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『人間の証明』[各話解説]第二回

■ドキュメンタリータッチのオープニング

前回に続き、今回も意表を突く冒頭から始まる。
終戦直後の有楽町ガード下。
古く荒らしたモノクロ映像にテロップが入る。
「闇の女〝ラクチョウのおトキ〟に かくしマイクで取材に成功した」
娼婦おトキを演じているのは奈美悦子。
昭和22年の流行歌「星の流れに」を歌いながら登場。
記者からインタビューを受け、摘発を受けた夜の女たちの実態が、当時の記録写真とともに語られるが、手入れの警察が来て、おトキは仲間たちとともに慌てて逃げ去る。
そこにメインタイトル。

映像の当時感が凄いオープニング挿話

3分にも満たないエピソードだが、ドキュメンタリータッチの映像から、終戦直後の世相の一断面が生々しく伝わって来る。
こうしたオープニングは、以後、ほとんどの回で挿入される。
そして多くの回で、戦後エピソードのモノクロ映像にメインタイトルが表示されるのだ。こうした制作者の戦後世相描写への強いこだわりが、原作に込められた敗戦の痛みを鮮烈に映像化し、本作に比類なき印象を与えている。

■本格始動する捜査一課

麹町署で初めての捜査会議が開かれ、被害者の歩行可能距離や「ストウハ」の意味などが議論される。
その中で、「アメリカ屋」と呼ばれるアメリカ帰りの草場刑事(北村総一郎)と棟居の激しい対立が描かれる。
対立と言っても、ほぼ棟居による突っかかりなのだが。
何故、棟居はアメリカが嫌いなのか?
例の戦後モノクロ映像が挿入され、その断片が提示される。
棟居の父がアメリカ兵の集団に殺された記憶。
この時点では、どうして暴行を受けることになったかまでは語られない。
そしてその回想シーンでは、オカリナが父親から譲り受けた物であることも描写される。
オカリナは、棟居が人間として唯一信じられる父親のメタファーだったのだ。
つまり本作は、人間への信頼を棟居がオカリナに託して陽子に継承していくドラマ、と解釈することも出来るだろう。

ところで、会議中に草場刑事がアメリカ出張を申し出るのだが、那須警部から即ダメ出しを食らう、という場面がある。
「そんな予算はないね」
その台詞がプロデューサーの声に聞こえるのは気のせいだろうか?(笑)

中央が那須警部(佐藤慶)

その那須警部を演じるのは佐藤慶。
実にピッタリのキャスティングだと思ったら、その後、土曜ワイド劇場『超高層ホテル殺人事件 空白のアリバイ』で、ふたたび那須警部に抜擢されている。ナレーターとしても活躍したキレのある発声で物事をテキパキ判断していく感じは、確かに那須警部のイメージだ。黒い背広がキマってる。

キャストの話をもう一つ。
ジョニーらしき黒人を乗せたタクシー運転手を、左とん平が演じている。
久世光彦ドラマでのコメディリリーフの印象が強い人だが、ここでは事件に関する証言を懸命に語る役どころだ。
犯行現場の特定に繋がる超有力情報であり、後にこの付近で古い麦わら帽子が発見されるわけだから、この証言でどれだけ捜査が進展したかを考えると、この運転手の存在は極めて大きい。とん平ほどのベテランの存在感があってこそ、証言の重要性が伝わって来る。
このように本作は、要所要所に熟練のバイプレーヤーが証言者、関係者などで登場し、捜査場面に奥行きを与えてくれる。

目撃証言をする運転手(左とん平)

■八杉恭子の急で不自然な渡米
恭子は、ジョニー刺殺の新聞記事を読みあさった結果、動揺する気持ちをコントロール出来なくなり、突然ニューヨーク行きを決める。草場刑事は行かせて貰えなかったのに、恭子はすぐにでも飛べるのだ。(笑)

「すぐに行きたいの。明日にでも」「明日?」
突然の渡米に秘書もビックリ

恭子がヘイワード親子が住んでいたニューヨークを訪れる展開は、原作にも映画にも無い。(映画版では棟居=松田優作が渡米する)
この一連の動揺と行動によって、事実上、恭子がジョニー刺殺の犯人であることを視聴者に匂わせている。形式的には「倒叙ミステリー」と言っていいだろうが、その点が原作とはかなり異なる。
そもそも原作では、ジョニーが宿泊を予約したビジネスホテルを捜査中、棟居と恭子が一瞬すれ違う場面があるものの、会話を伴った本格登場は全ページの半分を過ぎてからなのだ。
これは、推理小説の基本指針として有名なノックスの「探偵小説十戒」の最初の項目に示されている「犯人は物語の当初に登場していなければならない」や、ヴァン・ダイン「探偵小説作法二十則」の「犯人は物語の中で重要な役割を演じる人物でなければならない」という項目に明らかに違反する。
しかし森村誠一は、むしろそれを意図的に破ることで、推理小説に新境地を拓こうとしたのだろう。
もっと言えば『人間の証明』は、犯人を心理的に追い込み、自白によって解決に至るという点において、やはりヴァン・ダインが唱える「論理的な推理によって犯人を決定しなければならない」にも反している。そうした試みの是非ついては推理小説界隈で議論があるところだろうが、ここで検討したいのは映像化に際しての問題である。

「探偵は主役ではなく、物語の狂言回し」という横溝正史の説に則るなら、主人公は概ね犯人ということになる。映画やドラマであれば尚更だ。連続ドラマで高峰三枝子が第七回辺りまで登場しないというのは、さすがに出来ないだろう。
ちなみに映画版では、岡田茉莉子演じる恭子をファッション・デザイナーと設定し、事件の同時刻に開催されたホテルでの煌びやかなショーや、ワイドショーへのゲスト出演、〈恭平ライン〉への関与などの工夫で登場場面を増やしている。
一方、本作では、全13話という長尺を得ることで、八杉恭子を初期段階からクローズアップし、そこに“ほぼ犯人”であることを匂わせる倒叙ミステリー的手法を加えることで、恭子の心理的推移を描いていく方法を選択した。
そうした構成が、棟居との最終対決をより感動的なものにするわけだが、それについては最終回の項であらためて論じたい。
加えて、〈八杉恭子ライン〉の拡大が本作の際立った特徴になったのは、巧妙な脚本のみならず、恭子の追い詰めらる心理を見事に演じきった高峰三枝子の名演技があってこそという点を、あらためて強調しておきたい。

◾️映画版と同じキャスト=当たり役の高沢順子

この回から恭平の恋人・朝枝路子が本格的に登場する。
配役は映画版と同じ高沢順子。映画とドラマで同じ役を演じた例は、『日本沈没』の小林桂樹、『事件』の大竹しのぶなどがあるが、この高沢順子もかなりなハマり役だ。原作を読み返す際も、路子は高沢順子しかイメージ出来ないくらいだ。

ジャズアレンジのテーマ曲とともに現れる朝枝路子は、乾いた明るさを漂わせたキャラクターで、闇を抱えた人物ばかりが登場する濃厚な物語世界に、緊張を緩和する風を送り込んでいる。
恭平も、路子と居るときは「良家の子息という偽装」から解放されたように屈託なく笑う。
そんなふたりの掛け合いが、常にユーモラスで楽しい。
その楽しさの秘密は「ボケとツッコミの随時反転」にあるように思う。
わがままな恭平は、何かと粗暴な言葉や態度を路子に投げかけるが、逆に路子に押さえ込まれる場面もある。互いに家族の問題を抱えた人物であるが、何をやっても思案足らずで危なっかしいという点でも共通していて、どちらかが一方的に支配するバランスで固定しない。そこに凸凹コンビ的な可笑しみが生まれている。

やや細かい指摘になるが、ふたりが初めて名前を名乗り合う会話のやり取りに、ちょっとした小技が施されている。原作では「ぼくは郡恭平」と恭平から名乗るのだが、本作では路子が言い当てる形に変えられている。
「何で知ってるの?」
「表札に出てたもん」

何気ない台詞ではあるが、人物の優位性を示す、脚本の基本的な作法である。そうした優位性が、ふたりの間で行ったり来たりする。
また、路子の優位性には母性も仕込まれていて、マザコン恭平が母親から離れていくプロセスとシンクロしていく。
北公次と高沢順子の息の合った好演によって脚本の意図は十二分に表現され、犯行後の逃避行も、どこか珍道中のような滑稽さが漂う。深い罪を犯してしまうふたりではあるが、どこか憎めないカップルではある。

朝枝路子(高沢順子)
この役のために2度もアメリカロケに
この赤いポンティアック ファイヤーバード トランザムが
〈小山田・新見ライン〉を発生させる

■古い麦わら帽子発見

ジョニーが目撃された付近の公園で、古い麦わら帽子が発見される。

ジョニーの遺品から発見された西條八十詩集と同程度の年代物だ。
そのふたつの年代を結び付ける小道具として、詩集に挟まっていた押し花・ヒダカイワザクラが使われている。本作のオリジナル設定だ。
詩集が所有されていた年代の特定をより具体化するために、この押し花を鑑定する小ネタをプラスしたのだろうが、少し疑問が残る。
調べてみると、ヒダカイワザクラという名の通り、北海道日高山脈付近のみに分布する固有種らしい。
何故、長野県と結びつく詩集にその花を選んだのか・・・?
大胆な改変が施されている脚本ではあるが、さすがに北海道の話は一度も出て来ない・・・謎だ。

■郡邸に小山田文枝が出現!

ここで唐突に、大胆なオリジナル〈交差〉が登場する。
後に発生する〈小山田・新見ライン〉の登場人物である小山田文枝が、この段階でいきなり郡邸に現われるのだ。
「前日に陽子がタクシーで落としたオカリナを拾い、届けに来た」
という設定だ。赤坂ロイヤルホテルから帰るタクシーの描写がやけに念入りだと思ったら、ここに繋げる伏線だったわけだ。

小山田文枝(篠ひろ子)

生前の描写がほとんど無い小山田文枝がニコニコしながら郡邸に現れるのだから、原作の読者はさぞ度肝を抜かれたことだろう。私などは、後年に再見するまで完全に忘れていた。絶対に起こるはずの無いことだから忘却するのも無理はない・・・と思うほどの破格な大胆アレンジである。
陽子は、文枝のためにオカリナを作って貰うよう棟居に頼んでみる、と約束する。そのために文枝の名前と住所を聞く。そんな聞き逃しそうなやり取りが、さらに意外な人物を郡邸に引き寄せることになる。

■冷めた家族の、温かい食卓

たびたび登場する郡家の食卓の場面では、料理にきちんと湯気が立っている。家庭が冷め切っているからと言って、上流階級の豪華な食事が、いかもにドラマの小道具のように冷めていては興ざめだ。
いや、それ以上に、この家族が装っている虚構の幸福感を表わすエフェクトなのかもしれない。そこに陽子の「本当に兄ちゃんは弁解の天才」などの暴き系モノローグが被さることで、郡家の虚飾性が対位法的に強調される。

スープからコーヒーまで隈なく湯気が立つ

・・・そしてラストは、恭子の渡米を見送る恭平と陽子。

陽子は、恭子の渡米の説明に嘘があることを、立ち聞きで知っている。いや、そもそも陽子は、ジョニー刺殺事件以降、恭子が別人になってしまったと感じている。母親に不信を抱く陽子のモノローグもまた、恭子がジョニー殺しの犯人であることを暗示している。
そして今回のラストも、そんな陽子の日記風モノローグで締めくくられる。
「火曜日、晴れ。晴れているのに、とても風が冷たい」
恭子を乗せた国際便が、アメリカへ飛び立っていく。(つづく)

■第二回まとめ
今回のトピックとしては、まず、『人間の証明』のトレードマークである麦わら帽子が発見されたことだろう。原作ではさらに、発見現場から見えるロイヤルホテルのスカイレストランの形状が麦わら帽子に似ており、ジョニーがホテルを目指した理由と推理される。映画版はそのまま再現しているが、本作では触れられていない。
第二に、恭子をほぼ犯人として描き込む倒叙ミステリーとしての〈八杉恭子ライン〉の確立。
そしてやはり、朝枝路子の登場によって〈恭平ライン〉・・・後の〈小山田・新見ライン〉が始動したことだろう。
しかし、複数ラインが並走・交差する物語を構成するキャラクターは、まだまだ出揃ってはいない。次回、いよいよダン安川と並ぶ本作最大のオリジナル・キャラが初登場する。
(第三回につづく)

【コラム】
高沢は、山田太一脚本のドラマ『それぞれの秋』(1973年)で、親に反抗的な娘という、路子に近いイメージのキャラクターを演じている。70年代における現代っ子、いわゆる〈しらけ世代〉を体現する役者だったのかもしれない。ちなみにそのドラマには、兄役として林隆三も出演している(突然怒り出す感じが棟居に似てる)。
また、高沢順子の当たり役と言えば、横溝正史原作・高林陽一監督の『本陣殺人事件』の鈴子がある。因襲を抱えた旧家が滅ぶとともに儚い命を落とす霊的な少女像は、あまりにも鮮烈だ。


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