
・価値(バリュー)と信用(クレジット)が両方あって価格につながる
価値と価格の差を長期にわたって生じさせる原因は何か?
僕(山口氏)、それが会社や個人の持つ「信用(クレジット)」の差であることに気づいた。
ある高名なバイオリニストが地下鉄構内で一日中バイオリンを弾いていたが、その稼ぎは、他に多数いる地下鉄のバイオリン弾きに全く追いつかなかった。価値の高い演奏をすることは間違いないだろうが、それ以上に、彼が高名であることを観客が知っている状態でなければ、集客にはつながらないのである。
まず、バリューは、クレジットによって修飾されうる交絡的な因子である、ということだ。これは個人の中で違いを修飾している。互いに交絡する因子が個体の中ではなく、個体間に分かれて存在する場合、お互いが持つ価値と信用はそれぞれを修飾し合うことができる。また、それらを交換することもできる。これがこの本の最大のテーマになる。
だから、僕らは、マネーではなく、シナリオであるバリューとクレジットに注目しよう、この本は熱っぽくそれを語る。
・お金とは、価値(バリュー)の結果であるとともに、信用(クレジット)を数値化したものである。僕たちが管理すべきものは、信用総量であってお金の額ではない。
・事業とは何か?ドラッカーは、「事業とは顧客の創造」と言った。僕はそれを少し変えて、こう言いたい。「事業とは価値と信用を創造するゲーム」である。事業においては、短期的に稼ぎ出すお金以上に、その裏側にある信用が大事になるのだ。
ここはすんなり飲み込んで欲しい、ドラッカー、簡単に読みたければ「初めて読むドラッカープロフェッショナルの条件」Kindle版で1400円!
はい、すいません、続けてください!
・昔はお金は、物と物の交換を円滑に行うためのツールだった。利便性の高いお金というツールは、ほとんどの物と物の交換に使われるようになり、いつしか、お金自体が価値を持つようになった。実体経済は約7 0兆ドル、それに対し金融経済は約570兆ドルに達している。つまりこの世界には、実体の8倍にのぼるお金が常に存在していることになる。
・お金の価値を担保するもの
現在のお金は、最初に述べたとおり、国家の信用に基づいている。いまだ国家は大きな存在ではあるが、近年、国家という共同体のあり方は不確実になってきた。
マネーそのものに価値を求める経済観念に対する警鐘ですよ。
マネーの価値は絶対的なものじゃない、価値を支える根本が揺らぐと、マネーの価値も揺らぐんです。現在、グローバル経済の発展によってその根っこが変わろうとしている。現在のマネーは、著者のいう階層構造の、1番プリミティブな制限を根拠にした脆弱なものかもしれない、というのが著者の主張です。
・第1層に、地政学的に切り分けられた「国家(ソブリン)」、その上に第2層として、国境を超えて地上をまるで雲のように漂う「企業(グローバル・カンパニー)」、最後に第3層として、さらにその上にオゾン層のように点在し結びつきあう「個人間の紐帯(ネットワーク)」がある。
・(第二層)、グローバル企業の経済を前提とすると、実際、アフリカの小国が発行する通貨よりも、トヨタとウォルマートが共同して発行するお金、航空会社のマイルレージのほうが信用力が高いことがわかる。そして企業は国に縛られず、世界中に展開することが可能であるため汎用性を高めやすい。
これは、通貨という国が担保するお金では、第二層のお金の流れをコントロールできない、という意味ですね。
・(第三層において、)ソーシャル・ネットワークは、個人間の紐帯を明らかにし、強固にし、組織化し続ける。早晩、ウェブは我々の「履歴書」となり、個人の「信用」の源泉となるだろう。
最終的に、個人が発生させる信用は、ネットワークを介して直接価値との交換を始めるだろう、という話に展開していきます。これは冴えた考え方ですよ。
「原始社会では、物々交換が価値交換の手段だった。でも、物々交換はロスが大きいので、このロスを埋める道具として「マネー」が発明された。
マネーはその利便性ゆえに、価値そのものとして振る舞った。
それがバブル経済。
今、第三層のパーソナルなネットワークが、距離やタイミングや需要供給量などの諸々のロスを埋めてしまった。したがって、このロスを埋めるための道具にすぎないマネーは、役割を終える。」
そう言ってるわけですよ!
これはとんでもなく熱いですよ?
・具体的には、ふたつのことを意味している。ひとつは、お金(国家発行のハードマネー)を貯め込む意味が減ること。ふたつ目は、個人としてみずから価値や信用を創造することが、いっそう大事になること。
ここです。
この本の肝はここなんですよ。
でも、「将来そんな社会が来るのか〜、へ〜、来たら面白いな〜」って読んじゃダメな本なんですよ。
大事なことは、そういう社会がすでに部分的に実現している。
「部分的に」いっていうところが最大の肝なんです。
この、「価値の代替になるロジック」が部分的にマネー社会に並存している、という部分に注目しろっていう本なんですよ。
僕はね、この本をそう読んだ。
この本を読んだ人、最後のくだりで筆者が発展途上国にクレジット経済社会を出現させに行っちゃうところでポカーンとするかもしれない。どこ行くんだ?って。
でも、この筆者はこのクレジット経済が現在のマネー経済に並存している今が唯一のタイミングだと思ってるんだと僕は思う。
次のセッションで、僕らは何をやるべきかっていう話をしていこう。
主題2
さて、この本では、ピラミッドの頂点である、お金、マネーについての本であるにもかかわらず、だんだんとフォーカスをマネーからシナリオに移していくという、ややトリッキーな構造を持つ本だ。
マネーはマネーだ。マネーからマネーを生むビジネスに身を置いていた著者が、シナリオから分断されてしまった「数字としてのマネー」に対する強い嫌悪感を展開していく。
そこで出てくるのが「シナリオのインタラクション」という概念だ。これはとても斬新に見えて、親しみやすい考え方になっている。
この本の本題です。
気合い入れて行ってみましょう!
・価値(バリュー)と信用(クレジット)が両方あって価格につながる
価値と価格の差を長期にわたって生じさせる原因は何か?
僕(山口氏)、それが会社や個人の持つ「信用(クレジット)」の差であることに気づいた。
ある高名なバイオリニストが地下鉄構内で一日中バイオリンを弾いていたが、その稼ぎは、他に多数いる地下鉄のバイオリン弾きに全く追いつかなかった。価値の高い演奏をすることは間違いないだろうが、それ以上に、彼が高名であることを観客が知っている状態でなければ、集客にはつながらないのである。
まず、バリューは、クレジットによって修飾されうる交絡的な因子である、ということだ。これは個人の中で違いを修飾している。互いに交絡する因子が個体の中ではなく、個体間に分かれて存在する場合、お互いが持つ価値と信用はそれぞれを修飾し合うことができる。また、それらを交換することもできる。これがこの本の最大のテーマになる。
だから、僕らは、マネーではなく、シナリオであるバリューとクレジットに注目しよう、この本は熱っぽくそれを語る。
・お金とは、価値(バリュー)の結果であるとともに、信用(クレジット)を数値化したものである。僕たちが管理すべきものは、信用総量であってお金の額ではない。
・事業とは何か?ドラッカーは、「事業とは顧客の創造」と言った。僕はそれを少し変えて、こう言いたい。「事業とは価値と信用を創造するゲーム」である。事業においては、短期的に稼ぎ出すお金以上に、その裏側にある信用が大事になるのだ。
ここはすんなり飲み込んで欲しい、ドラッカー、簡単に読みたければ「初めて読むドラッカープロフェッショナルの条件」Kindle版で1400円!
はい、すいません、続けてください!
・昔はお金は、物と物の交換を円滑に行うためのツールだった。利便性の高いお金というツールは、ほとんどの物と物の交換に使われるようになり、いつしか、お金自体が価値を持つようになった。実体経済は約7 0兆ドル、それに対し金融経済は約570兆ドルに達している。つまりこの世界には、実体の8倍にのぼるお金が常に存在していることになる。
・お金の価値を担保するもの
現在のお金は、最初に述べたとおり、国家の信用に基づいている。いまだ国家は大きな存在ではあるが、近年、国家という共同体のあり方は不確実になってきた。
マネーそのものに価値を求める経済観念に対する警鐘ですよ。
マネーの価値は絶対的なものじゃない、価値を支える根本が揺らぐと、マネーの価値も揺らぐんです。現在、グローバル経済の発展によってその根っこが変わろうとしている。現在のマネーは、著者のいう階層構造の、1番プリミティブな制限を根拠にした脆弱なものかもしれない、というのが著者の主張です。
・第1層に、地政学的に切り分けられた「国家(ソブリン)」、その上に第2層として、国境を超えて地上をまるで雲のように漂う「企業(グローバル・カンパニー)」、最後に第3層として、さらにその上にオゾン層のように点在し結びつきあう「個人間の紐帯(ネットワーク)」がある。
・(第二層)、グローバル企業の経済を前提とすると、実際、アフリカの小国が発行する通貨よりも、トヨタとウォルマートが共同して発行するお金、航空会社のマイルレージのほうが信用力が高いことがわかる。そして企業は国に縛られず、世界中に展開することが可能であるため汎用性を高めやすい。
これは、通貨という国が担保するお金では、第二層のお金の流れをコントロールできない、という意味ですね。
・(第三層において、)ソーシャル・ネットワークは、個人間の紐帯を明らかにし、強固にし、組織化し続ける。早晩、ウェブは我々の「履歴書」となり、個人の「信用」の源泉となるだろう。
最終的に、個人が発生させる信用は、ネットワークを介して直接価値との交換を始めるだろう、という話に展開していきます。これは冴えた考え方ですよ。
「原始社会では、物々交換が価値交換の手段だった。でも、物々交換はロスが大きいので、このロスを埋める道具として「マネー」が発明された。
マネーはその利便性ゆえに、価値そのものとして振る舞った。
それがバブル経済。
今、第三層のパーソナルなネットワークが、距離やタイミングや需要供給量などの諸々のロスを埋めてしまった。したがって、このロスを埋めるための道具にすぎないマネーは、役割を終える。」
そう言ってるわけですよ!
これはとんでもなく熱いですよ?
・具体的には、ふたつのことを意味している。ひとつは、お金(国家発行のハードマネー)を貯め込む意味が減ること。ふたつ目は、個人としてみずから価値や信用を創造することが、いっそう大事になること。
ここです。
この本の肝はここなんですよ。
でも、「将来そんな社会が来るのか〜、へ〜、来たら面白いな〜」って読んじゃダメな本なんですよ。
大事なことは、そういう社会がすでに部分的に実現している。
「部分的に」いっていうところが最大の肝なんです。
この、「価値の代替になるロジック」が部分的にマネー社会に並存している、という部分に注目しろっていう本なんですよ。
僕はね、この本をそう読んだ。
この本を読んだ人、最後のくだりで筆者が発展途上国にクレジット経済社会を出現させに行っちゃうところでポカーンとするかもしれない。どこ行くんだ?って。
でも、この筆者はこのクレジット経済が現在のマネー経済に並存している今が唯一のタイミングだと思ってるんだと僕は思う。
次のセッションで、僕らは何をやるべきかっていう話をしていこう。
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