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第7回嫌われる勇気_主題2

フランケンとの対談
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主題2
アドラー心理学 前編
まずは、アドラー、何者?というところから入りましょう。
そして、日本でアドラー心理学がどういう形で人目に触れるようになったのか、その辺りを教えていただきましょう。

アドラー心理学を提唱した、アルフレッド・アドラーとは何者なのか?
20世紀初頭に活躍したオーストリア出身の精神科医。フロイト、ユングに並び「心理学の三大巨頭」と称されている。
アドラー心理学から、僕は2回大きな影響を受けている。1回目は大学生の時に読んだ、7つの習慣。ちょうどこの本にでてくる成人のような立場のときだ。スティーブン・コヴィーの7つの習慣でも近い内容が語られている(第1章主体的であれ)。
そして、2回目がアカデミアを去ることになる40歳前後の葛藤の時期。

「どうすれば人は幸せになることができるか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な答えを提示。
そして、嫌われる勇気は、岸見一郎(きしみいちろう)という一人の哲学者のフィルターを通して浮かび上がってくる、いわば岸見アドラー学なのだ。

この本は哲人と若者、という2人の人物の対話の形式で構成される。自分の人生にドン詰まった若者に、哲人が答えを与える。若者は反発するが、その反発に哲人はさらに答えを提示することで若者の意識を変化させていく。終始この構造が崩れることがない。

これはいわゆるソクラテスの対話法とは少々異なる。若者の中にある答えを引き出しているのでもなければ、若者の中にある間違いを浮き彫りにするものでもない。

この本の中の哲人は思想家として描かれるけれど、テーマの基本が治療であるからだ。
治療とは方法論と再現性がなければならない。
デザインされた効果をデザイン通りに発現させる。それが治療だ。
だからこの本で処方されるメッセージは、同じ症状、つまり個人的な問題を持つ人間に同じ効果をもたらすように、ある意味万能的にデザインされている。
そう言った意味で、哲人のスタンスが相手によってブレることがない。

この本は、「誰かしら読めば何かが得られる」、という類の自己啓発本とは趣がやや異なる。薬なんだから当然だろう。
鎮痛剤は、痛みを抱える人にはよく効き、痛くない人にはほとんど意味がない。
アドラーは精神科医である、そう言った意識でこの本を読んでみると面白いだろう。

嫌われる勇気の第1夜:トラウマを否定せよ。
人は変わりたくても変われない。両親から虐待を受けて育ったから愛情を知らない大人になる。このような、トラウマを代表とする考え方、つまり、過去に原因となる出来事があり、その結果として今の自分という人格が形成されている。
それ以外にも、「あいつが邪魔をするから俺は出世できない」など。原因は過去の体験や環境といった自分の力の及ばない場所にあるから、自分がかわることはできない。
このような決定論を完全否定するのがアドラー心理学の立場である。
トラウマを否定せよ!(具体例をこのあと説明します)


これは師であるフロイトが、なんでもかんでも「抑圧された性欲」という無意識のせいにしちゃった事に対する意見の相違が現れている。無意識、っていう概念はフロイトが作ったと言っていいんだけど、目的論が無意識を否定していないところは興味深い。

1つここに現代風の解釈を加えるのであれば目的論とは過去の否定であると捉えることができるだろう。

過去の究極的な肯定とはすなわち機械学習型の人工知能であると言える。
Deepラーニングに代表される機械学習型の人工知能は過去の実績の結果を正しく反映する予測装置として機能する。現在の人工知能においては過去に見られなかった傾向というのが選択される事は無い。すなわちすなわち機械学習における人工知能が導き出す最も効率的な意思決定とは原因論に他ならない。

機械学習型人工知能の限界を、創造性の欠如であると結論づけた最近の風潮が、アドラーの原因論の否定と重なる点は実に興味深いと言える。

アドラー心理学は、決定論ではなく目的論を使って人々の心理、行動パターンを解説する。
喫茶店のアルバイトの子が誤ってコーヒーを自分の服にこぼした。思わず大声で怒鳴りつけてしまった。怒りの感情にさからうことができず怒鳴ってしまったというのが決定論。
これをアドラー心理学では、大声をだすという目的のために怒ったと解釈する。言葉で説明する手順を面倒に感じ、無抵抗な相手をより安直な手段で屈服させようとした。その道具として怒りの感情を使った。怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らないのです。

言い換えるならば原因論とは責任転換である。本当の目的を覆い隠すために過去の原因を引っ張り出しているに過ぎないとアドラーは言う。
すなわち、原因論は他責論であり目的論は自責論である。
この考え方は極めて厳しい。
これって、他人に言われたら説教だけど、自分で気が付けっていうところが難しい。大事なことは、自分の中から発生させた問題だから、自分の中で解決できる問題だよ、って図式の前提作り。

第2夜 すべての悩みは対人関係
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。これはアドラー心理学が発する大きなメッセージ。つきあう人間を主体的に選べるようになるとストレスは大きく減る。他人を変えようとしない。そうではなく、自分の解釈を変える。自分の及ぼせる影響の輪に集中する。

対人関係の軸に競争をおいてはいけない
対人関係の軸に競争があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができないと説く。他者と競争や勝ち負けを意識すると、必然的に生まれてくるのが劣等感。いつの間にか、他者全般のことを、ひいては世界のことを敵だとみなすようになる。競争の恐ろしさはここにある。たとえ敗者にならずとも、たとえ勝ち続けていようとも、競争のなかに身をおいている人は心の安まる暇がない。敗者になりたくない、敗者にならないためには勝ち続けなければならない。社会的成功をおさめながら幸せを実感できない人が多いのは、彼らが競争の世界に生きているからです。

他者がいる事を否定してるわけじゃない。そうじゃなければ、人目から逃げて山に篭れっていう話になりかねない。ジャッジをするのは他人じゃなくて自分、そう意識を変えていくのが大事っていうメッセージにつながっていくんだね。
後半では、具体的な他者との関係の中における自分、というものについてのスタンスが展開されます。

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