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ダイエット サウナ
邪道なやり方は身を結ばず
坐禅とは、土の上に座り、思考感情主体のエゴと、その揺れ動く心を観察する客観的視点との主導権の奪い合いです。
冷静で客観的視点が、本当はいかに行動すべきかを知っているのですが、すぐに損得勘定をする思考感情に、主導権を奪われてしまいます。
客観視する視点を定着させることで、思考感情に乗っ取られている状態に気付き、無明の闇に引き込まれるのを防ぐのです。
欲に流され、恐怖におののき、不満不安にさいなまれ、心をコントロールすることが困難な状態を無明といいます。
私が過酷な減量に取り組み中のときは、まさに無明状態で、記事にするのもはばかるようなことをたくさん行ってきました。
今回は、私の若い頃の失敗談と、その経験から学んだことについて書いてみます。
武道家の私は、若い頃リングに立っておりました。
ジムワークで、心身の疲労がたまると、練習を軽めにして、気分転換にサウナで減量をしておりました。
高音のサウナ室の最上段で10分間我慢して、
サウナから出るや否や湯船に1分(我慢して)肩までつかり、そのあと足だけ湯につけて10分ほど汗をかきます。
それが終わると、しばらく休憩し、気力が回復したら、冷水シャワーを浴びて(これが、超気持ち良い)、またサウナ室へ・・・
こんなことを5、6回、時間をかけて行います。
サウナで汗をかくと、冷たい水分が無性に飲みたくなります。
1kg落としても、500ccくらい、水やジュースを飲んでしまいます。
でも、500グラム落ちればOKです。
そうでもしなければ、エゴの妄想で膨れ上がった欲求を、収束できなかったのです。
調整期間が短かったり、体重を落とす量が大きかったり、減量が過酷な時ほど、こんな気晴らしが必要でした。
本来は、日々の生活とジムワークを通して、ウエイトコントロールすべきなのですが。食欲を抑制できないときには、お菓子やジュースを食べるだけ食べて、全部吐き出しました。
下剤を飲んだり、浣腸したり、
こんな邪道な方法で、うまくいくはずがありません。
エゴというのは、雑で、貪欲で、喜怒哀楽が激しくて、地味な基礎を構築するのに欠けております。
そして、客観的視点が、正しい方向転換が必要と知っていながら、面倒なことを避けたいがために、「いつか、そのうち」と、先送りしてしまうのです。
意志の強い人間
23歳のときだったと思います。
当時私は、ボクシングジムのボクサーでした。
他の格闘競技でそれなりに闘い、自信をつけてボクサーとなった私は、変に擦れておりました。
真の実力以上に己を大きく見せようと、
エゴが腐心しておりました。
ある日ジムワークのあと、ジムではかなり年長のI先輩が焼肉に誘ってくださいました。
若手の注目株、Oさんも一緒です。
Oさんは高校生のときに全国大会で優勝して、鳴り物入りでプロデビューしました。
当時は日本ランカーでした。
確か2週間後に試合を控えていましたが、ウエイトコントロールも順調で、焼肉店でも、それなりに必要量だけ食べていたと思います。
高校生の時に、減量に失敗して、「プロになったらしっかりウエイトコントロールしようと決心した」と、仰っておりました。
私との違いは、ジムワークでは、トレーナーや周囲との軋轢を省みず、自分のボクサーとして必要なことを貫いておられました。
自分に必要なリズムの音楽、やるべきジムワーク、スパーリングの相手、たとえトレーナーとぶつかっても、信念を変えず貫いておられました。
私より3歳年下ですが、私は彼を尊敬しておりました。
私にはそれを実行するだけの、実力も実績も、度胸もありませんでした。
焼肉の後、私の乗る電車が先に来て、私を見送ってくれた直立不動のOさんの姿は今でも脳裏に焼きついております。
生きる基本の身についた人は、何気ないところで、心の清廉さがあらわれます。
Oさんは無敗のまま、後に世界チャンピオンになったのです。
動き続けることで直感が研ぎ澄まされるゴミが落ちていて、拾うのが善だと、誰でも知っております。
車の窓から、平気で空き缶を投げる輩もおります。
そのふてぶてしさが、キザでカッコいいと思っている人さえおります。
ゴミを拾う人、捨てる人、他人に施す人、奪う人、様々です。
私のように、試合に先立っての計量パスを目的に、道理から外れた減量をする選手がいれば、Oさんのように、普段からウエイトコントロールに配慮したプロもおります。
しかし、どちらが良いか、本当の自分は知っております。
その減量の時点では、私は道を誤ったのは、疑いの無い事実です。
私は、ボクサーとして挫折しましたが、その挫折が大いなる学びにもなりました。
そして、挫折の経験を、後輩や弟子に伝えることもできました。
もし、わたしがチャンピオンになっていたら、格闘技から、本当の武道を追求する道を、悟りを追求する道を、求めたかどうかわかりません。
今、決して生活に安住できているわけではありませんが、心は動き続け、身体も動かし続け、落ち着いて座ることのできぬ、この暮らしに、満足はしていないものの納得しております。
心も身体も、探し続ける対象があるからこそ、直感が研ぎ澄まされ、人生がとどまることなく、展開し続けるのに違いありません。
心身ともに無駄な肉が、削がれていくのでしょう。
川の水は流れることで清らかさを保ち、動かない池や沼の水は、すぐに淀むのです。
ですから、休みたいのは山々ですが、常に動き続けるべきなのです。
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