YKIKI BEATのこと

残念。念が残っている。どこかに。心残りというのかもしれない。

だってYkiki Beatが大好きだった。2015年の夏に。その気持ちの行き場が見当たらなくて、ずっとうろうろ彷徨っている。

それまでの生活をえいっと思い切って変えて新しい音楽をyoutubeで貪るように探し始めていた2015年の春に、インディーロックというかUKロックというかそういう感じのプレイリストの中に何故か紛れて入っていたThe fin.とYkiki Beatをたまたま見つけてしまったのがはじまり。そのとき私はそりゃあもう驚いたのだ。これが日本人かと。私が子供たちを追いかけながらぼーっと過ごした10年間のあいだに大変なことが起こっているじゃないかと。 調べてみると彼らはまだ20代前半らしかった。

Ykiki Beatの「Forever」のリリック・ビデオ。真っ白な空間の中でまるでガス・ヴァン・サントの映画に出てきそうなTシャツを着た金髪の男の子がうつむいてギターを弾く。リズムをとるスニーカー、逆さに被ったキャップの今どきの男の子、真っ直ぐ前を見る目。その上に写し出された白くはっきりと光る英語の歌詞の単語のひとつひとつが眩しくて強く突き刺さる。良いメロディの邪魔なんかせずにすうっと鳴り響くシンセの凛々しい音、言葉の乗せ方、発音、意思。これはよくある爽やかなだけのポップ・ソングではない。軽々しく歌にしたなんか安っぽい「Forever」ではないぞ。完璧な曲だと思った。完璧に好きだと。

その夏に出た『When the World is Wide』というファースト・アルバム。80年代ポスト・パンクのようでいて、瑞々しくて、新しくて、苦くて、わくわくするような8曲。繰り返し何度も何度も聴いて、堪らなくなって8月のタワレコでのインストア・ライブにまで出向き、貰うつもりのなかったサインの列にまで年甲斐もなく並んだ。ツイログに残っているその頃の私のツイートを見返してみると見事にワイキキの話題で埋まっていた。

『Ykiki Beatについて語ろうとするとき、ジザメリとかエコバニの名前を出そうとしてやめる。そういういい音楽の取り入れ方がセンスがあって上手い。そのうえでセンスというレベルを飛び越えるようないい曲をどーんと突きつけてくる。いいバンドの条件を満たしている。』

なんてことを熱っぽく書き残している。

それは例えばフリッパーズ・ギター、またはスーパーカーを初めて聴いたときのような衝撃。新しい音楽を見つけたときの気持ち。もうあの古いCDにすがらなくてもいいんだ!という希望みたいな喜びを感じ、大人げなく夢中になってしまったというわけ。井上由紀子さんがご贔屓にしているのを知ってなるほどなと思った。

火がついてしまったので(完売した東京公演は都合がつかなかったことにもめげず)、10月の1stアルバムのリリース・ツアーのアフター・パーティーの江ノ島までライブを観にいそいそと出掛けた。インストア・ライブのとき以上に演奏はとても良かった。アットホームないい雰囲気のライブハウスで、ヒューガルデンを片手に江ノ島の暗い海を後ろに眺めながら聴いたエコバニの「Killing Moon」の名カヴァーを忘れない。ライブが終わってしまうとぱっと明りがつき、皆がそれぞれ談笑する姿が目に入る。私は一人だったから誰にも気を遣わなくてよかった。少しだけ気取ってただそこにいて、ライブの余韻に浸りながら残りのビールを飲み干して、踊るような気持ちで階段を下り、片瀬江ノ島駅までの道を歩いた。楽しい楽しい秋の夜長の出来事。ライブハウスなんて所に行ったのは十数年ぶりのことだった。

ワイキキのメンバー3人がやっているもうひとつのDYGLというバンドも素敵だったのですぐに気に入ってしまった。秋以降、ライブに行ったりインタビューを読んだりした感じで、これからは何となくDYGLの方の活動がメインになるんだろうと察した。その後はアメリカでの活動を微笑ましく見守ったり、DYGLのEPが発売されたのを喜んで聴いたりなんかしていたらあっという間に季節が過ぎてしまい、1stアルバム発売から一年が経った夏の終わりの夏フェス「WORLD HAPPINESS 2016」で再びYkiki Beatのライブを観る機会に恵まれた。

テンポを遅くした「The Running」から始まった演奏は、緊張なのか場の大きさが合っていないのか前に観たときとは感じが違って、別のバンドを観ているような気さえもしたけれど、あの場で「Forever」をやらなかった事には何となく意志を感じたし、4曲しか聴けなかったうちの1曲が新曲だったことには素直に喜んだ。けれど、あれが最後になってしまったなんて。

2017年の1月にYkiki Beatの活動休止のニュースを知って、また『When the World is Wide』を改めて聴き返す。

「The Running」のイントロの美しさに目を閉じて、「Modern Lies」のドラマチックなギターに胸が張り裂けそうになり、「Never Let You Go」で若さを取り戻して叫び、「Dances」でダンスして、「Forever」のところでこの曲を初めて聴いた時の気持ちにはもう戻れないと嘆き、「All The Words To Say」の色気のある声にぞくっとし、「Winter」で我を忘れて一緒に歌い、「Vogues of Vision」の終わりの「I can't touch 〜」の繰り返しの最後の最後に吐き捨てるように「I'm feeling sick!」と歌う部分のあの切なさに耐えきれず、また最初から繰り返して聴く。
瑞々しさが何度も再生されるから。

それにしたって31分は短い。短すぎる。

解散ではなく活動休止としている事に意味があるのかは知らないし、もちろんDYGLや他のメンバーの活動にはこれからも注目し続けるけれど、いつか忘れた頃にまたひょこっとみんなで現れてワイキキの曲を演奏する姿をまたこの目で観たい。そしてその頃には隣で「Forever」を口ずさむ息子がライブに行けるくらいの年齢になっているといいな、なんて勝手に願うだけ。


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