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苦手な人と付き合う方法前編  ブログ村注目記事1位になりました


人生は心のトレーニング

苦手な人っていますか?
とっさに顔が浮かぶ人がいますか?
お釈迦様が、諸行無常、諸法無我、一切皆苦とおっしゃったように、この3次元では、様々な変化があり、意にそぐわぬことが起き、苦しいのです。
人生は心のトレーニングですから、困難が次から次へと、やってきて当然です。

「仕事で成功した」、「宝くじが当たった」、「告白してお付き合いが始まった」、「試合に勝った」等々、成功の形は無数にあり、栄光をつかんだ瞬間、人生の勝利をつかんだ錯覚に陥るのです。
しかし、神さまは、そう簡単にゲームをクリアさせてはくれません。
また、新たな障害が現れ、有頂天の高みより、奈落の底へと、突き落とされてしまうのです。

苦手な人

仕事自体の失敗や、趣味がうまく上達できない、老いや病気等々、不幸の原因は無数にあります。
中でも、人間関係の苦労たるや、不幸の中でも、最高峰の苦と言えるのではないでしょうか?
私にも、パッと思い浮かぶ苦手な人が数名おります。身近な人ばかりです。しかし、私はこの事態を深刻に捉えておりません。
苦手な人は、私にとって心を育ててくれる師匠のような存在です。

彼らの共通する点は、我が強いところです。
「類は友を呼ぶ」と言いますが、私自身も我が強く、若い時は、何とかして有名になりたい、認められたいと考えておりました。
小学生のときは野球選手として、高校生で空手を始めてからは、武道家や格闘家としてひとかどの人物になりたいと憧れました。

最たる目的は、有名になること、他人より認められることです。
しかし、ブログメルマガで紹介している通り、ガイドと繋がるようになってから、悟りへの道、心の修業の道が全てだと気付いたのです。
それからは、この苦手な人とのトラブルや、様々な事象も、心のトレーニングとして、前向きに捉えられるようになりました。
その具体的方法について、お伝えできたらと思います。

一意専心

仏教では5欲が苦の原因で、5欲を無くすことが悟りへの道だと教えております。
5欲とは、性欲、名誉欲、財欲、食欲、睡眠欲です。
この欲を消すために、身体の感覚を感じて、心と身体を一致させるのが、ヴィパッサナーというトレーニングです。

ヴィパッサナー動画リンク ↓ ↓ ↓
          ヴィパッサナー歩法

「抜き足、抜き足、差し足、差し足、忍び足、忍び足」と、心の中で実況しながら、足裏の重心が移動する感覚、背中が伸縮する感覚、呼吸の感覚等々を感じて認識して、心と身体を一致させるのです。
この心身一如を日常生活に取り入れて、思考感情を消していくのです。
思考は過去の後悔や懐古、未来の不安や願望です。
これを、心の中に客観的に観察する視点を維持して、思考感情がひとりでに暴走せぬよう見張るのです。

この視点を定着させることが、大事な仕事で、これで心の寄り道を無くしていきます。
武道家が突きを正しく打てれば一流になれるように物事はシンプルです。
エゴが真理を覆い、目の前にある真理を隠しております。
無明の雲で、光を閉ざしているのです。
ですが、物事は単純で、その単純なひとつのことを、ピカピカに磨いていくことが大切です。

突きを磨くのであれば、それだけを繰り返し、繰り返し、突いて、突いて、練っていくべきなのです。
見た目には、ただ握った拳を突いているように見えます。
しかし、中身は違います。
首は顎を引きながら引き上げられ、肩肘は落ちて、仙骨は前傾して、非常に窮屈な状態で、絞り出すように突いております。

そして、背骨は波打ち、全身の筋肉が連動して、拳の1点に、エネルギーを集約させているのです。
謙虚、無垢、忍耐、努力の末に、一意専心が体現でき、気付きが生まれていくのです。
一見、突きを極めるのが仕事のように見えて、実際は一意専心、心身一如が、より大切な仕事です。

不登校ひきこもりの増加

脳回路の変換ができれば、枠や固定観念がはずれます。
左脳の思考で前後関係や意味を思考して処理するのではなく、「今ここ」に右脳で感じるのです。
右脳は全体的な大局を見ております。
冷静沈着で、自然体です。
瞬間瞬間に、気付きをもたらすのが右脳です。
心が居着いてしまうことなく、動いてエネルギーを回転させる必要があります。

子供の不登校や大人のひきこもりの問題は、以前にもありましたが、極端に増えております。
これは、ゲームやパソコンの普及と比例しております。
現在、私は52歳ですが、私が子供の頃は、缶蹴り、かくれんぼ、ゴムとび、めんこ、ドッジボール、野球と動き回って遊ぶことがほとんどでした。
身体を動かす遊びは、機転を利かすことで、うまく立ち居振る舞うことが出来ます。
自然と右脳の回路が開かれ、溜めたストレスも身体を動かすことで、発散できるのです。

機転を利かせて物事をうまく処理するには、「今ここ」に滞在して、損得勘定を排除する必要があります。
計算と感情は、左脳と扁桃体です。
自己の利害を思考し、喜怒哀楽に連動させているのです。
如才なく行動できる人は、右脳で大局を見ながら、左脳で一瞬にして分析するのです。
そこには、損得勘定が入りこむ余地がありません。
つまり、うまく遊べる人は、集中力があり、機転の利く人です。

ところが昨今、コンピューターゲーム等の室内遊びが主流となり、エネルギーを、うまく回転処理できておりません。
ストレスを抑え溜めて、我慢ができなくなると、感情を爆発させることで解消しているのです。
いわゆる「切れる」という行為です。

大人も同じです。
コンピューターや機械化が発達普及して、人間は身体を動かす状況が大きく減少し、思考を使う静的な業務が増えました。
やはり、エネルギーの回転、ストレスの解消がうまくいかず、人間関係をギクシャクさせております。
趣味もない、家族との団らんもない人は、不登校引きこもり予備軍となります。

基本姿勢でウィパッサナー

エゴは左脳による思考感情で、計算高く、野心的で、半面悲観的です。
扁桃体による情動(感情)と連動しており、夢を抱くと、目標達成のために、輝かしい未来をイメージして、興奮するのです。
逆に、悲観的な思考モードになると、「確率にすると、願望達成は困難」と計算をして、なかなか不安が払拭できない状態に陥ります。

この左脳・扁桃体主導の思考感情回路を、右脳と左脳のバランスのとれた、感じて確認の回路に変換すると、問題は解決します。
基本姿勢動画リンク ↓ ↓ ↓
     ヴィパッサナー基本姿勢

ヴィパッサナーをこの基本姿勢で行うようにします。
首を斜め上に引き上げ、脳を丹田の上に持ってきます。
丹田というのは、おへその下約3寸(8〜10センチ)のところに、お腹と背中の真ん中にあります。
そして肩甲骨を寄せるように、肩を下げて、肘を横ではなく、後方もしくは下方に向けるようにします。
要するに脇を締めるのです。
更に仙骨を丹田を押すように、前傾させます。
この基本姿勢をとって維持することが、大変なことなのです。
この姿勢を保つことで、思考・妄想・感情へと寄り道する余裕が無くなります。

武道を本格的に取り組む人は、この基本姿勢を行住坐臥維持するように心がけることで、客観的視点を持てるようになり、隙の無い人格を持てるようになります。

基本姿勢を継続して維持する

無心の境地と言いますが、無心を体得しようと、いくら思考で計算しても不可能です。
あれや、これや、こねくり回して、良いアイデアが出てきて、「解決」と思っても、また時間が経つと、同じことで悩み苦しんでおります。
堂々巡りです。
この真っ直ぐの基本姿勢を覚えて、物理的に思考困難な状況に追い込めば良いのです。

思考は減り、直感は冴えて、不安恐怖におののくことも、欲に翻弄されることも、無くなります。思考による堂々巡りは消えて、シンプルに答えを、アウトプットできるようになるのです。
この基本姿勢を一度覚えてしまえば、短時間、姿勢を維持することは、それほど大変なことではありません。
ただ、常に休息を願うエゴに乗っ取られることなく、基本姿勢を継続して維持することが困難なのです。

1日10分でも良いから、決めた一定時間、ヴィパッサナーのトレーニングを基本姿勢で行い、行住坐臥、生活の中に、「感じて、確認」を取り入れて、習慣にすることです。
「客観的視点を絶やすことなく、直感に優れた真っ直ぐの姿勢を維持して、感情に流されない、隙の無い人格を磨くこと」、ヴィパッサナーで体得できます。

右脳主導になると固定観念や意味が外れ、いやな事、苦手な人と、好きな事、好きな人との境界線が曖昧になります。

エゴに真の安らぎは無い

枠を作っている、固定観念を外すのがヴィパッサナーです。
身体を感じて、意味をつくらず、その中にいるときに、
日々の雑事は存在しません。
エゴは不安材料を想起させようとしますが、
感じているときには、何もありません。

自分を良く見せようとしたり、優位に立とうとしたり、損得勘定が働くと、エゴ主導となり、損得に左右される関係となります。
利用して、利用されるという、薄っぺらな関係です。
このエゴの思考感情回路が常に回転している人は、真の安らぎを得られることは、ありません。
自分にとって、有益な行動は出来ても、不利益被る行動ができないのです。
常に意味や損得を考えて行動するため、周囲に集まってくるのもエゴイストばかりになって、自分が無力になって、困ったときに、助けてくれる人も、おりません。

調子の良い時には、五欲(財欲、性欲、名誉欲、食欲、睡眠欲)に満たされ、飛ぶ鳥を落とす勢いで、どこかに、落日がやって来る不安は働いても、思考の外に追いやります。
坐禅の坐の、土の上の人(真我・直感)と人(エゴ)が向かい合うように、客観的視点でざわめく欲望を、見張っている必要があるのです。
ラッキーがあって、思わぬご褒美が舞い込んでも、不幸があって、失墜につながっても、感情に流されることはありません。

「客観的視点に気付く」
この視点に気付いていれば、あらゆるタイプの人を受容できます。
相手を損得勘定で見ないため、誰に対しても同様に接することができます。
ただし、エゴは常にでしゃばる機会を伺っているので要注意です。
しかし、このエゴに気付いている人は、その心、行動があるがままか、エゴによるものか、判断できるようになるのです。

エゴが出てくると、胸や背中やお腹がざわめいてきます。
しかし、このざわめきも、エゴに乗っ取られている最中は分かりません。
感情の浮き沈みや、妄想に夢中で客観的視点を忘れているのです。
野心家は、中道を退屈なものだと感じております。
自分の内にのみ、本当の安らぎがあるのに、社会的成功こそ、幸せだと勘違いしているのです。
他人の評価が気になって、仕方がありません。

ヴィパッサナーで、客観的視点を知り、「感じる」ということが、継続して可能になったとき、五欲への興味は解消されます。
大きなトラブルに見舞われて、暗中模索している時に、「この苦境さえ、乗り越えれば・・・」と、幸せは心が楽になることだと理解できます。

社会的に成功して、周囲の評価が得られても、あるいは宝くじを当てるなどして、一攫千金を得ても、興奮は一時的なもので、継続的な幸福感はありません。
五欲(財欲、性欲、睡眠欲、名誉欲、食欲)は、執着すべきものでは無く、期待せず、ほどほどで良いのです。

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