写真奮闘記#2 見せる写真、見せない写真
真実を写すと書いて写真。
だけど写真は、事実は写すけど
どう真実とするかは
撮り手によって大きく左右されると最近強く思うようになった
なぜそう思うかと言うと
写真のセレクトについて考えることが増えたから
写真を撮らせていただいてから納品までは
撮った写真をセレクト→編集→検品→納品
といういつくかのステップがあり
セレクトは撮ってきた大量のデータから、必要なカットを選別する重要な工程
どれも大事な工程だけどセレクトが1番ウェイトが高く、大事なんじゃないかと思うほど、
最終的なアルバムの質に影響していて
だからこそ難しい
全く同じデータをセレクトしても
僕がセレクトしたアルバムと、なりかさんがセレクトしたアルバムとでは
見た時の印象が全くの別物で
素材を殺してしまう怖さすらあった
ただ写真がたくさんあればいいという訳ではない。
納品できる良い写真だけど、無い方が全体の質が高くなることもある←ココがムツカシイ
今も完璧ではないけど最初の頃はMaxの笑顔だけを山のように選んでいた...
アルバムを見る人がいかに心地よく、わくわくが止まらぬまま次の一枚を見れるか
写ってくださった方の目線や温度感、
説明的な一枚や構成するときにアクセントとなる一枚など
色んな理由で必要な写真をセレクトしていく
必ずしも僕が思ういい写真=貰って嬉しい写真ではない。
この写真が届くことによって
少しでも相手が不安や悲しさを感じないか
繊細な愛と想像力を持ってセレクトすることを教えていただいた
やっぱり写真は人だ
セレクトを考えるようになれば
撮る時から意識して変わるようになる。
全ては繋がってるんですね〜とこの先もずっと言ってる気がする
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