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苦手な人と付き合う方法後編 ブログ村注目記事1位になりました
右脳主導
川を下っていくと大海が広がっております。
大海は、地球全体に広がっております。
心とは、そんな感じかもしれません。
心を掘り起こしていくと、人類全体、いえ生命全体、いえ地球全体、いえいえ宇宙全体に、広がっているような気がします。
宇宙のリズムは正確です。
鼓動、呼吸、雨、風、音・・・。
茶碗、コップ、車、自転車、エアコン・・・。
自然、天然なものだけではなく、人工的なものでさえ、生命に使われるものは、宇宙のリズムと調和しております。
アリを見てください。
ハチを見てください。
人間ほどの知性が無いはずなのに、役割分担がキチッとできていて、正確な動きです。
魚や鳥は、集団で見事に整った動きを魅せてくれます。
皆で練習したわけではありません。
この動きは、宇宙全体が意志であることの、証明になりそうです。
我々が苦しくなるのは、このリズムから逸脱している時のようです。
呼吸にしても、歩くことにしても、仕事でも、人間関係でも、宇宙の意志を感じ取り、あるがままになれれば、「今ここ」に滞在できれば楽なのです。
このリズムを理解するセンサーが、「感じる」という行為で、このセンサーを養うのがヴィパッサナーです。
動画リンク ↓ ↓ ↓
歩くヴィパッサナー
「抜き足、抜き足、差し足、差し足、忍び足、忍び足」と心の中で実況しながら、足裏の重心移動、背中の伸縮、呼吸等々を感じながら、ゆっくり歩くのです。
「感じるセンサー」を養うのに、難しく考える必要はありません。
右脳は思考ではなく、リラックスが大切です。
私のお手伝いする石山整体院(仮名)の石山院長は、施療に行き詰ると、外にタバコ(注1)を吸いにいきます。
気分転換することで右脳主導となり、直感が働くのです。
(注1)タバコが健康に悪影響を及ぼすのはデータ上明らかです
枠を外す
本当の自分が心で、その心が大海のように、生命全体と繋がっていたら、昆虫や動物の理にかなった行動も腑に落ちます。
個々生命の集合体が、ひとつの生命のようであれば、命令しなくても、生物の消化や修復が規則正しく行われるのと同様に、宇宙の個々生命体や物質の活動は、全体で調和しております。
呼吸や消化、運動において個々臓器は、規則正しく役割を全うします。
すべてはあるがままで、なるようになっているのです。
腕や足、背中の随意筋(注2)も、あるがままで直感を大切にすれば、とるべき行動というものが見えてくるのです。
ここから逸脱するのが思考感情で、調和に回帰するための方法が武道であったり、茶道であったり、華道であったり、ヴィパッサナーです。
「他人よりうまくやろう」とか、「時間や良い環境が欲しい」とか、比較や焦りが出てきたら直感は見えてきません。
正しい姿勢と冷静な心が、一意専心を体現し、直感を鋭敏にします。
「天国のスプーンと地獄のスプーン」というお話があります。
天国の人も地獄の人も、テーブルに料理が並び、人々の片手は椅子に縛られて、もう一方の手には長いスプーンが縛られているのは同じ条件です。
地獄の人々は思考感情が、長いスプーンを使って、まず自分の口に料理を運ぼうとするから、うまく食べることができません。
天国の人々は直感で、長いスプーンで向かいの人の口に料理を運んであげようと気付くので、皆が満たされております。
思考感情が、ある人に対して嫌悪感を抱いても、直感は思考が嫌うその人を、性格や長所短所をトータル的に分析して、拒否することをしません。
常に枠を作らず、正しい心持ちと姿勢を身に付ける方法がヴィパッサナーです。
(注2)随意筋と不随意筋
随意筋は自分の意志で動かせる筋肉、不随意筋は自分の意志で動かせない筋肉。
慈悲の瞑想
「苦手な人」あるいは「嫌いな人」っていますか?
このシリーズの冒頭で質問しました。
で答えは、「慈悲の瞑想」で毎日その方の幸福を祈ることによって、嫌いな人は己の心を育てる、「最高の友人」になりうるということ。
また、ヴィパッサナーを継続して実践することで、思考を減らし、感じるセンサーを活性化させ、右脳を活用できるようにすることが大切です。
脳回路が変換すると思考感情主導回路が、冷静で正しいものの見方ができる回路になり、楽に生きられるようになります。
今まで「苦手な人と付き合う方法」シリーズ3回に渡って、そんなことを説明してきました。
心のポジションを、今ここに置くのです。
感情が抱く、「貪瞋痴」の執着を手放し、ニュートラルな視点で全ての物事を観ること。
たとえば、ある方言に対して嫌悪感があるとか、顔が好みではないとか、その偏った見方はフェアではありません。
生まれて初めて出会った事象のように、すべての物事を冷静な観点で接する必要があります。
方言はその土地の独自の言葉であって、その方言を使う人が善悪の感情を抱いて使っているわけではありません。
容姿は、その方の遺伝子が大半で、そこに、その方の人生の経験がミックスされて、表現されたものです。
世の中には様々な人間がいて、事象があって、多くの人と付き合ったり、多くの経験を経て、それが、良いことも悪いことも、心を育ててくれるのです。
執着せずに受け入れる器を広げて、感情とリンクさせないトレーニングがヴィパッサナーです。
執着しないこと
私は毎朝、慈悲の瞑想で、私自身、両親、兄弟、親族、妻と子供、道場関係、友人、仕事関係、苦手な人、生きとし生けるものすべて、の順番で祈ります。
たとえば両親、兄弟、親族の場合、「親父、お袋、兄弟の名前、妻のお母さんと妻の兄弟が幸せになりますように、苦しみが消えますように、願いがかないますように、真理の光が表れますように」と言葉に出して宣言します。
そして、「親父、お袋、兄弟の名前、妻のお母さんと妻の兄弟が幸せになりますように、幸せになりますように、幸せになりますように」と続けます。
これを、上記の、「生きとし生けるもの」まで順番に祈るのです。
そして、大切なことは、私の心の信じるままに祈ります。
これは、方法は細かく執着する必要は無いと思います。
まず、この慈悲の瞑想の言葉、行為を受け容れる心が大切です。
ヴィパッサナーでニュートラルな心を身に付け、その執着しない心持ちで、私から生きとし生けるものまで祈ります。
そして、私も、苦手な人も、生きとし生けるものも、すべてフェアに祈ります。
とはいえ、ヴィパッサナーを始めたばかりのころは、どうしても偏った思考や感情が湧きあがってきます。
当然です。
エゴ(思考感情)は、そのような性質を持つからこそ、苦しむのですから(注3)。
ですから、受容できなければ、それはそれでOKです。
それは、エゴのやっていることで、思考感情から更に内に、素直な愛が根底にあるのですから。
思考感情が暴言をささやき続けても大丈夫です。
その内に、愛がありますから。
ありていにいえば、本当の心を、神様は、宇宙エネルギーは、大いなる存在は、わかっているのです。
ですから、大いなる存在を信じて、ヴィパッサナーや慈悲の瞑想を、真摯に継続することが大切です。
(注3)日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老は、慈悲の瞑想は祈りではなく、エゴを無くす人格向上のプログラムだと仰っております。
ラベルを外す
私が中学生の頃、塾の壁に、「継続は力なり」という貼り紙がありました。
長い年月を経て、その言葉の意味が浸透してきております。
中学生の頃は「ふーん」という感じでした。
しかし、私が長年取り組んできた武道にしても、ヴィパッサナーにしても、慈悲の瞑想にしても、継続することで、その本質が見えてくるのです。
ニュートラルな心持ちを体得できるようになると、善悪の波が収束していきます。
狂喜乱舞することはなくなりますが、耐えられないほど苦しいということもなくなります。
訳が分からないけど嫌いとか、恋は盲目ということも無くなります。
おそらく^^
心を知るようになり、無明に苦しむことが減るのです。
苦手な人というラベルやレッテルを、外すことができるようになると、楽に生きられるようになります。
大切なことは、「継続は力なり」です。
独裁者
私の経験をお話しします。
皆様のお役に立てたら幸いです。
独裁者のような方が、身近に現れたらどうでしょう?
「坐禅」の「坐」。
土の上の人と人は、宇宙全体の部分としての本当の自分と、自己優先のエゴです。
宇宙の中の部分であるなら、全体のために生きることが、すなわち自分のために生きることになります。
たとえば、重い荷物を持っている人がいたら手伝ってあげるとか、兄弟におやつを分けてあげるとか、捨てられている猫を拾って育てるとか、他者への愛のある行動が、回りまわって自分のためになっているのです。
天国で長いスプーンを持った人々が、向かいの人の口に、料理を運んであげる行為です。
地獄では長いスプーンで、自分の口に入れようと必死ですが、うまく口に入れることができません。
これは真理です。
自分を優先すると、得られるものは意外と少ないのです。
楽に生きるには、ここを知る必要があります。
暴君の怒りのはけ口
人によって、その度合いの差はありますが、エゴが非常に強く、バイタリティはあるけど、ケチで人情に欠けるという人が隣にいたら・・・
エゴの強い人物は、食欲、性欲、財欲、名誉欲、睡眠欲の五欲が強く、自分の欲を守り、疑り深く感情的です。
大きな目標をクリアできたときの達成感は、快の神経伝達物質が分泌され、何事にも変えがたい快感です。
達成感が大きい反面、目標達成に関係のない行動には、嫌悪感、怒り、焦りの感情が湧き立ち、不快の神経伝達物質が分泌されていて苦しいのです。
その苦しい感覚を何とかしようと、喜怒哀楽の波が無意識に、強くなってしまいます。
たとえば、怒りの感情を爆発させて、他人を罵倒して、不快感を霧散させようとします。
ターゲットになってしまった人は、たまったものではありません。
その感情的な暴君と、たまたま関わりを持ってしまったために、暴君の感情のはけ口となってしまったのです。
因果応報
以前ブログでヴィクトール・フランクルという、オーストリアの精神科医について書きました。
リンク ↓ ↓ ↓
ヴィクトールフランクル記事
「人生で起きる出来事には意味がある」と
フランクルは言っております。
ナチスのユダヤ人収容所にて、
自殺したいという2人の男性に、
待っている身内、残してきた仕事の存在を思い出させ、
生きる意味を説き、自殺を思いとどまらせました。
「生きる意味がある」という言葉を信じようと、信じまいと、人生というのは、心から信じたとおりのものになると思います。
言葉に出しても、心の中で思っていても、表面上の思考では、影響力は小さいのです。
本当の根底にある心、信念が、継続的に強く信じたとおりのものになると、そんな気がしております。
ですから、当人が因果応報を信じていれば、自らまいた種は刈り取らねばならず、信じていなければ、自分の行った行為と引き起こされた結果とに、因果応報の影響は小さくなるような気がしております。
私はというと、因果応報の影響は多分に受けてきた半生でした。
しかし現在では、「今ここ」がすべてだと信じております。
ヴィパッサナーで「今ここ」に、この心が認識できるものは、「今ここ」の瞬間の感覚以外、ありません。
「視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚」の5感です。
「今ここ」に、この感覚を感じ続けることができれば、
心が受ける暴君の影響は、解消できます。
ここが、ヴィパッサナーの素晴らしさです。
暴君との過去の不満や怒り、将来の不安も、「今ここ」に滞在する方法を身につければ、すべて解消です。
動画リンク ↓ ↓ ↓
歩くヴィパッサナー
「抜き足、抜き足、差し足、差し足、忍び足、忍び足」と、足裏の重心移動や背中の伸縮を、感じて実況します。
感じて、思考感情主導だった脳回路を、右脳の「感じる」という回路を活性化させるのです。
私が暴君に追い込まれた時に、暴君に気に入られるように取り繕うことも考えました。
しかし、思考が導いた答えは、根本的な解決にはなりません。
追い込まれると、ヴィパッサナーも真剣になりました。
状況が問題なのではなく、私の在り方が問題なのです。
この追い込まれた状況が、私の心を成長させてくれました。
暴君には感謝しております。
楽になる唯一の方法です。
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