網膜剥離&白内障 記録

今回は、急遽眼の手術をしたのでその記録を書こうと思う。

入院まで

その日は、漸く通い出した自動車学校で仮免検定に向けた見極め運転をしていた。午前9時、教習所内のコースを走っていると、ふと右目の視界に黒い影がさした気がした。そこまで邪魔なわけでは無かったので初めは無視していたが、教習が終わってしばらくしても消えず、最寄り駅のトイレの鏡で確認したが、特にゴミが入ったわけでもなさそうだった。

これは何かの病気だなと直感し、瞬時に脳内で様々な予測を立てる。最悪、くも膜下出血なんかもありうるな…と戦慄し、即近所の眼科に診てもらった。

結果は、網膜剥離と白内障の併発。アトピー性皮膚炎に罹患していた2年前、痒いけれど掻いてはいけない状況で、自分の顔をシバキ倒していたのが原因らしい。なので網膜に空いた穴はかなり古いものであるらしかった。

放っておけば失明すると宣告され、手術、入院が決まった。1番近くの大学病院を紹介してもらい、早速次の日に診察してもらった。

そして、たまたま網膜の剥離箇所が眼球の下部だったので中心部が剥離するまでの進行は遅いものの、できるだけ早く入院した方がいいということで、その日の1週間後からの入院が決まった。期間は約1週間である。ちなみに、診てくれたのは美人な女医先生だった。

家族にそのことを報告したところ、関西の実家から母が駆けつけてくれることになった。もう成人しているのでいいと言ったが、居ても立ってもいられないからとりあえず東京には行くとのこと。せっかくなので厚意に甘えることにした。

しかし、病院の面会基準は「ワクチン3回以上接種」とあり、母はこの基準を満たしていなかったので、付き添いなら可能か否かを病院の窓口に電話で問い合せた。ここでの回答が実に要領を得ず、聞く人によって言うことが違うので、押し問答になってしまった。途中で相手が替わり、やたらハキハキと喋る、おそらく現場のお局的な女性が電話口に出て、私の質問を途中で遮り、無理矢理電話を切ろうとした。当然切らせずにもう一度質問をしたが、「最後に確認させてもらってよろしいでしょうか」と聞くと、「何をでしょう」と宣う。これはひどい。

暴言を吐きそうになるのを堪えて、丁寧に聞くとツラツラと答えてはくれたが、最後に「それではごめんくださいませ」と漫画でしか聞いた事のないセリフを吐いて電話を切られた。まぁ色んな患者がいるだろうからストレスが溜まるのは分かるが、それをマトモな患者にぶつけないでいただきたい。そして、ああいうお局がいる職場は大体雰囲気が悪い。どうせ電話口の向こうで「あんな電話適当に切っておけばいいのよ!」とか言ってそう。憶測だけど。

入院1日目

そんなこんなで何とか迎えた入院日当日、駆けつけた母と共に入院病棟に向かう。そして病棟に着いたはいいものの誰も振り向かない。看護師たちが忙しそうに駆け回る中、受付前で呆然と立ち尽くす我々の姿は、まさに田舎者親子そのものであっただろう。

しばらくすると、漸く気づいた看護師が入院の案内をしてくれた。
病室は思ったより広く、相部屋の割にはベッド同士の間隔が空けられておりプライベートも確保されているようだった。

受付に戻ると、心配性の母が看護師に色々質問していた。そして、私にミカンやらマスカットやら、大量の土産を渡して病院を出ていった。

私も入院の説明を受けていると、ツカツカと足音が聞こえた。目をやると、初診でお世話になった女医先生らしかった。私が挨拶しようとするや否や、白衣を着た先生は「はい失礼しますねー」と言って私の目に目薬をさし、あっという間に去っていった。気づけば視界がぼやけて何も見えなくなっていた。あとで聞けば瞳孔を開く薬だったらしい。まるで通り魔である。

という訳で本を読んで過ごすつもりが、何も見えなくなったのでひたすら音楽を聞いて無になっていた。

昼飯と晩飯が出てきたが、想像していた病院食よりずっと美味しかった。

入院2日目 (手術当日)

病院の朝は早い(普段の生活が怠惰なだけだが)。6時半過ぎには看護師さんが起こしにきて、体温と血圧を測り、7時過ぎには朝飯を持ってきてくれる。寝ているだけで3食が運ばれてくる。なんと素晴らしい環境なのだろうかと感動しながら食パンを頬張った。

手術は14時から。昨日先生に通り魔的にさされた目薬も効果が切れて、視界は澄んでいる。とりあえず暇なので、内定先の会社から受けるように言われているTOEICの勉強をしていると、看護師さんが「勉強しているんですか偉いですねえ」と褒めてくれた。嬉しい。褒められたら嬉しいんだ。と謎の感動を覚える。

昼食は食べていいとのことで、美味しくいただいた。

13時半頃、看護師が呼びにきて手術着に着替え、車椅子に乗せられて手術室まで運ばれた。車椅子に乗せられると一気に病人になってしまったような気がして、なんとなく気分が落ち込む。

手術室の前は手術着を着た人々が行き交う忙しい場所だった。不意に緊張が高まる。やがて手術室の扉が開かれ、車椅子を押され中に入る。中に入るとあの女医先生が手術着を着ていて思いがけずカッコよく、謎のギャップにやられてしまったが、ギリギリ手術への不安の方が大きかったので余計なことを考えずに済んだ。

車椅子から手術用の椅子に座り、仰向けに寝かされる。点滴を繋がれ、先生が目の下から眼の裏まで針を通し、眼底の筋肉に針をブスブス刺して麻酔を打つ。これがめちゃくちゃ痛い。声こそ出なかったが、内心「え、こんなに痛いの?」と動揺していた。それぐらい痛かった。

局所麻酔なので意識はあるまま、手術する右目の感覚だけが鈍くなった。しかし感覚は残っているので、あちこち切られたり縫われたりしているのは分かる。非常に気持ち悪い。そして筋肉を切る手術なので、麻酔をしているにも関わらずめちゃくちゃ痛い。一方先生はといえば、周りの先生方と気楽に会話をしている。余裕を感じさせるこの雰囲気で、案外気が楽になった。でもクソ痛い。うおあああ。これが2時間続いた。

私が受けた手術は「強膜バックリング術(網膜復位術)」と呼ばれるもので、かなり激しい内容で殆どの患者が痛がりまくって悶え苦しむらしいが、私は根性を売りに生きているので、1度も音をあげなかった。術後、先生が「痛みに強いですね。皆さんもっと悶え苦しむのですが」と褒めてくれて、若干サイコパス気味なその言い方にまた撃ち抜かれてしまった。

さて、手術は無事終了。ここで、寝ていた状態からガバッと勢いよく起き上がってしまい点滴が落ちなくなる害悪ムーブをかます。本来点滴で痛み止めを流すらしいのだが、私の愚かな行動により点滴が使い物にならなくなったので、急遽看護師たちによる「先程打った麻酔が切れるまでに痛み止め(内服薬)を調達できるか?!RTA」が始まった。ごめん。

病室で休みながら、大学の友人と手術の報告LINEをしていると、ズキズキと目の奥が痛み出す。RTA失敗か?と思われたその時、無事痛み止めが到着。本当にありがとうございます。

夕方頃、執刀してくれた先生が診察に来た。経過良好らしい。それに安心して、その日は寝てしまった。

入院3日目

相変わらず病院の朝は早い。目の奥の異物感と鈍痛はあるものの、朝ごはんが美味しかったので気分は悪くなかった。

あまり目を使うとよくないとのことで、音楽を聴いて目を瞑るしかすることがない。ちなみに今回聞いていたのはチャゲアスのベストアルバムだ。最高。

この日もまた先生の診察があった。経過良好。明日には退院できるよ?と言われた。本来7日以上入院する予定だったのだが、なんと5日も退院を巻いてしまった。色々予定を潰しているので、早く帰れるならそれに越したことはない。

相変わらず夕食も美味しかった。ずっとこの生活でいいや、と思ってしまう。

退院予定を家族に連絡し、その日も惰眠を貪った。

入院4日目(退院日)

いつも通り朝ごはんを食べ、2度寝していると、例の先生に診察だと言って起こされた。時間は7:30。昨日は18時頃まで診察してたのに。勤務医は大変だ。

診察が終わり、病室に戻ったら、看護師に「10時頃には退院できるよう準備してくださいね~」と言われたので、ダラダラと準備を始める。退院が早まったので、読もうと思っていた本も殆ど読まずじまいであった。

読もうと思っていた本たち

10時頃、荷物をまとめて退院手続き完了。タクシーで下宿の最寄り駅まで帰り、セルフ退院祝いとして回らない寿司を食べた。

まとめ

今回の手術入院によって、いくつもの予定が潰れた。楽しみにしていた先輩との登山は流れるし、半年前から準備していた資格試験は受けられなくなるし、ゼミの卒業アルバム用の集合写真も欠席したし、北海道に住む中高同期を訪問する計画もキャンセルした。被害総額4万円。正直かなり痛いが、健康には替えられない。空いた穴はこれから埋めていけば良い。

何より、手術してくださった先生やお世話になった病院の方々に感謝、感謝である。

皆もちょっとでも身体に違和感を覚えたら病院行きましょう。


おわり

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