故郷は遠きにありて(2022.07.26)

今日、期末試験を一つこなした。おそらく単位はとれたと思う。残すところ、レポート3本、試験2本である。

今週末は部活の実地講習がある。ワンゲルで必要となるロープワーク(トラバース、懸垂下降など)、ダブルザック、緊急搬送を実践する。当日は、経験豊富なOBが親切にも講師として来てくださる。しかし、講習の計画の諸々については、OBと頻繁に連絡をとっている自分が担当しているので、このクソ忙しい試験期間中に色々な事務をせざるを得ないのである。計画書作成、メンバー分担、スケジュール作成、会場予約etc...正直、しんどい。だがまぁ、これも仕事なので割り切るしかない。引退まであと2ヶ月。頑張ろう。

そんな多忙な中ではあるが、学校から帰宅途中の電車にて、気晴らしに思い出について話したい。エピソードトークではない。詳細に物語を語るほどの気力はない。。


思い出というのは気まぐれなもので、多忙な時に限って頭をチラついたりする。今日は中高時代に思いを馳せていた。

ベタな言い方ではあるが、あの頃は本当に全てが輝いていた。当時はなんとも思わなかったが、過ぎ去ってから、ハッキリとそう思うのである。日々、将来の不安もなく師や友と語り合い、学び、遊んだ。こんな経験は今後できないだろう。

今でも中高同期とはよく話す。少し話すだけで私は当時の気持ちに戻り、楽しく愉快な時間を過ごすことが出来る。だが、現実として既に皆それぞれの道を歩んでいる。毎日顔を合わせ、当たり前のように挨拶をすることは二度とない。当然といえば当然のことであるが、まぁ正直少し寂しい。

人だけではなく、街もその姿を変えている。中高時代によく友達と屯していた店が無くなり、新たなビルが建っている。帰省時に学校の傍を通ると見かける母校の生徒は、スマホに夢中になりながらトボトボと歩いている。我々の時は、登下校時にスマホなど操作しようものなら真っ暗な生徒指導室で殴られて泣いていたのになぁ...などと微妙な気持ちになり、そしてそんなことを考えている老害な自分に気付いて嫌になったりするのである。

とまあ、センチメンタルな文章はこのくらいにしておくとして、ここまでの感情をもって懐古することができる思い出を手に入れられた自分は、この上なく幸せ者だと思う。思い出は宝箱に秘められた宝物であり、癒しの場所である。摩耗することこそあれ、決して消えることは無い。そして同時に、自分を形成する重要なアイデンティティでもあり、風邪をひきやすい現代において自らを保つ指針になる。

さっきから浮ついたことばかりくっちゃべっているわけであるが、、昨日は一睡もしていないので、擬似酩酊状態にでもなっているのかもしれない。しかし、こういう文章は勢いが大切なので最後までいってしまおう。つまるところ、素敵な思い出を持っている幸せを噛みしめながら、そんな思い出をくれた友人や周囲の人々に感謝の意を表したい。彼らを大事にしたいということだ。

そろそろ最寄りに着きそうなので、今日はこのくらいにしておく。


それでは!

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