葉月里緒菜にシカゴ・ハウスを!

高校生のときに友達と2人でやっていた弱小ミニコミがあって、それが割と評判良かった。初めて作った手書き&ワープロ半々のでたらめなものだったが、少なくともシュガースウィートよりはよっぽど人気もあったと思う。高校生というのが面白がられたのか、いくつかの音楽関係の事務所の人達にも可愛がってもらった。文章も書かせてもらったし、バンドの取材みたいなものもしたし、プロモのCDやテープも沢山貰ったし、ラジオにも出たし、TAJIMAX(‼︎)も見た。くだらないスクール・ライフを送る女子高生の秘められた放課後ってなんだかサマになるでしょ?

そのとき依頼されたもので一番面白かったのが、葉月里緒菜のデビュー曲の作詞の話だった。その頃はまだ彼女はそれほど目立っていない時期で、世間的には「チオビタのCMの子」という存在だった。なぜそんな話がきたかというと、葉月里緒菜のわがまま女王っぷりはその頃からはじまっていたようで、なんでも仮歌の段階で歌詞が気に入らないと文句を言い、周囲を困らせていたそう。その時頭を抱えていたレコード会社の人が、知り合いから見せてもらった私達のミニコミを見て気に入り、若い女の子の感性を借りよう、とひらめいたとか。

そして私達は葉月里緒菜会議に挑んだ。はじめは彼女の資料をいくつか貸してもらい、参考にして下さいと言われた。葉月は君達と同い年だし1回会って話をしてみよう、気が合うかもしれない、という話もでた(合うわけないと思ったがあえて言わなかったけど)。それから君達の好きな音楽を葉月に聴かせたいのでオリジナルテープを作ってあげてくれないか、と頼まれた。私は彼女に渡すそのテープにその頃聴いていたUNDERWORLDとORBITALとFLUKEを入れてプレゼントした。因みに彼女は中島みゆきが好きだと言っていた。

2回目の会議では、具体的な曲の話になった。彼女のツッパッたイメージを利用して、ピチカート・ファイヴのような今どきの都会の女の子っぽい感じにしようという事になった。それについてあーだこーだ話していると、葉月といえば帰国子女、シカゴにいた頃は結構クラブとかでも遊んでたらしいよ、という話題がでた。すると、じゃあその時代だとシカゴ・ハウスとか体験してんのかなぁ、と知り合いが口にした。途端に、そうだ!葉月里緒菜にシカゴ・ハウスってのはどう?と急にものすごい展開に。それはちょっと新しくていいかもしれない、音楽通にも語りかけるものがあるし、じゃあ誰かにプロデュースしてもらおう、だったら今は絶対卓球君がいいよ、旬の人だし、なんていつの間にか話が大きくなって盛り上がってしまった。よく考えたらちょっとバカな話だが、その日の帰り道、私達は「卓球か〜、凄いねぇ。」「売れたらどうする?」「印税ってどの位貰えるのかなぁ…。」などとまだ決まってもいない話に夢を膨らませていた(特に私。シカゴ・ハウスと聞いただけで)。

さて私達のこの、卓球とタッグを組んで日本のアイドル界に殴り込みをかけるような新生アイドル・葉月里緒菜を売り出そう計画は果たして…?

ってそんなもの実現するわけもなく、結局は彼女と会う予定だった日も当日になって「写楽」の撮影が忙しいとかなんとかで中止。そのまま連絡もなしでなんとな〜く無くなってしまったとさ。とほほ。その後、彼女はその映画で出会った誰かと不倫に走り、世の中を騒がせるオンナとなったわけです。いやぁ、やっぱりスキャンダルだよね〜、シカゴ・ハウスじゃ大物にはなれないよねぇ…。

それにしても葉月さんはUNDERWORLD聴いてくれたんでしょうか。

(SUGERSWEET8号 1996年7月 )

※葉月さんは今は「里緒奈」と改名しているようですが、記事はその当時の「里緒菜」のままにしておきます。



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