まえがき
小学生の頃、「ザ・ベストテン」で「DESIRE」を初めて観た翌日のこと。集会所の裏でいつも遊んでいた仲の良い友達に昨日の明菜ちゃんの新曲の素晴らしさを興奮気味に話したあとで、その場のひやっとした空気を私は何となく察してしまった。この話に興味がないのだろう、と。すごく気まずい。言わなきゃよかった。もしかするとこの気持ちは誰にでもわかってもらえるものではないのかもしれない、とそれからは伝わるような相手を選んで話すようになった。おとなしかった自分の口数が更に減ってしまった。
中学生の頃には、小学校の時からの同級生と好きな音楽を通じて急に仲良くなり、試験勉強と称して夜な夜な友達の部屋で音楽を聴いてあーだこーだと語り合った。しかしその友達とは高校が別れ、更に大好きなフリッパーズ・ギターが解散してしまい、楽しいはずの高校生活のはじまりの1年目の秋ですでにもう途方に暮れる。ショックをずるずると引きずっていた私に、バイト先の友達が私と同じ学校にいるフリッパーズ好きの子を紹介してくれた。とあるライブで配られたミニコミというものに感銘を受けて、その子と一緒に真似をしてみた。「音楽殺人」と名前を付けて毎号テーマを変え、高校生活の間に5回作った。もちろん第1号はフリッパーズ・ギター特集。急に消えてしまった2人への思いをそこでぶつけた(ような気がする)。そのことをきっかけに色々な人達と関わりを持ち、一言ではとても言い表せないような不思議な思い出を作り、「音楽殺人」は高校卒業とともに潔く終わった。
それから1人でシュガースウィートというフリーペーパーをはじめた。その頃夢中だったテクノやクラブ・ミュージックのことについて感じたたわいもないことを書き綴り、そこで知り合った友達に配ったりレコード屋に置いてもらったりした。8〜10号はちゃんと冊子にして売り、それをきっかけに文章を書く仕事を少し頂いたりもした。
結婚をして子供が生まれ、そこからいつのまにか生活がガラッと変わって音楽を聴く量もしだいに減り、10年くらいはただただ子供の側にいて何か他の事に目を向ける余裕もなく過ごし、ハッと気づいたら周りには日常の悩みを話せる友達だけがいて、自分の楽しい事やそれについて話せる人がいなかった!その習慣を忘れていたし、だからなのか毎日なんだかしかめっ面で過ごしていたような気がする。
そして去年、突然ブチッと音楽を聴くスイッチが入ってしまい、9年ぶりにフジロックに出向き、それはそれは素敵な2日間を過ごしたのち、一緒に行ってくれた友達と駅で別れて家に帰る電車の中でひとり、……え、この気持ちをこれから誰に話せばいいの?と困り、突発的にツイッターをはじめる。そこからほぼゼロの状態で昔の友人、知人探しの旅に出たもののわりと虚しい現実を見て、しかしミニコミ魂でと意地でも続けてみたらほんの数人、話し相手になってくれる人達がいた。誰も聞いてくれないようなことをどうやったら聞いてもらえるかと考えて書くのは楽しい。いつもそうしていたから。古くて硬いアタマは紙や手書きにまだまだ執着があるけれど、SNSも悪くないなと、もう少し何かしたいと思いはじめている。
長くなりましたが、ツイッターのタイムラインに流されたくないことや書ききれない文章、そして昔どこかに書いておいた個人的な文章などを残すためにnoteを開いてみました。昔の自分ならこの長文のタイトルに「ラブ・アンド・ドリームふたたび」とでも付けたんだろうか。だけどもう今は付けませんよ、だいぶ大人になってしまったのでね。
大久保 祐子
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