Talk Talk

ある日突然、小さくて大事なものを持たされる。落としたら壊れてしまうらしいので、慌ててしっかり抱える。手帳を貰い、キーホルダーをつけ、転ばないように歩く。体調の悪さを伴いながら、見えないところで日に日に大きくなっていくものの、まだまだ小さい。なるべく無理しないように休むけれど、重たくなっても床に置く事はできない。壊れないように。壊れないように。注意を払いながらそっと日々を過ごす。

20代前半で卵巣の手術をしてからはずっと婦人科通いだった私に、割とすんなり子供が出来るとは思わなかった。妊娠の兆候が出た日は新宿リキッドルームにいて、友人にいつもと違う熱っぽさを訴えながら、もしかしたらこんな風に夜中に遊べるのは今日で最後になるんじゃないかなぁ、と目の前の壁をぼんやりと眺めたのを覚えている。それからは緊張しながらも胎教に好きな音楽を聴かせたり、暖かい日には散歩をして近い将来について思い巡らせ微笑んだりしながら、その日がくるまでを大切に過ごしていた。

生まれてきた子供はそれは可愛かった。汗をかきながら昼も夜も離れず世話をした。一日は長く、しかし何故か月日が過ぎるのは早い。そんな宙に浮いたような不思議な時期を過ごす。最初のうちは母子ともに寝てばかりだったのが、起きる時間が徐々に長くなるとやる事が途端に増え、時間の使い方が難しくなる。空いている時間に早めにご飯を作る。空いている時間に晩御飯、空いている時間に翌朝のご飯、空いている時間に…と繰り返しているうちに、あれ?と今作っている食事がいつのものなのかが、とうとうわからなくなっていた。

助産師さんに、子供が寝ている時はお母さんも一緒に寝てね、とアドバイスを受けたけれど、出来ればその間はゆっくり暖かいお茶でも飲みながら好きなテレビを見たり音楽を聴いたりしたかった。その時間があるかないかは約束されていない。自分が頑張れば与えられるいう訳ではない。子供が泣いたらとにかく抱っこ、換気扇の下で揺らす、寝たと思ってそっと下ろすと失敗する。また抱っこ、の繰り返し。可哀想に、せっかく生まれてきたのにこの子はいつも寝かされようとしている、と柔らかい頭を撫でる。

長男は両家の初孫だったので、みんなが息子を可愛がってくれた。義父が息子の爪を見て、自分にそっくりだと笑う。自分に似ていない部分は親戚の知らない誰それに似てる、という。私は一体誰と結婚して誰の子供を産んだんだろう、と戸惑う。機嫌がいいとみんなが息子を抱っこしたがり、泣くと途端にママがいいって、おっぱいだって、と苦笑いで返却される。激しく泣きやまない時に私が渡す人はどこにいもいないのに。

暑さが再び訪れ、息子が初めての誕生日を迎えた後には、思い切ってフジロックに行ってみた。行く前にその日の子供の3食の食事と翌日の朝食まで全部用意して出掛けた。久しぶりに会う友人達、新しい音楽を体験すること、全てが非日常的で楽しかったけれど、日程の調整や子供の世話をしながら行くまでの準備をする大変さや、ライブの最中にも頭の中につきまとう日常が気掛かりで、それからはどんどん足が遠のいてしまった。

子供がよちよち歩き始めると、目の高さにあるレコード棚を狙われた。ちょっと目を離したすきに床一面にばら撒かれるLP。CDケースは破壊された。言っても伝わらない。どうせ今は聴けないし、と布で覆って簡単に引き出せないようにびっしりと詰め込み、プレーヤーの蓋の上は物置と化す。漫画や本も暫く見えない場所に閉まっておくことにした。スカパーはもう観ないだろう、と解約。まるで全てのものに「どーせ」を付けて、シールで閉じて隠すみたいにした。

ある時、昔からの友人がうちに遊びに来たいと言った。彼女はうまくいかない恋に悩んでいた。約束は平日の20時。仕事終わりに向かって一番早い時間だという。子供をあやしながら話を聞く。一日を殆ど誰とも喋らずに過ごす私は、何と返していいのか言葉が出ない。無言。子供がぐずぐずしだす。ちらっと時計を見ると9時を過ぎている。そろそろお風呂に入れたい。そわそわする。子供が泣き始める。すると友人は「泣いても可愛いよね。いいなぁ。私も早く結婚したい。」と呟く。うん、だからお風呂、お風呂に…。無言。楽しい時間を共に過ごしたはずの仲なのに。交わらない時間が辛く長い。

「いいなぁ。はそっちだよ。」
友人が帰った後、眠気のせいで延々と泣き続ける息子をお風呂に入れながら、相談にも乗ることすらできない情けない自分が言いたくても言えなかった感情を無理矢理抑えつけた。

気づいてしまった。そういえば私は何となく結婚して出産をしていたけれど、幼少期はさておき「結婚したいなぁ」などと思いを巡らせたような事が殆どなかった。ずっと先の事など大して考えたりもせず、今が楽しい方を選んで流れに任せてきた節がある。ふと見渡すと周りのにこやかな顔のママ達は料理上手、手芸上手、おまけに話し上手。コンサバティブな洋服を着て、お土産に手作りのお菓子まで持参する。誰にもわかってもらえやしないのにバンドTシャツを着て「趣味・特技」の「趣味」しかない自分。「特技」の部分が空欄な自分。話すことがない。一体今まで30年間のあいだ、私は何をしてきたのだろう。何故ここにいるのだろうか。昔あの雑誌で原稿を書いてて、なんて言っても誰にも通じない。子供は好きなほうだと思っていたけど、お母さんには向いていないのだ、きっと。

子供が幼稚園や学校に入ると、自分の一存では決められないことが山ほど出てくる。子供の安定した生活を保つ為の情報網やお付き合い。子供の学年が一緒というだけの、年齢や出身地、好きなものも全く違う人との関わり。人と合わせることが苦手で、何でもないことを気にしてしまう自分には地獄のようだ。ある日、知り合いのママ達数名に3つ先の駅に神戸の有名なお店ができたらしいから見に行こうと声をかけられた。首から下げる革製の花のストラップ。3千円。みんなでお揃いにしようと提案される。要らない、とは言わずにやんわり断る。自分を見るみんなの目…。気のせいか幼稚園の後の公園遊びには誘われなくなっていた。仲の良い同士は下の名前で呼び合い、私だけが名字すら呼ばれない事に気づく。それでも薄っぺらいお付き合いは続く。

本当は仲良くなりたい人なんてそこにはいない。ならば自分は何を気にしているのだろう。子供を誰かと遊ばせてあげたい、私のようにならないように、と。使わなくていい神経をすり減らしながらどんどん小さくなっていく。まるで苦手な集団生活を繰り返すみたいだ。気づいたらもう逃れられない。だけど昔は、昔はどうやってやり過ごしていたんだっけ。

思い立ってパソコンに入っていた音楽を確認する。子供が生まれる前までは毎週のように買っていたCD。2人目の子供が生まれる頃には1年にたった1枚程度しか買わなくなっていたのだ。新しい音楽をどうやって探せばいいのかも忘れてしまった。試しにYouTubeを覗いてみると、知らないものばかりが次々と流れてくる。いつの間にかPCひとつでこんなに何でも観れるようになっていたのか、と驚きながら、いつもは誰かの育児ブログを覗いていた時間を使って、あてもなく何かを探し始めるようになった。

毎日のようにチェックしていると、ひとつのバンドの曲を気に入って何度も何度も観るようになった。ウェールズの新人バンドらしい。この人達のCDが欲しい。だけどどこで買ったらいいのだろう。私が子育てに追われている間に、むかし通っていたレコード屋はもう潰れて無かった。その事に何となく罪悪感を持っていたりもした。だけど子連れでは電車で20分の渋谷ですら今は遠い。仕方ない、ネットで買ってみよう。自分の中で勝手に決めていた拘りをえいっと捨ててみた。

輸入盤のCDがポストに届き、抜けていたステレオのコンセントを差し込み、荷物をよけて深夜にひとりでスピーカーの前にじっと座る。家族を起こさないように、流れてくる曲の小さな音に耳を傾ける。部屋の中が異空間に変わって、固まっていたところがゆっくり溶かされていく。11曲があっという間に終わり、次の日もなんとか時間を作ってまた聴く。歌詞カードを手に、覚えたての歌詞をそっと歌ってみる。楽しい。ああ楽しい。楽しいってこういうことだ。目の前には長い間見て見ぬふりをしていたCDとレコードの棚。そうか。勘違いだった。お母さんになったせいで楽しいことがなくなったと思い込んでいたけれど、今までだってずっと私は楽しくなかった。学生の頃だって、働いていた時だって、例え今、独身だったり子供がいなかったとしても、多分同じ。楽しくないからこそ、我を忘れて夢中になれるような何かを探して、それを楽しみに生きてきたのに。きつく詰め込まれた目の前の棚から、昔よく聴いた1枚をぐいっと取り出す。懐かしいな、明日はこれを久しぶりに聴こう。いつの間にか、日常の些細なことにはさほど目を向けなくなっていた。

きっとあの小さな荷物を手に持たされた時から私は「お母さん」という帽子を被されていて、落とさないように気をつけてるうちに、アンテナを自ら畳んでしまったのだ。似合わない帽子だから当然居心地が悪いし、周りの人が似合っているように見えて気になってしまう。だけどその帽子は誰かに断らずに外す時間があってもいいし、たまには好きな帽子を被っても良かったはずだった。その事に気がつくまでに10年もかかってしまった。一番下の子はもうすぐ3歳を迎えようとしていた。


ウェールズのお気に入りのバンドがフジロックに来ると知ってから私が行く事を決めるまではあっという間だった。私がチケットや宿の手配を始めると「気合がすごいな〜。頼もしいわ。」と友人が笑う。そうだよ、元々私は好きなもののことになると猪突猛進で気合がすごい。今の自分にできることは限られているけれど、欲を捨てたら何もなくなる。それを見なかった時、見ても何も思わなかった時よりずっとましじゃないか。立場や年齢など見えないものに気兼ねして、似合わない帽子を被ってしかめっ面で座ってるだけでは与えてもらえない。自分で探す。

しかしなんと、フジロックにそのバンドは来なかった。来なかったけれど、それでも久しぶりの苗場で過ごした2日間の出来事を、私はいつも思い出す。もしあの時来ていたらどんな風だったろう…と想像してみるだけでもまあいいのだ。

どこにいても、どんな気分でも、音楽は優しい。誰にだって。







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