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『人間の証明』[各話解説]最終回

陽子のモノローグ。
「これは、私の家族です。ついこの間までは、誰もが羨む私の家族でした。立派なパパ。美しいママ。優しい兄ちゃん。12月18日、私の家族は、ちりじりに、ガラス玉が割れるように飛び散ります。あっという間に」

第一回、郡・八杉一家が最初に登場した場面で、雑誌取材で撮られた家族写真が、最終回のメインタイトルである。

12回にわたって濃密に展開して来た本作も、いよいよ大団円を迎える。
これまで描かれてきたさまざまな場面、人間模様が、最後の消失点に向かって一直線に進んでいく。

富山での捜査結果を得て、那須警部は八杉恭子の逮捕に踏み切る。

那須警部「よし、八杉恭子を逮捕しよう」
「遅くとも明日には自供に持っていってくれ」

那須警部は、八杉恭子の逮捕状請求は、10分も経たないうちに郡陽平の耳に届くと予測。陽平からの圧力は自分が跳ね返すが、せいぜい翌日までが限度だろう、という見立てだ。

那須警部の見立て通り、すぐに永田町の陽平のもとに、恭子の逮捕状請求の連絡が届く。

ニューヨークに着いた頃は、路子に「ママの話はするな!!」と息巻いていたが、早くもママが恋しくなって国際電話を掛ける恭平。

恭平「ママ、早く来てくれよ。・・・路子?ダメなんだよあいつ、ろくに英語も喋れないしさ」
後方から絶妙なコントロールで雑誌を投げつける路子。
こんな掛け合いを楽しめるのも、この場面が最後となった。
恭平たちの部屋に届けられた謎の紙袋が、ふたりを追い込んでいく。

中身は熊のぬいぐるみだった。
新見が近くまで来ている。

永田町から自宅に飛んで帰った陽平は、逮捕状とは何事か、恭子を問いただす。

陽平「いったい何をしたんだ」
恭子「何もしていません」
陽平「何もしてなくて逮捕状が出るのか!しかも殺人容疑だぞ。正直に言ってくれないと、手の打ちようがないんだよ」

恭子「私は、人など殺しておりません」
殺人容疑をあくまで否定する恭子。
今日のデモンストレーションが終わったら、なる早でアメリカに発ちたいという。それまでの間、邪魔が入らないようにして欲しい、と。
陽平「分かった。それなら出来る」

那須警部の決断が下り、八杉恭子逮捕に向かう棟居の前に、典子が現われる。

典子「お母さんの具合いが悪いんです。
すぐ行ってあげてください」

しかし棟居は、「あの人は俺を捨てたんだ」と振り切って、デモンストレーション会場へ向かう。

雨模様のニューヨーク。ビルの屋上。
路子「何処行こう・・・」
恭平「ここ、寒いな・・・」

楽しそうに過ごしたニューヨークの逃亡生活も、終わりが近づいていた。間もなく、新見の王手が掛かる。

「懐かしかったでしょ、あの熊」

恭平はシラを切るが、新見の手にはカセットテープが。ホテルの従業員にチップを渡して、恭平たちの会話を録音していたのだ。
追い込む新見を張り切って逃げようとする恭平を、路子が抱えてつぶやく。

路子「帰ろう・・・」

デモンストレーション会場では、多くの外国人客の前で、恭子が生花を披露しながら、英語でスピーチを行っていた。

逮捕のために来ていた棟居が、すかさず突っ込む。

「ジョニーは切り落とされた花か」

デモンストレーションを終えた恭子は、控え室で待ち受けていた棟居に逮捕され、連行される。

棟居の恭子への取り調べが始まった。

のっけから不快感を示す恭子。
恭子「弁護士さんに連絡してください」
棟居「名前を言ってください」
このあと、ちょっと面白いセリフの言い回しがある。
恭子「丸ビルの渡辺弁護士です。渡辺、みのる、弁護士です」
何故か弁護士の名前を繰り返し、二度目に「渡辺、みのる、弁護士」と「みのる」を強く言うところだ。これが妙に気になるのだ。
脚本がそうなっているのか。それとも演出か。あるいは高峰のアドリブか。
実は、この取り調べの場面には、高峰がセリフの「てにをは」を言い間違えたと思われる部分が他にもある。
「あなたは私に・・・私の質問に答えてくださらないんですね」などである。これは想像だが、この取調室の撮影は、緊迫感を出すための一発撮りなのではないだろうか。実際、やけに張り詰めた雰囲気がある。これまでドキュメンタリー手法を交えてきた恩地演出なら、十分あり得る話だ。

棟居は、恭子を追い詰めるべく、捜査結果を並べ立てていく。
恭子の本名が杉崎千榮子であること。
中山種と同じ富山県北船の出身であること。
ジョニーが羽田から恭子に電話をしたこと。
ニューワシントンホテルに予約電話を入れてること。
その声の確認のため、ホテルの従業員を電話口に待機させていること。

そして「ヘイワードという黒人GIと夫婦関係になかったか?」と、ダイレクトな質問をぶつける。
もちろん恭子は否定する。
すかさず猿渡が、昭和24年霧積温泉の宿帳を出す。
恭子「チエコという名前は何万といます」
棟居「あなたは霧積温泉で同郷の中山種と会っている」
恭子「私と会ったと言うなら、ここに連れて来てください」
棟居「そうしたいが無理だ。お種さんは死んだ。正確に言えば殺されたんだ」
恭子「誰にですか?」
棟居「それを私に聞きますかね?」
恭子「あなたが仰るから、あなたに聞くよりほかないじゃありませんか」
(※この辺のやり取り最高です)

さらに、中山種が牧よし子婆さんに宛てた手紙を見せる。そこに書いてある混血児がジョニー・ヘイワードであり、恭子の子どもである、と。

恭子「あなた方は、私の過去を暴いて、それを一体どうしようというのですか。誰にでも隠していたい過去はあるはずです。まして、戦後のあの焼け野原の中で生きて来た日本人には、誰でも触れてもらいたくない過去を持っているはずです。それをあなた方が暴く権利はありません!」
※「日本人には」も「日本人なら」の言い間違えと思われる。

そして恭子は、黙秘権の行使を主張する。

一旦取り調べを終えた棟居は、母みつこの病院へ駆けつける。
塩川「声を掛けてやれよ。もう死ぬんだよ、この人は」
棟居「・・・母さん」

みつこが差し出した手を、棟居が両手で握る。
みつこ「ああ・・・弘ちゃん・・・ごめんね。あんたを捨てたりして。ごめんね。捨てたつもりはなかったんだけどね。ごめんなさい」
棟居「いいんだよ、もう。いいんだよ、もう。本当に、もういいんだよ」

20数年間、母親を憎しみ続けて来た棟居が、最後にたどり着いた気持ち、それは「赦(ゆる)す」ことだった。
棟居は、みつこの素顔を見たことで、憎悪の気持ちが揺らいでいた。棟居が知り得ない、母みつこが抱えてきた何かが、皺となって刻まれていた。「憎悪することは重かった」という棟居は、みつこにとっても、20数年が重い年月であったことを想像したのだろう。
母子の劇的な和解は、典子の懸命の努力によって、ギリギリ間に合うことが出来た。

翌朝、棟居が出勤すると、捜査本部には沈鬱な雰囲気が漂っていた。

郡陽平が手を回し、八杉恭子はすでに釈放されていた。
那須「2日間を約束したが、1日しか持たなかった。すまん・・・」
しかし、自宅での取り調べの約束は取り付けてあるという。
棟居は、郡邸に向かう。

多摩の山中では、警察によって文枝の死体が掘り出されていた。全てをかなぐり捨て、全力で文枝(ナオミ)を探して来た小山田と新見だったが、最悪の結果となってしまった。

文枝を埋めた場所は、路子が自供していた。

恭平「なんで喋ったんだよ・・・」
路子「だって、お腹の中の赤ちゃん、嘘ついてると、変な子が生まれるような気がしたの・・・」


・・・そして、棟居弘一良と八杉恭子、
最後の対決のときが来た。

棟居の最初のジャブは、ジョニーが持っていた古い麦わら帽子だ。さらに、それが母親の思い出の品であることが分かった西条八十詩集を畳み掛ける。
恭子は「作り話はもう結構です」と拒否するが、そこに横渡が現われる。

横渡「息子さんが、事故で轢き殺した女性の死体が、
多摩ニュータウンの山沿いで掘り出されています」

泣き崩れる恭子に隙を見た棟居は、尋問の方向を変え、自分の身の上話を語り始める。
自分を捨てた母親のこと。最近、その母親と再会したこと。そして、そこで感じた感情を赤裸々に語る。

棟居「もう、それは怖いもんだ。どんなんなってるかな。どんな人と一緒に暮らしてんのかな。いや、ひょっとしたら、俺と同じような子どもがいるんじゃないか。酷い迷惑をかけるんじゃないかな。もう、怖くて怖くてたまらないんだ。それでも、それでもやっぱり、会いたいんだ。昔の、若くて優しい母親に巡り会いたいんだ。・・・会った。酷い化粧した母親だった。アメリカ兵とふざけてた。俺は来たことを後悔した。でも、俺の母親は、水で顔を洗って、皺だらけの素顔を俺に見せてくれたよ。酷い皺だったな・・・。そのお袋が、ゆうべ死んだ」

ジョニーの場合は、棟居とは少し違う。ジョニーは捨てられたのではない。母親は、アメリカに付いて行きたくても、規則上出来なかった。その母親に、ジョニーはずっと会いたかったはずだ。それは、古い麦わら帽子を見れば分かる。
棟居は、西条八十の麦わら帽子の詩をそらんじる。

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
・・・母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

恭子「やめてください!・・・もう、本当にやめてください!・・・私、あの子のこと、ジョニーのことは片時も忘れませんでした」
棟居「あなたが殺しましたね?」
恭子「・・・はい」

続いて中山種殺しも認める。

その頃、郡陽平に対する国際的汚職事件の取り調べが始まっていた。

恭子「ジョニーは、アメリカに帰りたくないって言いました。私には迷惑を掛けないから、私のそばに居たいって言うんです。私は、追い詰められ、追い詰められて、とうとう決心しました。2人の子どもと家庭を守るために、一人の子どもを犠牲にしよう、そう思ったんです」
恭子は人通りの少ない公園にジョニーを呼び出して、ナイフを突き刺した。
恭子「でも・・・我が子を刺すんです・・・刺せませんでした」
棟居「刺せなかった・・・」
恭子「刺したんですけど、ほんの少しだけ・・・ダメだったんです」
棟居「じゃあ、誰があんなに深く刺したんだ」
恭子「・・・あの子です」

「ママは、ジョニー、邪魔ですね・・・OK、ママ」
「ママ、早く逃げなさい。
ママが逃げるまで、ジョニー、死なない。
早く、早く逃げて・・・」

恭子「私は、何を守るために、ジョニーを刺したんでしょうか」
棟居「でも、あなたは、最後に人間であることだけは守ってくれました。ありがとう」

高峰三枝子・林隆三渾身の競演は、息をするのも忘れそうな緊迫感である。
恭子を落とす場面は、原作での当該場面は数ページにわたる長さであるが、脚本ではかなり整理・改変されている。そのドラマ向けダイアログへの変換はの巧さは、さすが早坂暁と唸るしかない。

原作では、棟居が「人間の心に賭けてみる」と言って、最後の対決に挑む。「母親の心があるなら必ず自供すはずだ」と。それがすなわち〈人間の証明〉である。
しかし、本作を観ていると、さらに気づくことがある。

ひとつは、「ジョニーを刺せなかった」という部分だ。それは原作にもあり、恭子の長い自供の中に出て来るのだが、ドラマでは、回想シーンとして具体的に映像化され、臨場感を持って描かれる。ジョニーを刺せなかった恭子の心理も、よりリアルに伝わってくる。それが八杉恭子が人間として守った最後の良心(人間の証明)である、と。

そしてもうひとつ気づくのは、みつこに対して最後に行き着いた「赦す」ということである。棟居は、恭子に対しても、最後は赦した。
原作では、恭子が全てを自供したあと、以下のように章を終えている。

「八杉恭子は、自分の中に人間の心が残っていることを証明するために、すべてを喪ったのである。棟居は恭子が自供した後、棟居自身の心の矛先を知って、愕然となった。彼は人間を信じていなかった。そのようにおもいこんでいた。だが決め手をつかめないまま恭子に対決したとき、彼は彼女の人間の心に賭けたのである。心の片隅で、やはり人間を信じていたのだ。
捜査本部に悪人を捕らえた勝利感はなかった。
年の瀬が迫っていた。」

本作を観た人なら、この部分が脚本全体に色濃く反映されていると感じるだろう。いや、色濃くなんてものではない。棟居や恭子が心の闇を刻んだ時代を、各回のオープニング戦後描写を中心に、これでもかというくらい描いてきた。
恭子も繰り返し言う。「戦後のあの時代は」と。
つまり早坂脚本は、「人間の心」という抽象的な概念に留まらず、「人間の心の闇の背景」にまで踏み込んでいるということだ。それがこの物語の場合、敗戦直後の、米軍占領下であり、食料物資の乏しかった「あの時代」だった、と。時代が違えば、棟居母子や杉崎千榮子の人生は、全く違ったものになったに違いない。陽子にそっくりな千榮子の少女時代の写真は、そんなことも暗示しているのではないだろうか。
棟居自身もまた、敗戦後という時代によって傷ついた人間であるから、恭子の動機の深層に共感する部分があったかもしれない。犯行は許されるものではないが、恭子の過去を知るにつれて、同じくあの時代の流れに巻き込まれた人間として、「赦す」気持ちが生じてきたのではないか。
ただし、そう解釈するためには、ひとつだけ条件が要る。棟居の父が命を賭して救った少女が八杉恭子であったという設定を外すことである。
前回の富山の海岸の場面で、少女がGIに襲われる場面がインサートされたが、あれが棟居父が救った少女であるかは、最後まで言及されない。現に、あそこにインサートされたのは「第一回のオープニング」であり、「第九回のオープニング」ではないのだ。
どういうことか?
以前にも書いたが、もう一度おさらいしよう。
第一回と第九回では、ほとんど同じシチュエーションでありながら、役者もカメラワークも異なる、完全な「別場面」なのである。
第九回は、紛れもなく、棟居父が死亡に至る〈事実〉の回想である。第一回のオープニングについては、各話解説の初回で、次のように書いた。

「登場人物に起きた出来事の写実ではなく、これから展開する物語が、敗戦直後という時代を源流としていること、その時代を生きた人々の《深い傷心の物語》であることを暗示するための、本編から独立したイメージ・シーンなのである。」

つまり、棟居が言う「若い娘の人生を変える何か」は、あくまで棟居の想像であり、例えば第一回のオープニングのようなことかもしれない・・・という描写に留められているのだ。
ほとんど同じ場面なのに、何故ふたつのバージョンがあるのか不思議だったが、よくよく見ると、上記のような使い分けがされているのだ。
それにしても、どちらもモノクロ映像だし、録画視聴でもなければ、2バージョンあることに気づく人はほとんどいないだろう。むしろ同じ場面と思うのが普通だ。でも、それだと、棟居の「ありがとう」には繋がらないのだ。

多摩川でオカリナを吹く陽子。
そこに棟居が現われ、「八杉恭子の墓がある富山に一緒に行かないか」と誘う。
陽子はどちらの返事もしないが、棟居と並んで河川敷を去っていく。
そこに、陽子の最後のモノローグ。

「ママは死んでしまった。パパも居なくなった。誰もいなくなったその向こうに、別の人が立っている。一人でない旅なら、もう悪い夢を見なくてすむような気がします」

さて、これをどう捉えるか、である。
棟居と陽子が出来ちゃったような解釈も可能な、ちょっと思わせぶりなモノローグだ。
しかし、物語の流れや棟居の性格からすると、それは無いだろう。母親との和解を実現した典子を、そう簡単に裏切れるとも思えない。だが、もう一言欲しい気はする。
最終回、いろんな要素を盛り込みすぎて、ラストの時間が足りなくなったのか?とも思ってしまうが、でも、あえて余韻を残し、視聴者の想像に委ねるラストなのかもしれない。
ここはひとつ、どういう解釈が可能か、突き詰めてみよう。

家族全員が犯罪者となり、しかも恭子は自ら命を絶ったらしく、これから陽子は、深い闇を抱えていくことになるだろう。しかし陽子の前には、棟居という、遥か昔に心の闇を刻み、つい最近、それを解放した先輩がいる。棟居にとって「良心」の象徴である父親から譲り受けたオカリナを、今度は棟居が陽子に伝えていく。そのふたりなら、きっと新たな道を拓いていくだろう。
絶えずして もとの水にあらず。多摩川の流れに沿って歩く棟居と陽子の後ろ姿に、不穏な予感はしない。

全ての虚像が崩れ去った郡陽平・八杉恭子の大邸宅は、時間が止まったかのように、門が閉まったままである。

◾️第十二回まとめ

最後の回にいろいろなことを詰め込みすぎたのか、もう少し描いて欲しかったと思う要素があった。
例えば、小山田と新見。原作では、ふたりの別れまでが描かれている。
典子も、セリフの無いみつこの病室が最後の場面で、もう少し見たかった。
とは言え、交差ラッシュで網の目のように展開した物語を、最後の2話にわたって収束した構成は見事だった。
そして、最終局面に入ってからの高峰三枝子、林隆三、岸本加世子、山村聰、北公次らの演技が、本当に素晴らしかった。

・・・さて。
全13話を1話ずつ解説するという試みも、これで終わりだ。最後に、全体を振り返ったエピローグ的な文章をまとめようと思う。もし宜しければ、そちらもお付き合いいただければ幸いだ。

(「ドラマ『人間の証明』論〜各話解説を終えて」に続く)

◆YouTube『人間の証明』エンディング「さわがしい楽園」

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