好きなアーティストを語る-CHAGE and ASKA-

はじめに

今日は好きなアーティストを紹介する。今回紹介するのはCHAGE and ASKA。私が考えるに、j-popの全盛期であった90年代(音楽で食べることができる、その価値が社会的に認められていたという点で全盛期であるという意味)において、最も活躍したアーティストの中の一組であるといっていいだろう。

ここで、ASKAについては最近音楽以外のところで話題になることも多いので、改めてCHAGE and ASKAの活躍ぶりを紹介しよう。なお、CHAGEはそこまでではないが、ASKAは時代によって歌い方がかなり変わっている。80年代前半までは真っ直ぐ喉を開いて歌っているが、80年代後半以降は、鼻にかかったような粘着質な声と喉に響かせる声、ウィスパーボイスなどを使い分けながら歌う独特のスタイルになっているので、注目して欲しい。

あと、もうお気づきかもしれないが、私が1番好きなアーティストなので、記事を書き始めたら止まらないことが予想される。かなり長くなることが予想されるが、良かったらお付き合いいただきたい。

CHAGE and ASKAについて

CHAGE and ASKAは、CHAGEこと柴田秀之と、ASKAこと宮崎重明によるデュオである。デビューは1979年、2人は元々高校の同級生であったが、ポプコン福岡大会でCHAGEがグランプリ、ASKAが最優秀歌唱賞をとったことがきっかけとなり結成された。作詞作曲は、ほぼ全ての曲をASKAが担当している。

昨今このデュオについては様々なことが言われているが、ここで彼らの輝かしい記録を紹介しておこう。まずは「YAH YAH YAH」で220万枚、「SAY YES」で280万枚のセールスを記録し、日本レコード大賞を2年連続で受賞。また各シングル・アルバムにおいて第2回、6回、7回、8回日本ゴールドディスク大賞を受賞した。これは個人的な所感だが、当時の日本レコード大賞、ゴールドディスク大賞のシビアさやレベルは現在のそれとは大きく異なる。そんな彼らはダブルミリオンのシングルを2作持つ唯一の歌手として、日本の音楽史に名を刻んだ。(現在はミスターチルドレンとCHAGE and ASKAのみとなっている)

そして、SAY YESの後に発売したオリジナルアルバム「TREE」はダブルミリオンを記録し、そこからシングルカットした「僕はこの瞳で嘘をつく」がオリコン1位を獲得するなど、空前絶後の勢いで一時代を築いていった。

ここで、まずは言わずと知れた最大のヒット曲「SAY YES」を紹介する。当時の音楽業界の華やかさ、パフォーマンスのレベルを存分に感じることの出来る動画である。

ついでに、前述のアルバム「TREE」の表題曲ともいえる名曲「BIG TREE」を、第6回日本ゴールドディスク大賞受賞時に歌唱した映像で紹介する。

そして、彼らは活躍の場を世界へと広げる。1994年には、世界で最も売れたアーティストたちが集う、モナコ音楽祭ことWorld Music Awardにおいて、Best-selling Artist/Japan、Best-selling Artist/Asia(1992-1994)として、日本人としてはもちろん、アジア人アーティストとして初めて受賞、招聘された(3年連続)。ホイットニー・ヒューストンやマイケル・ジャクソン、スティービーワンダー、ロッド・スチュワートなどといった世界の名だたるシンガーと共に参加し、「no no darling」「Sons and Daughters」を披露した。ちなみに、この2曲は両方イチオシの名曲なので、後で紹介させて欲しい。また、この時歌唱を聴いたホイットニー・ヒューストンをして「あなたたちが1番」と言わしめた。リップサービスであったとしても凄いことだ。同時に、当時世界的権威とされていた音楽番組、MTVアンプラグドに2年連続で招聘され、アジア人として初めて現地出演。次に日本人2組目として「安室奈美恵」がWMAを受賞するのは、17年後のことである。ここで、モナコ音楽祭の様子と当時の歌唱映像を紹介する。

それだけではない。ライブツアーでは「アジアンツアー」と題して香港、台湾、シンガポールなどを回り、それぞれ数万人を動員した。ここで、台湾で行われたライブ歌唱動画が公式で上げられていたので紹介する。今でも皆が拳を突き出してノれる名曲、「YAH YAH YAH」の歌唱である。個人的には、この動画がYAH YAH YAHのベストテイクだと思っている。

また、2000年には、当時歴史的なしがらみで日本文化を断絶していた韓国において、大統領に直談判し、日本人アーティスト初となる現地ライブを敢行した。このライブは2日間で2万人以上を動員して成功を収めた。これがきっかけで日韓親善大使に任命され、その後の韓国文化解放に貢献した。ここで、韓国における親善コンサートのダイジェストを紹介する。ぜひ見てみて欲しい。

初期

ここからは初期、中期、後期と分けて、彼らの活動や音楽を紹介していく。

まずは初期。彼らがデビューした1979年~1980年代前半は、いわゆるフォーク演歌と言われる曲調が主流で、「ひとり咲き」「万里の河」「男と女」などのヒット曲を繰り出し、これらを収めたアルバム「熱風」はオリコンアルバムチャート1位を獲得している。ここでは、私の好きな「万里の河」の歌唱動画を載せておく。

中期

翻って1980年代後半~は、路線変更を行い洋楽テイストを取り入れた打ち込みベースの楽曲を制作しはじめた。当時作詞作曲を手がけたASKAによると、あのデイヴィッド・フォスターの音楽に衝撃を受け、音楽制作スタイルが一変したらしい。また、この頃からASKAはロンドンに滞在し、楽曲制作を行うようになった。YAH YAH YAHもロンドンで生まれた。環境を変えることで自らのスタイルを革新させ、新たな時代を作っていったのだ。

このあたりでCHAGEが石川優子とコラボして発表した「ふたりの愛ランド」がヒットし、ASKAも光GENJIへの提供曲「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河」がヒットしたことで、名実ともに音楽家としてその地位を確立していった。

CHAGE and ASKAとしても「恋人はワイン色」「WALK」「LOVE SONG」「PRIDE」などのヒット曲を生み出し、これらを収めたアルバム「PRIDE」もオリコンチャートで1位を獲得している。ここでは、90年代に彼らが生み出した珠玉の名曲を、5曲紹介したい。

まずはPRIDE。個人的に、この曲の核心部分はピアノで始まる前奏であると思っているので注目して欲しい。また、曲全体を通して随所で転調が行われており、コード進行もかなり複雑なものとなっている。にもかかわらずまったく違和感を感じさせず、心地よい曲に仕上げているのは流石といったところ。

続いて、「LOVE SONG」を紹介する。聴いてみると、歌い方がデビュー当時から変わっただけでなく、曲調が一気にキャッチーでお洒落な雰囲気に変わっていることが分かる。世間にラブソングは多々あれど、個人的にはこの曲が至高のラブソングである。

次に紹介するのは「Sons and Daughters」。この曲はライブにおいてアカペラ形式で披露されることが多く、穏やかな曲調の中で、彼らの声質やハーモニーの美しさが際立つものとなっている。下に紹介する動画では、山下達郎プロデュースで80年代に人気を集めた14カラットソウルをバックコーラスに迎え、贅沢なライブを構成しているので、楽しみに聴いてみて欲しい。

4曲目は、「no no darling」。この曲は、CHAGE and ASKAの楽曲の中でも特に洋楽からのインスピレーションを感じる1曲である。個人的に好きなのは、2番が終わってからのCメロ。Cメロに入った瞬間、セピア色の世界観で紡がれてきたこの歌に、まるで魔法がかかったかのように煌びやかな世界観がたち現れる。また、CHAGE and ASKAの場合、ライブのクオリティが迫力、声量共にCD音源を上回ることが往々にしてあるのでライブ映像を紹介しがちであるが、この曲はミュージックビデオをロンドンで撮影しており、個人的に世界観が非常に好きなのでミュージックビデオを紹介する。

5曲目は、「On Your Mark」を紹介する。この曲から、ジブリ作品で知られる宮崎駿とCHAGE and ASKAがタッグを組み、ジブリスタジオで制作された映像作品「On Your Mark」が生まれた。作品にはCHAGEとASKAが登場し、物語を紡いでいる。この映像が上げられていたので紹介しよう。

ミュージックビデオ

後期

2000年代に入ると、ASKAの喉の不調なども重なりヒット曲は出なくなる。しかし、個人的に大好きな曲はこの時代に集中しているといっても過言では無い。ここで、初期・中期と後期で明らかに違う部分がある。それは歌詞の内容である。中期までは、恋愛で相手を想う歌や自分を鼓舞するような歌、言うなれば自己完結型の内容の歌詞が多かったように思う。一方で、後期は傷ついた友を慰め、鼓舞するような歌詞が目立つ。お世辞にも明るくはなかった当時の世情を鑑みると、やはり時代に合わせた歌を歌うというASKAの音楽哲学(本人談)を窺い知ることができる気がする。

ここでは、個人的にぜひ聴いて欲しい4曲を紹介する。まずは「ロケットの樹の下で」。歌詞が心に刺さる。ここは途中だ、旅のどこかだ…一つだけ多くても一つだけ足りなくても終わるもんじゃない。個人主義が台頭すると同時に、他者と自分を比べたり、暗い時代に取り残される人が増えていた当時、この歌に勇気付けられた人は多いだろう。そして、世界が暗い今日、またこの曲に勇気付けられる。

続く2曲目は、「僕はMusic」。まるでカメレオンのように、常に時代に合わせて表現のスタイルを変えてきたCHAGE and ASKA。2000年初頭らしいラップ調のAメロに、だし抜けに明るい曲調に決して明るすぎない深い歌詞。彼ららしさを失わないままに、常に新しい表現方法を模索し、上手くまとめあげた作品である。

3曲目は、美しい旋律が特徴の「Man and Woman」。3万枚限定で発売された幻の曲である。メロディーが、本当に好きなので紹介する。

最後に紹介するのは、CHAGE and ASKAの曲の中で私が最も好きな曲である「not at all」。トリに選ばせていただいた。まだ22年と、短い人生ではあるが、様々なところで行き詰まり、思うようにいかず苦しむこともあった。そんな時、いつもこの曲がその辛さを受け止め、背中を押してくれた。ここで逐一歌詞を解説したくなったが、そんな野暮はよしておこう。歌詞を聞いていただければ、全て伝わるはずだ。

最後に

ここまでかなりたくさんの作品を紹介してしまった。5作品ほど紹介して終わるつもりが、ついつい語りすぎてしまった。他にも書いていないことは山ほどあるし、紹介できていない名曲もたくさんある。しかし、CHAGE and ASKAを知らない人に知ってもらおうという記事なので、あまりマニアックな話をしても仕方がないため、ここまでにしておく。

最後に、私が思うCHAGE and ASKAについて述べる。彼らはデュオなので、やはりハーモニーが素晴らしい。半端では無いASKAのハイトーンボイス、声量。そしてそれに全く引けを取らないCHAGEの高音。ASKAが曲を作り、歌唱時にCHAGEと合わさることで曲が完全体となる。このパワーバランスは非常に難しかっただろう。CHAGEだけでも、ASKAだけでも物足りない。

ASKAがCHAGE and ASKAからの脱退を表明してもう4年になる。彼が「脱退」という言葉を使ったのは、CHAGE and ASKAという「過去」を、勲章として壁に掛け、それぞれが新たな一歩を踏み出すためだという。個人的には分からないでもないが、完全な納得もできない。きっと我々には想像もつかない様々な事情と思惑が重なり合った末の結論だったのだろう。

ライブ時の2人の距離は2m10cmと決まっていた。今は離れ離れの2人だが、2人ともその歌唱力は健在、各々で活動を続けている。またいつか、2人が2m10cmの距離で歌声を重ねる日を待ち望んでやまない。


終わり

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