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苦手な人と付き合う方法 中篇     ブログ村注目記事1位になりました


苦手な人

感情あらわに、プレッシャーをかけてくる人がおります。

「どうして、ここまでやってくる?」と、怒りを抱き、思い通りにならない日常が、運良く好転することを願っており、しかし半ばあきらめもあります。

「あいつさえ、いなければ」と、願う日々です。

これからずっと、この人とともに、仕事をやっていかねばならないかもしれません。

もしくは、どちらかが何らかの事情で続けられなくなるかもしれません。

「運よく宝くじが当たって、アルバイト程度の収入があれば、生活していけるようになるかも」と、妄想します。

いずれにしても、現状の苦から解放されることが、思考感情の望むところです。

しかし、状況の変化があったとしても、心の耐性が変わらなければ、新たな問題が発生すると、同様に苦しくなるだけです。

根本的に楽になる方法は、自身の心を育てる以外、ありません。

ヴィパッサナーで「感じる脳」が主導するようになれば、ストーリーはおしまいです。
ヴィパッサナーリンク ↓ ↓ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=5yqEHdwFyaI

心の受容スペースは「今ここ」に、たったひとつの事象以外入ることができません。

そこに、思考が入れば、感情は入れません。

感情が入れば、感覚は入れません。

思考、感情、感覚は、それぞれ影響しあっていても、認識に時間差があります。

心の波を大きく揺らすのは、思考感情ですから、中道を実践するには、身体を感じるのが良いのです。

身体の感覚は、「今ここ」です。

基本姿勢を継続的に維持して、妄想する余裕を消せば、必然的に、「今ここ」に滞在できます。

「今ここ」に滞在できるようになれば、苦手な人とのストーリーはエンディングに近づきます。

その曲者(くせもの)とともに職場に長く勤めれば、心の耐性のトレーニングになり、その苦手な人が、感謝すべき人になります。

慈悲の瞑想

慈悲の瞑想という、上座部仏教の瞑想があります。

慈悲の心は、仏教の基本精神で、「生きとし生けるものが幸せでありますように」というのがベースとなっております。

我が子を大切に思う心と同様に、全ての生命に対しての慈しみを持つのが慈悲の心です。

「私は幸せでありますように」

「私の悩み苦しみがなくなりますように」

「私の願いが叶いますように」

「私に悟りの光が現れますように」

これを、私より始まって、親しい生命、嫌いな生命、全ての生命へと順番に祈るのが慈悲の瞑想です。

私は、毎朝これを実践しているのですが、その効果たるや絶大です。

嫌いな人、苦手な人が、私(の心)を育てる、最高の友人となるからです。

人間は、理論や空想で自己を律することも可能ですが、経験から得るものとの差は計り知れません。

何事も、実践を伴って学ぶことが、真の理解を得るための最良の方法です。
嫌いな人、苦手な人は最高の先生です。

休肝日

年末には久しぶりにお酒を飲みました。

私は年に1、2回お酒を飲む程度ですが、その日は、大学時代の友人との忘年会でした。

私は、お酒が好きで、以前は365日毎日何年も飲んでおりました。

ほとんどアル中ですね(^^)

まあ、本当に、「アル中かな」と、危惧しておりました。

1日でも、アルコールを空けるのが辛くて、週に一度の休肝日を設定してみたものの、翌日には、普段より、相当に多い量を飲んでしまい、逆効果となってしまったようです。

やはり、休肝日は無理に設定するのは逆効果で、すべての物事において、直感を大切にあるがままです。

休肝日を設定して、安心したいのはエゴです。

休肝日の翌日には相当量飲んでいたので、無意味というか、逆効果だったのですが、エゴは、この休肝日という儀式のようなものを思考で安心の拠り所にしておりました。

本気でお酒の習慣を止めようと決断した時は、お酒に関する思考を断ちました。

思考感情というのは、欲や怒りの炎を燃やします。

頑張っているのだから報われるとか、「飲みたい、飲まない、飲みたい、飲まない」という、焦燥感とか。

しかし冷静に、客観的視点を持つ必要があります。

右脳で感じて、左脳で確認分析します。

たとえば、瞑想を実践しようと座って目をつむった瞬間に、明日の仕事のことが心配になります。

「どうしよう」

早速、「妄想、妄想」と心の中で確認します。

思考の深い闇に埋没してはいけません。

確認すると、妄想はストップできます。

この「感じて、確認」をヴィパッサナーで習慣化できれば、欲に左右されることも減るのです。

ヴィパッサナーで客観的視点を定着

苦手な人はおそらく、誰でもおります。

その苦手な人を嫌う理由は、多分に思考が作り上げたストーリーが関連しております。

冷静に観て、苦を感じて、感じ続けることで、不快な神経伝達物質の分泌を小さくします。

その回路をつくるのが、がヴィパッサナーです。

「抜き足、抜き足、差し足、差し足、忍び足、忍び足」と、実況しながら、足裏の感覚や、背中の伸縮を感じて歩きます。

人間は、損得勘定を常に計算しており、左脳の思考感情の枠から、逃れられずにおります。

ヴィパッサナーにより、右脳の感じる回路をメインの回路にして、脳回路を変換させるのです。

この回路をノーマルにすると、苦から解放されるのです。

なぜなら、苦を作り出しているのは、人生ストーリーであり、私の周囲で起きているドラマであり、それは、私の思考であり、世界に70億人の人々がいれば、70億のストーリーが生まれております。

70億通りのストーリーがあって、個々ストーリーは異なっております。

常に冷静に分析する、客観的視点に気付くようにします。

在る

例えば、ある人がパーティーを主催したとします。

大勢の人が招かれ、豪華な料理が立ち並びます。

様々なパフォーマンスが行われ、ある人は、「楽しかった」と言います。

しかし、ある人は退屈だったと言います。

また、同じ人でも、ある時は、「エキサイティング」と言い、また別な時は、「つまらない」と言います。

諸行無常、諸法無我です。

物事や人間の心も身体も、常に変化しております。

心を楽しくするのも、つまらなくするのも、神経伝達物質の仕業です。

快の神経伝達物質が流れれば心は楽しく、不快な神経伝達物質が流れれば心は落ち込みます。

それを収束させるのが感じることで、そのトレーニングがヴィパッサナーです。

自分がどうしても欲しかったゲーム。

「これって、そんなに良いもの?」

手に入れて、喜んでいる自分を客観視して、色あせた経験は。誰にでもあるでしょう。

ヴィパッサナーは、その性質を活用した手法です。

客観的視点を忘却すると、妄想が始まります。

思考妄想に夢中になっているあいだ、人は真実を知ることがありません。

事象を冷静に、ありのままに見て、感情に左右されず、中道を実践するのがヴィパッサナーです。

無明より脱し、楽になる方法です。

人間関係を始めとする、すべての問題は、この感じるを知った時に、問題は問題では無くなります。

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